大人の事情


 はぁ……。
 今日はなんか激しかった……。

「……ごめんね」
「あ?」
「大丈夫?」
 生気を吸い取られたような虚脱感に、手足を投げ出して寝てるオレ。
 ぼーっとしていると、相川さんの顔がどアップで映った。焦点を合わせる。ほんとに心配そうな顔してた。
「もっとゆっくりした方が良かったよね……。君のペースを考えるべきだった……」
 どうやらオレの溜息まじりの言葉は、そのまま音になってしまっていたようだ。
「っ、ううん、全然平気。たまにはこういうのも……」
 ハハハ、なんて笑ってみたりしてもあまり効果はなく、抱き寄せられてしまう。
「独りよがりのセックスだったと思う……」
 ごめんと再び口にした。
「そ、そんなに反省しなくても……。大丈夫だよ」
 きちんと目線を合わせて言い聞かせるように言うけれど、疑いの眼差しはなくならない。
「ほんとに平気? 放心状態だったけど」
「平気だっつんてんだろ!」
 恥かしさからちょっとキレてみた。
 相川さんは、あまりの勢いに面食らったように目を瞠っている。でもすぐに自分を取り戻し、わかったとでも言うように口元を緩めて体勢を崩した。 覗き込んでたものから、身体を横向きにして片肘をつくものに。
 穏やかな瞳がオレを見下ろしていて、ちょっとばつが悪い。
「別に……嫌じゃなかった」
 ボソボソ……。
 感じまくってたし。
「それならいいんだ……」
「うん」
 確かにいつもみたいな穏やかな時ではなかったかもしれないけれど、愛情までが欠けてしまっていたわけじゃない。 むしろそれだけ求められていたということだ。夢中になるぐらいに。
 それってすごい……。
 ……愛されてる。
「悟君?」
「いや、なんでも」
 咄嗟に顔をつくり、微笑みかける。
 そして、落ち着けば気になり始めるのは、相川さんの態度。酔っていたとはいえ、なんか言動がおかしくなかったか?
「オレ、浮気なんてしてないんですけど……」
 責めるような口調になるのも仕方ない。事実じゃないんだから。それでも彼は気にすることもなく、淡々と口にした。

「ああ。今じゃなくて、今後だよ……。俺がいない間というか、ひとりの時」

 目が真剣だった。
 高揚してた気分が一気に冷める。
 相川さんが我を忘れるほど激しかった理由。 言葉の端はしから、ありもしない浮気を疑われたからだと思っていた。 でも違うんだ。帰って来た時……。なんで飲んできたのかと聞いたオレに、彼は大人の事情と言っていた。
 布団をぎゅっと握り締めた。
 思い当たるのはひとつだけ。
「――……出張?」
「……そう」
「またアメリカ?」
「出発は明日の便。よくわかったね」
 続く言葉に、なんて言っていいかわからない。
「……マジかよ」
 トーンダウン。
 今度はどのくらい? 一週間? 一ヶ月? それとも、もっと……?
 寂しくて。
 前にもこんなことがあったけど、ひとりは本当に寂しかったから。




 オレの落ち込み方は半端じゃなかった。そう。文字にすれば、どよーん、って感じ間違いなしの暗さのはず。
 しかし、そんな状況にもかかわらず、恋人は何故か微かに笑い声を洩らしていた。
 呆気にとられるオレ。
 なにここ、笑うところ? 
 普通なら全力で慰めるところなんじゃねえの?
 彼が言った。
「俺じゃないよ」
 ?
「安心した? でも安心するのは早いよ。来るんだからね」
 ??
 俺じゃなて、来る?
 ………………。
 意味がわかりません。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「つーか、それ早く言えよ! イテテ」
「ああ、ホラ。横になって」
「るせぇ、馬鹿!」
 跳ね起きたオレを襲った激痛。支えながら、彼が笑う。
「いや、君の百面相が可愛いらしくてつい……」
「ついじゃねーよッ。ていうか、あの子帰ったのって一ヶ月前じゃん。……もしかしてそれで激しかったのかよ!」
「なんかまた、あのやかましいのが来ると思うとむしゃくしゃしてね……。ふたりの時間を確実に邪魔されるだろう? それに君のことをとても気に入ってるみたいだし」
「それが大人の事情?! まるっきり子供じゃんよ。笑わせんじゃねえよ。オレの純情を踏みにじりやがって!」
「……すみませんでした」
 裸で説教してるオレと、される相川さん。
 間抜けだ。
 とりあえずパンツはこう。

 相川さんの話はこうだった。
 つまりアメリカ出張するのは相川さんの父親である、現社長。
 その間、家でひとりになってしまうことを嫌がった彼の奥さんが、前にも来たことがあるこのマンションに住みたいと言い始めたらしい。
 もちろん、本人達の持ち物だから、そこに住むといえば、うちが拒否できる立場ではないし、 もともとのお嬢様でもない限り、広い家で家政婦さんたちに囲まれて過ごすより、こっちの方が気楽かもしれないけど……。それって単なる我侭だろ?  それでも、社長もここなら安心だと、二つ返事で許可を出したそうだ。相川さん曰く、『デレデレしてみっともないぐらいの顔』で。
 確かに甘い。
 ただ、それも本人を知っているから、仕方ないと思ってしまうというか。
 これがまた可愛いんだよ。
 オレですら思うんだから、う〜〜〜〜んと年上のロリ社長からしたら目の中に入れても痛くないほど溺愛しちゃうのも判る気がする。
 奥さんっていうのは、相川緑さん。まだ高校生だ。そしてその年齢どおりというか、全然人妻って感じのしない、明るくて可愛らしい人だった。
 オレ達の関係なんてバレバレで、人見知りをしない性格なのか、かなり懐かれてしまっていて。 オレとなんか初対面だったのに、あまりのフレンドリーさに、こっちが面食らう始末だった。おかげで相川さんは不機嫌になるし、でも緑ちゃんは気にしないし。
 まさに最強の妹キャラっていう感じだったんだよなあ……。

 ここまで振り返ってみて、ようやくオレは思い至った。
 懐かしんでる場合じゃないのかもしれない。
 その彼女が来るということは。
「あー」
 相川さんがまた不機嫌になるのか。宥めるのが大変だ……。
「で、いつまで?」
「最短で一週間。最長はわからない。長引くこともあるから」
 やれやれといった表情だ。
「ふぅん。ま、気にするなよ。賑やかになると思えばいいんじゃないの? 別に一緒に住むわけじゃないし」
「浮気は許さないからね」
「なんでそーなる」
 さっきから浮気浮気って。
 ぎゅっと両手で頬を挟まれた。けれどその目に冷やかしは浮かんでいない。真剣なのがある意味怖いというか、的外れすぎというか。
「狙われてるかもしれないだろう? 俺は仕事で遅いから……。いない間に」
「はあ?」
「誘惑される」
 ぶっ!
 たまらず吹きだすオレ。
「本気で言ってんの?」
 一呼吸おき、彼をまじまじと見つめてしまい。その表情が、相も変わらず、いたって真面目なのを確認して、
「ズレてる……」
 思わず呟いてしまった。
 彼の、オレ専用フィルターはよっぽど特殊な仕掛けがされているらしく、オイオイオイって思わずツッコミたくなるようなことも多々あって、つくづく、不思議回路だなあと思う。
 うん。ほんと。だから今回の件でも、彼女に対して申し訳なさすぎ。あの子が聞いたら怒るんじゃないだろうか。 なんたって彼の心配の矛先が明後日方向に向きすぎてるんだから。
「悟君は!」
 ムキになって言い募ろうとするのを指を一本掲げ、遮った。
「そんなに心配……?」
「当たり前だろう」
「でもさ、彼女にとってオレなんか眼中にないから。それは前に来た時にはっきりしてるよね。あの子は相川さんの父親一筋だって」
 彼女がどれほど相手に愛情を抱いているか、ふたりでいたところをみたわけじゃなくてもわかる。 伝わってきたんだ。ちゃんと。
 それに、特別な存在は普通を選ばない。相川さんがオレを選んでいるのが異色なだけ。 異端中の異端だ。どんなに浮かれていても、それは常に頭の隅にある事実だった。
 だからか、相川さんが嫉妬してくれることが嬉しい。 気を揉んで、憂さを晴らすことが酔うことしかなかったとしたら、『大人の事情』なんて大層な言葉で包まれたことが可愛く思えてしまう。

「オレ、そんな簡単に人を好きになったりしないよ?」
 似たような言い合いになる度に言ってる気がするけれど、ま、いいか。
「それより、相川さんはどうなんだよ」
 急に話題を自分に振られ、何が? と、目だけで問うてくる。
「嫌いも好きのうちって、気になってる証拠じゃん」
 嫌そうな顔がなんか笑える。
「オレを捨てたら一生呪って、化けてでてやる」
 冗談まじりに言うと、彼がにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、呪われる心配も化けてでられる心配もないね。君とは一生、幸せに暮らすんだから……」
 一生。
 それは容易いことではないだろう。
 わかっている。
 でも。
「君は俺を信じていればいい」
 強い意思を感じさせてくれる言葉を惜しげもなくくれるから、どうしようもなく胸が詰まってしまうんだ。
 オレは今、どんな顔をしているのだろうか。
「ばぁか」
 本当は、有難うって言わなきゃいけないのに、咄嗟に出たのはこんなもので。
「信じてないわけないだろ」
 拗ねた口調が可愛げないと、我ながら思う。なのに、彼は蕩けそうなほどの笑みを見せてくれた。

「悟君……仲直りしよう」
 口づけがひとつ落ちてくる。
「今度はゆっくりするから……。明日からしばらくできないだろう? だから、ね?」
 隣に女の子がいると思えば、気になってそれどころではない。正直、やりづらい。 だから前回も拒否った回数、数知れず。
 彼はそのことが頭にあるのだろう。今のうちからやりだめすることに決めたらしい。 時間がないとボソッと聞こえた。
 オレだって……。
 まあ。
 甘い誘いを断る理由は、ない。
「たくさんキスしてくれるなら……いい」
 照れくさくて目を伏せれば、もちろん、と応え、唇が耳朶を食む。
「ンッ」
 いきなりの衝撃にビクッと跳ねる身体。彼が軽く笑う。
「さっきはしてあげなかったからね」
 言いながら、オレ自身をゆるりと擦る。形をなぞり、握りこまれる。次第に強弱がつけられ、囁きが耳に吹き込まれた。
「悟の感じるところ、いっぱい舐めてあげる」
 あの、目も眩むような快感を想像させる、淫らな声音。
「気持ちいい顔、見せて」
 身体が疼いてたまらない。もう、どうなってもいい。
「――博之、さんっ」
 普段は呼ばない呼び声に、彼が目を細めた。
「君の全てを愛してあげるよ」
 しっとりとした唇が静かに重ねられ。長い夜が始まりを告げる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 次の日。
 来る予定だった彼女は……。
『もしかして残念だとか思ってないよね?』
「思ってないからちゃんと仕事しろよ」
 予定変更で来ないことになった、らしい。
 別に彼女の病気とかじゃなくて、いろいろあって社長の訪米が延期になったからだと言った。 そうなると、必然的にこっちで過ごす理由も無くなるわけで。
 そのことを相川さんからの電話で聞いたんだけど、その声の弾み具合といったら、思わず苦笑してしまうほどだった。
 あとは、オレの身体を心配する言葉と、今日は早く帰るからね、とか。メールするね、とか……。
 本当なら仕事のスケジュールが狂うって大変なことだろうに。
 やっぱりちょっと変わってるよな、相川さん。


「さて……」
 彼女にとっては、遠い地にいる旦那サンを心配しなくてすむんだから、今頃、ホッとしているところじゃないかな。そしてオレも不機嫌な恋人を見なくてすみそうだ。
 電話口での彼の清々しい声を思い出してはにんまりと笑う。
「今日は何作ろ……」
 ただいまと帰ってきたときに、いい匂いがするように。
「と、その前に」
 まずは掃除と。
「布団でも干すかなあ……」

 窓の向こうには、真っ青な空が広がっている。

2007/07/26

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