トップページに戻る■■NOVEL TOP

いつも一緒に〜貴方にバラの花束を

 とても大事にしていたんだ。

 陶器製のカップ。
 薄いブルーの細長いビアカップ。

 もちろん酒の飲める年ではないから、それでジュースを飲んだりしていたのだけど。
 底から上部にかけて緩やかに広がっている柔らかなデザインの、手にもちょうどいい大きさのそれは マグカップがわりにもってこいで、他にもカップがあるにもかかわらずそればかり使っていた。

 気に入っていたのに。

 形もそうだけど……。
 色もそうだけど……。
 使いやすさもそうだけど……。
 なによりも和人が買ってくれたものだから。

 それは、初めてオレがこの家に来るときの為にペアで用意してくれたものだった。
 お揃いかよー、なんて一瞬思ったけど。

 ほんとはすごく嬉しかったんだ。

〜 〜 〜 〜 〜


 手の中には見事に散らばった陶器の破片。
 派手な音に気づいて、リビングで寛いでいた和人がすっとんで来る。 そして欠片を手にしているオレに向かって言った。
「あーあ。割れちゃった。今度はどんな色にする?」
 にこやかに、そう、笑って。

 無性に腹が立って思わず叫んでいた。衝動のままに。
「なんで! なんで!! 和人はこのカップが大事じゃないのか?!」
 そんな答えが返ってくるとは思わなかったのだろう。驚きに目を瞠り、すぐに困ったような表情に変わる。 違うよ、小さな声が聞こえたけど、差し伸ばされた手を振り切ってそのまま部屋を飛び出した。


 勢いのまま駅まで走る。このまま電車に乗れば自分の家に帰れる。 だけどほんとにそれでいいのか?
 切符売り場へと続く階段を、とぼとぼと昇りながら早くも後悔の念にとらわれていた。
 こんなことで毎回毎回、家に帰っていてどうする?
『実家に帰らせていただきます!』 なんて逃避行動もいいところ。まるで主婦のキメ台詞じゃねーか。
 とりあえず冷静になろう。
 それでなくても和人といられる時間は限られているのだから。

「はぁ……。何してんだろ…オレ」
 足を止め、切符売り場の隅っこで壁にもたれかかり、ぼんやりと改札を通る人を眺めていた。
 こんな子供じみた行動はみっともないと思うし、それをやってる自分が情けない。
 だけど。
「すごく大切にしてたんだ……」
 何もない手のひらを見つめて。言いたくもない独り言がポツリポツリと零れてしまう。
「せっかく、ふたつ揃ってたのに」
 時間が過ぎる分だけ溜息の数も増える。だけど心を落ち着かせるには必要な時間だと思えた。
 もしもそれが対でなければ、ただのカップだったら、気にも留めなかったかもしれない。
 だけどペアだったから。いつも並べて置いてあったものだから。
 片方が欠けて。それでも和人が平気な顔をしていたのが、なんとなくショックだった。
 『新しいの買えば』なんて。
 オレがあれを貰ってどんなに嬉しかったかなんて考えもしないで。
 自分を正当化する言葉ばかりが駆け巡る。

『理央くん?! 怪我は?』
「あれ?」
『大丈夫?』
「あ…?」
 だけど思い出せば思い出すほど。
 浮かんでくるのは和人の顔。
 彼の慌てた表情。

 和人がカップのことを口にする前に、言わなかったか?
『怪我はない?』
 一番に、その言葉が出なかったか?
 急いでキッチンに駆け込んでこなかったか?
 心配そうな顔してなかったか?
 オレは。

 和人の心より、自己満足を優先した。
 こんなにも大切にしてやってるんだぞ、と。
 物を大切にするのは当たり前の事。それが壊れたからといって、人に当たっていいことにはならない。 ましてや、自分の不注意で落としたもの。
 踏みにじられたと思って頭に血が上って、気がつかなかった。和人の心を踏みにじっていることを。
「やっちまった……」
 自分の愚かさが身に染みる。
 我ながらお前は馬鹿か! と怒鳴りつけてやりたい気分だった。

 いままで和人の何を見てきたのだろう。
 あの人は一番にオレの事を考えてくれるのに。
 自分が買ったものをオレが割ったから、オレがさりげなく大事にしてるのを知ってるから。
 だから、わざと明るく言ったんだ。同じ年のくせにオレよりずっと大人な和人。

 それなのに……。

 いつも傷つけるのはオレの方。子供じみた自分。
「帰ろ」
 で、謝ろう。

 オレは走り出していた。
 もちろん和人のところに。自分の居るべき場所に。

 玄関で息を整えて、深呼吸をひとつして。顔が強張らないように両手でほっぺたを引っ張ったり叩いたりした。そして一番に言うべき言葉を心の中で復唱する。
「ただいま!」
 いつもより大きな声で、大きな音を立ててリビングに通じるドアを開けた。 そこにはいつものように、ほころぶような笑顔を浮かべた和人がいる。
 ここにいるのが当たり前で、自然なことなのだと、誠実さに溢れた茶色の瞳が教えてくれる。
「おかえり」
 躊躇することなく腕の中に入っていった。
「ごめんなさい」
「うん」
「呆れてる?」
 少しね、そう言って小さく笑う。
「あのカップ、すごく大事にしてたんだ…。だけど割っちゃって。 片方だけなくなっちゃって」
 自分のせいで割れたのに、カッとなって飛び出して。自分勝手で、心配かけて、ごめんなさい……。
「……あんなの壊れ物だもの。いつかは割れるよ? それが今日だっただけでしょ?  僕にとって大事なのは理央くんだから。怪我がなくてホッとした」
 責めるでもなく、冷やかすでもなく、ただ静かな声で和人が続ける。
「また買おうよ。僕のもなくなっちゃったから」
 その言葉に和人を見上げた。割ったのは自分のだけで和人のは壊れてないのに。
 不思議そうな顔をしていたのだろう。
「僕のは、あそこです」
 指差す方向はキッチンのカウンター。
 花が飾ってある。
 赤や黄色、濃いオレンジ、薄いオレンジ。薄紫、ピンク、アクセントのように数本の純白……。 霧生の母が育ててるバラだ。
 彼女自慢のバラ園から和人が選び出したのは、ひとつひとつは五センチにも満たない小花系のもの。 きっと全色持ってきたのだろう。 シンプルなものが好みの和人にしては珍しい、ごちゃ混ぜにされた賑やかな配色で。 それがぎゅっと詰められるように生けてある。

 まるで花束みたいに。
 カップに溢れるほどに。

 丸くこんもりと形作られたバラ達の花瓶がわりになっているのが和人のビアカップだった。
 綺麗な淡いグリーンの器。
 上品なその色は、色とりどりのバラをよく引き立てていた。
 開け放たれた窓から夏にしては爽やかな風が吹き込んできて、甘い香りが微かに届く。
「だから、ね。またお揃いね」
 柔らかい声が頭の上から聞こえてくる。
 きっとその表情は穏やかで、その瞳は優しさに溢れてるに違いない。
 だから……。
 背中に回した手に力を込めて、頷いた。

子供すぎる理央…
SS No11(2003/07/14)


トップページに戻る■■NOVEL TOP
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送