大人の事情

 「……ン?」
 隣の部屋からの人の気配に彼が帰ってきたのだとわかった。
 遅くなるから寝てていいよ、と連絡があったのが十一時ぐらい。最近は毎日この言葉を聞いている。かなり重要な仕事があるみたいで、忙しいらしいのだ。
 一時間は待っていたけれど、やることないしつまんないし。そうなるとなんだか酷く眠くなってしまって、もういいやなんてベッドに入って……。
 それから記憶がプッツリいっちゃってるからかなり熟睡してたんだなあ、って思う。夢も見なかった。
 ところで今、何時なんだろう。時計を見るのも面倒だ。
 中途半端に起こされても今度は目が開かないほど眠い。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 再び、睡魔に襲われそうになっている時、カチャリとドアが開く音が聞こえた。フッと現実に引き戻される。
「悟君? 寝てる?」
 寝てませんけど寝てマス。
 声出すのがめんどいのデス。
 とりあえず心の中で返事をした。
「熟睡?」
 ちょっと笑っているような、そんな優しい気配が近づいてきて、すぐ近くで止まった。ベッドの脇に座ったのかな。枕元というか耳に近い位置で声がした。
「毎日遅くてごめんね……。もう少ししたら一段落するからね」
 この人はオレが寝てるとき、こんな風に話しかけてたのか!
 壁の方を向いて寝ているから表情が見えないし、本当に熟睡中だと思ってるのかもしれない。 なんだかにんまりしてしまう。
 しばらくそのままでいたけれど、やがて静かに布団が上げられた。
 ふわりと揺れる空気の流れにボディソープとアルコールの匂いが混ざっている。 けっこう飲んでるのかも。
「一緒に寝よう……?」
 オレが隅に寄っていたから寝られると思ったのだろう。シングルなのに……。
 隣に入ってくる。そのはずみでベッドがギシッと鳴ると、一瞬動きを止めたりして。 ゆーーーっくり、身体を横たえることに成功したようだ。ふぅ、なんて溜息つくのが可笑しい。一応、気を使ってくれてるみたい。
 すぐ傍で。耳元で。
「悟君、いい匂いする。君はなんでこんなに可愛いんだろう……」
 いつもより数段増しの甘い声に胸がくすぐられる。

「ねえ、こっちむいて……。寂しいじゃないか」
 …………。
 ああ、こんなところがやっぱり酔っ払いだよな。
 オレの反応を見ているのか、相川さんの沈黙は続く。
 その間、後頭部に感じる視線は気のせいじゃないだろう。念でも送られてるのかもしれない。
 それでも無視、つーか、黙っていると、首筋に顔をくっつけてきた。
「……おやすみ、か」
 寝るのかと思いきや、全然諦めていないらしい。
 押し当てられた唇は、そのまま、息をすぅーっと吸い込んで、ふぅー、と吐き出すことを繰り返す。
 寝る気、ねえだろ?
「………………ちょっとだけ起きようよ?」
 やっぱり。
 オレの状況なんてお構いなしのようだ。
 さっきまでの、起こさないという配慮はどこにいったんだ?
「うー」
 なんとなく唸ってみる。
 すると彼はそのままの体勢でクスクスと笑いはじめた。悟君、悟君と本格的にオレを起こしにかかる。なんとなーく、これって迷惑な感じじゃね?
 はあ。もういいや。
 おとなしく寝かせてくれそうにもないし、しかたないから相手してやるか。
「飲んでんの?」
 言いながら身体を回すと、ただいま、の囁き声とともに額に柔らかな感触があたり、「うん」と彼にしては珍しいほどに幼い答えが返された。
「……少しだけ」
 スモールライトの下、優しい瞳が俺を見つめているのがわかる。見つめ返せば、彼の眼差しがもっともっと柔らかく綻んでいく。
「嫌なことでもあったの?」
 聞けば、別に、と答える。大人の事情だよ、と。
「フーン」
 まあ、これだけの人になればいろいろあるよな。
 仕事内容はあんまり話さないけど、家にいても急用の電話も良くかかってきたし、遅くまで調べ物とかしてたし。 通勤時間を考えれば、無理して帰ってきてくれてることはわかっていた。 しかも帰宅時間はよほどのことが無い限り、日付が変わってしまうことが常。
 オレなんかより、もっとずっと広い世界を持っているんだと、改めて思う。
 ……なんて見つめながら納得してたら、その微妙な間が気になったのか、相川さんの表情が情けないものに変わった。
「怒ってる?」
「ん? なんで?」
「だってね……」
 そこで声が止まる。そしてなんだか萎れてる……。
 おかしすぎる。
 だって変だろ? こんなことで項垂れるなんて。
 世間的には飲んで帰る亭主はいい顔されないんだろうけど、この人はそんなんじゃないもんな。息抜きは必要だろう。
「怒らないよ」
 思わず笑いながら言うと、
「良かった」
 ホッとしたかのように、彼の左手がオレの頬にそっと触れた。慈しむような丁寧な触れ方、だと思う。頬を撫でられ、髪の中へと入り込む。静かな時間が流れている。
「優しいな、悟君は。だから心配……」
「なにが?」
「いろいろ」
「変なの」
「好き……」
 ふわりと微笑まれて、その瞳から目が離せない。見慣れてるはずの笑みにも心拍数が勝手に上ってしまう。
 唇が微かに動く。
「……いい? 抱いても」
 囁くように紡がれた言葉はやや掠れた声で。
 響いた。
 腰に。
 色気、ありすぎ。


 それでも明日のことを考えれば、すぐには頷けなかった。明日は土曜日で、オレは休みだからいいけど相川さんはそんなの関係なしだから。 気楽な学生とは違って責任ある立場だ。身体を思えば、すぐにでも休んだほうがいいに決まっていた。
「明日、休みなの?」
「違うよ」
「じゃあ、その次の日は?」
 日曜が休みの確立も低いけれど、一応……。
「それも違うよ」
 やっぱり。
「疲れてるんだろ? 寝たほうがいいよ」
「嫌だ。したい」
「休みの前の日の方がゆっくりできるよ」
「今がいい。今したい」
 考えることなく、即答。
 どこの駄々っ子!
「浮気防止」
 なんだソレ?
 浮気って何? オレなんか誤解されるようなことした?
 いや、ありえないんだけど。
 言われれば気になってしまい、無いなりにも懸命に記憶を探ってみる。
 …………。
 無理。
 考えても出てこない、つか、出るわけないっつーの。
「うぁっ」
 意識がずれた隙。彼の両手はすでに俺のパジャマをまくり、唇が首筋におりていた。
「や、ちょっ、相川さんって」
 オレの言葉なんて聞いちゃいない。強硬手段に出るつもりらしい。
 足が膝を割り、掌が素肌を這う。敏感な胸の尖りを指先が捉えた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 オレの部屋のベッドは狭い。 男がふたり寝るにはかなり無理があるから、この場所は純粋にひとり寝用なのだけど、走り出したら止まらない。あまりに性急な行為は、ほんの少しでも離れることを許さないようだった。
「あっ、んぁっ……あぁっ」
 肉のぶつかりあう音とジェルなのか体液なのか区別のつかない水音が、脳の奥底で響いている。
 片足を担がれ、激しく突かれた。
 余裕なんてなかった。
 いつものような丁寧すぎる愛撫ではなく、徐々に気持ちを高めていくようなキスもなく、ただ早く繋がりたい…、そんな焦りみたいなものを感じたのは気のせいだろうか。 まるでふたりでいる時間に限りがあるみたいに。
 普段と違うことに対して、微かに生まれた不安。
 それでもオレの身体は貪欲に反応し、今まで感じたことのないような快感を味わっていた。
「ん、あっ…ぁあッ」
 痺れるような快楽の中、目を閉じた。そしてその暗闇で、目の奥に残像を残す。 俺を揺さぶる相川さんの姿。彼の腰が前後に動き、彼のモノが抜き差しを繰り返している様子までもがリアルに映し出された。
 それでまた余計に感じ、余計に喘がされる。
 何度も何度も彼自身に中を擦りあげられ、否応なく声が漏れてしまう。
 単純な動物的行為。
 荒い息遣いが獣のよう。
 触れられてもいないのにオレのは震えるほどに勃ちあがっていて、先端からはだらだらと透明な液をこぼしているだろう。
「や…ぁっ…」
 すると、突然、今までのリズムが変わる。
 ゆっくりと引き抜かれるような感触。追いすがるように内壁が纏わりつけば、また埋め込まれていく。奥まで。ゆっくりと。
「はぁ…ッ!」
 ビリビリとしたものが腰から背中から、頭の先までを走りぬけていった。
 駄目だ。
 気持ちいい。
 薄く目をあける。探す視界に彼を認める。
 眉根を寄せて快感に耐えるような表情が官能的で、綺麗に引き締まった筋肉が汗で光っていた。
 この視覚的なものにゾクッときた。男の色香をかもし出していると思った。
 しかも久々のセックス。
「ふぁ…、っん……んんっ!」
 セクシーだと思った瞬間、自分の意思とは関係なく収縮し、きつく彼を締め付けてしまう。
「っ、」
 一瞬、止まる動き。けれど、すぐにまた激しくなる。
「一回、」
 イくよ、と苦しそうな声が言う。
 大きく突き入れられ、容赦なく敏感な部分を擦られた。
「あ……、っ、くぅ…ッ」
 猛烈な射精感に襲われる。
 何も考えられない。
「悟…。俺だけだよ」
「あ、あ、あぁっ」
 気が狂いそうなほど、高みに連れていかれる。
「あ…、…ぁああッ!」
 どくどくと脈打つ感覚に、手を添えるまでもなく放ってしまったことを知った。

2007/07/21

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