熟慮

 今朝、忍から電話があった。九時ごろそっちに行くから、と。
 普段はオレがマンションに行くことの方が断然多いのに、今日は忍が家に来るという。理由を訊いたけれど、意味ありげな含み笑いをされただけだった。
 なんだろう?
 何かの記念日だっけ? 誕生日ってわけでもないし、恋人達のイベントってわけでもないだろ……?
 なんの変哲もない六月の土曜日に、これといった特別は考えつかずに。結局、忍の気まぐれってことで落ち着くことにした。なんにしても逢えばわかるのだから。
 そろそろかなー、と思ったところでお出迎え。
 玄関前の道路に出て待っていると、忍が歩いて来るのが見えた。
「おはよーっ」
 張り切って手を振ると、少しだけ視線を落として。だけど口元が綻んだのがわかる。
「お前を見ると……。なんだか元気になるな……」
 すぐ目の前で足を止めた人が、優しい顔でそんなこと言うから。
 照れてしまうよ。
 オレの気持ちを見透かしたように頭をポンポンと叩かれて。
 ちょっとしたスキンシップに気が済んだようで、行くぞと足を進める。
「どこ行くの? うち、寄ってかないの?」
 並んで歩く。
「ね、ってば」 
「買い物」
「無駄遣いは駄目なんだからね〜」
 ……、とそんなやり取りがあり。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 家から約三十分。テクテクと歩き、着いたのはショールームだった。
 すっげーーー!
 ピカピカした車が展示してある。
 猫科の野生動物をモチーフにしたエンブレムでお馴染みの高級車がウインドウの外から見えた。
「しのしのしのしの?! 車? 見に来たの?!!」
「ああ。姉貴の使ってばっかりだと、そのうち何か言われそうだからな……」
 そういえば、欲しいって言ってたもんな。
 ということは、今日は、ディーラー巡りか。
 その第一弾が、ここらしい。
「うぅ! 緊張するね。……あ、なんで?、って顔してる。そりゃ、忍に緊張の文字は似合わないけどさ、オレは普通人なの」
「あ、そ。はいはい」
 あっさりかわされ、忍が店に入っていく。
 言っちゃなんだが、こんな庶民地区で売れるのかというのが疑問の店だ。高級すぎ。 近くを通るたびにそれとなく中を覗いたりしてても、商談してるところなんて目にしたことはない。 忍はともかく、オレまでそんなハイソな空間に入っていいのって感じ。見るだけだよ、見て触るだけ。
「そもそも急なんだよ!」
 なんて後姿にブツブツと言いつつ、楽しんでる自分がいる。
 だって、こんな車、近くで見たことないし。
 大体、大都会なら珍しくないのかもしれないけど、うちの辺じゃこんなの持ってる人、いないんじゃないだろうか。 ほとんどが国産車。 梨佳ねえの超メジャードイツ車だって走れば物珍しそうに見られるのにさ。
 外車でもいろいろなんだなあ。
 梨佳ねえの車に見慣れた目には、なんだか新鮮なフォルム。
 こういうのに興奮するのって、男としての遺伝子に組み込まれてるとしか思えない。ロマンだよね〜、男のロマン。
「これ見て? すっげーーー! すっっげーーーー! カッコイイ〜〜」
 いつの間にか夢中になっていた。
「宮前様、どうぞこちらへ」
 忍はパンフレットでも見せてもらうのかな。 ま、どんな営業トークが炸裂しようとも乗せられる心配はないだろうけど。
 彼が呼ばれるのを小耳に挟みながら、オレは目の前の車のドアを開けて運転席に乗り込んだ。
 ふは〜〜。
 中はね。革張りシートがしっくりくるね。
 ペタペタといろんなところを触ったりして、オレの指紋だらけにしちゃおう。
 それにしても、なんという高級感……。
「ううむ……」
 思わず唸ってしまう。
 傍から見ても、さぞや興味深そうな顔をしていたのだろう。女性スタッフが寄ってきて、いろいろと説明をしてくれた。 まず一番最初に目に付くのは、やっぱり色だろ? で、今オレが乗り込んだ車、これがグリーンなんだけれど、代表色だそうだ。 かなり有名らしい。そう聞くと、すっごくいい色に見えてくる。
「綺麗な色ですよね〜」
 なるほど、と分かった風に頷いたら、その人がクスッと笑みを零した。でも馬鹿にしたような笑いじゃない。つい、出ちゃったって感じ?  親近感を沸かせるような、穏やかな笑み。それからもシートやハンドル位置を調節してくれたり。いろいろと親切に相手をしてくれた。
「響……、行くぞ?」
 お姉さんと話をしていると、忍に呼ばれた。
「あ? ん」
 もう帰るのかな。
 名残惜しいけど、いい思いさせてもらったよ。
 バイバイ、元気で……。
 いい人に買われてくれ……。
 そっとドアを閉め、最後にちょっと振り返ってみたりして。別れを惜しんでみる。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

「なかなかだったよ!」
 興奮冷めやらぬ心。
「梨佳ねえのとは、雰囲気が違……」
 忍に続いて外に出て、思わず息を呑んだ。この存在感、来たときは確かに無かった。
 目の前にどーーん、とあるのはさっきオレが乗ってみたのと同じタイプの車で、色は深い海の色。 ああ、オレ、さっきのよりこっちの方が好きだ。お日様の下だとキラキラ光りそう。 今日が曇りで残念だけど、それでも充分鮮やかに目立っていた。
 ハハ〜〜ン!
 ピンと来ちゃった。
 これがここにある理由。
 どうぞご検討ください、ってね。
「忍、これ試乗していいんだろ? 一回りしてこようよ」
 ウキウキと弾んだ声を出していると自分でもわかってる。忍の表情は穏やかだ。 オレの行動を読んだのか。仕方ない、とでも思ってるのだろう。ダメと言われないことをいいことに、手は既に助手席のドアをあけていた。
 あ、ビニール。
 もしかして、新車を?
 さすが、太っ腹!!
「乗っていいって……。当たり前だ。買ったんだから」
 忍の声に、動きが止まった。
 掲げているのは、鍵?
 買ったんだから……。買ったんだから……。買ったんだから……。何故かくるくると繰り返され、小さくフェードアウトしていく。
「買ったの?」
「そう」
「買っちゃったの?」
 えーーーー?!
 だって、いくらすんのさ、これ。
「あわわわわ、買ったって?」
「なんだ、そのマンガみたいな反応は……」
 呆れたように口にするけれど、貴方の行動の方が変だろ!?
 まさか既に決めていたとは!
 しかも今日が引き取りだったとは!
「ここまで来てなんなんですが……。国産でいいじゃん。もっと考えて買おうよ。高いんだろ……?」
 さっきまでの上昇気分が、一気に降下。
 忍の車ということは、オレもちょくちょく乗る機会があるわけで。漂いすぎる気品に、びびりまくり。
「遅えよ。金、払っちまったんだから。それに、車なんてなんでもいい。選ぶのも面倒だし」
「じゃあ、なんで」
 コレ、なんですか?
「エンブレムが気に入ったんだよな……。猫、好きだから」
 な、なんと。
 う〜〜〜わ〜〜〜。
 怖いこと言ってるよ、この人。
 そんな理由でこんな高級車に乗っちゃうなんて、庶民を敵に回してるぞ?
「これは猫じゃないよ?」
「大きく分ければ猫だろう?」
 大まか過ぎる〜。
 一応、小声でのやり取りなのだが、担当スタッフには聞こえたようだ。ニコリと微笑まれてしまった。
「目が泳いでるが……。大丈夫か?」
 くくく、と喉を鳴らして。してやったりの表情に、もう言葉はございません。
「響は? 気にいらない?」
 オレを見つめてる。
 その瞳に促され。
「気に入るも、いらないも……。気に入ってるに決まってるじゃん!!」
 ふわと広がる笑みに、グッと親指を立てて応えた。
「乗っていい?」
 オレは助手席、忍は運転席。ふたりして乗り込む。
 有難うございました、とスタッフ総出で見送られ、ブルーの車体が動き出した。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

「乗り心地は?」
「最高!」
「よく眠れそうだろう? 響、すぐ寝るから……」
 フッと笑う。その綺麗な横顔を眺めていた。
 右ステアリングは今までと違うはずなのに迷いがなく、滑らかなハンドルさばきがなんとも頼もしい。
「大きな買い物したね」
「明日から梅干とご飯で、切り詰めるか……」
 自分の車ということが、忍のテンションを少しあげているようだ。きっとそれがオレにも伝染してると思う。 だってこんなにも気分が高揚してる。
「お前は、しばらくアイス禁止な? 買い置きはないと思え」
 楽しそうな声音に、やだよ〜と思い切り不機嫌に応えて。その後、声を揃えて笑った。
 大きな買い物。
 忍のことだから、衝動買いってわけじゃないのだろう。 エンブレムが……なんて言ってたけれど、いろいろと調べてこれにしたのだと思う。
 そこにオレの好みとか、そういうのも少しは入ってるのかな〜、なんて。
「しーちゃん! 大好き!」
「いつも唐突だよな……」
 それでも柔らかく微笑んでくれるから。
 もう何も、聞かなくてもいいや。

SS No27(2004/06/09)
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