すいか

 いつものようにコンコンと控えめなノックの後、そっと開かれるドア。
 時計はジャスト十二時。ちょうど昼に合わせて来たようだ。
 響が覗き込みながら、「しーちゃん、いる?」と笑顔を見せる。よほど急いで来たのだろう、額に薄っすらと汗が滲んでいた。
「この部屋、涼しいね!」
 クーラーの冷気が当たる場所に立つと、Tシャツを捲り、風を送るように仰いでいる。
「走ってきたのか?」
「んー、なんかさ、急いじゃうんだよね。このマンションの近くに来ると、足が勝手に……。帰巣本能みたいなもん?」
 へへ、と笑う。
 帰巣本能……、って。
「シャワー浴びてくれば?」
 目を閉じて風を受ける様子が、気持ち良さそうだけれど……。
 汗を流した方がよさそうだ。そのままじゃ気持ち悪いにきまってる。なかなかいい眺めには違いないが。
「そうだね。じゃ、行ってきます!」
 クローゼットに何枚か置いてある響の服。その中から替えのTシャツを持ち、軽やかな足取りで部屋を出て行った。
 と思ったら顔だけ戻して。
「すぐに戻ってくるからね。どこにも行くなよな!」
 ビシッと人差し指が俺を指す。
「はいはい」
 笑いながら早く行けと促すと、響もニカッと笑った。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 ぎゃっ!!
 浴室からすごい声が聞こえてくる。
 響?
 何かあったのかと気が気ではなかった。
「どうした?」
「何? ひーちゃん、どうしたの?!」
 急いで声のする場所を覗く。慌てたように部屋から飛び出してきた姉貴が俺の背中に乗りかかるのもそのままに。
 しかし、当の本人、
「オー! ビックリした!! すげー、ビックリ!!」
 上半身裸で笑っている。
 あはは、大口あけて。
 超ウケた!、と。
「スイカが水浴びしてるんだもんよ〜」
 楽しそうな声につられて見る先には、スイカがプカプカと浮かんでいた。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 とりあえず浴室にいる響にバスタオルを渡す。
 すると、水から引き上げたスイカをその上に乗せて、くるくると拭き、そのまま俺に差し出してくる。
 反射的に受け取ったが……。
 溜息が出た。
 お前、全然わかってない。
 俺が渡したバスタオルはお前の上半身を隠す為のものだってこと、わかんないの?
 仕方なくもう一度新しいタオルを渡すと、ん?、という顔をした後、やっと気づいたみたいで、ははは、と誤魔化すように肩から掛けた。
「あー、これ私。ごめんなさいね、驚かせたみたい。よいっ、と」
 俺の手から取り上げ、肩を竦めて姉貴が言った。
 バスタオルに包んだスイカを腹のあたりで抱え、ポンとひと叩きして。
 いい音がするわ、と笑う。
「ひーちゃんが来たら食べようと思って冷やしておいたの」
 暑中お見舞いと称したこの球体、姉貴の客からの貢物らしい。いつものように。
 つーか、最近、そんなのばっかりだな。これも響を喜ばせる為だと睨んでいる。
 響が来る前は貰い物なんて従業員で分けてくれ程度だったと思う。少なくともうちに持って帰ってきたことはなかった。
 それがどうだ?
 今じゃ、アイツが喜びそうなものを選んで、果物だったりケーキ類だったりを、人を見つつ、さりげなく強請ってるんだろう。
 ある意味、ハンターだよな。
 狙った獲物は逃がさない…ってヤツだ。
 そして今回の戦利品がスイカというわけ……。
「だってね、花岡さんがどうしてもって言うんですもの。ひーちゃん、好きでしょう?」
 誰だよ、花岡って……。
「オレ、果物だったら何でも好きだよ」
 だろうな。
 目がスイカに釘付け。
「よね〜、そうよね〜」
 目尻に皺が出来てるぞ?
「それにしても大きい。特大サイズだね。何キロあるんだろ?」
 再びスイカは響のもとへ。
 姉貴から受け取ったものを、洗面所に置いてある体重計の上にそっと乗せた。
 そのままあぐらをかいて。
「うぉ! じゅっきろ〜!! 大家族じゃねえし!」
 食べ応えあるなあ、と呟いている。
 全部食べる気らしい。
 そりゃ、どう考えても無理だろう。主食じゃあるまいし。
「半分、家に持ってけ……」
「あ、そうする〜。母さん、喜ぶな。やっほぉ〜ぅ!」
 どうみても、喜んでるのはお前だと思うのだが。
 いい音すんな、コレ、と。
 さっきから叩かれて、ポンポンといい音をさせてるスイカ。
 楽器のように扱われるのはこいつの運命なのかもしれない。
 もうそれこそ、どこかのミュージシャン的ノリで叩かれまくっていた。
 座り込んでいた響が姉貴を見上げる。
 相変わらずのバックミュージックつきで。
「で、も〜、ど、う、し、て、風呂なのぉ〜〜? ほっほ〜ぅ」
 あぁ、なんだか、日ごろの疲れが……。
 頭痛がしてきた。
「帰ってきても忍寝てるから冷蔵庫に入れるにもどうしていいのかわからなくてェ〜」
 ポコポコポコポコポコポコポコポコ!
 すっげー、連打。
「そ、れ、な、ら!! お風呂に入った後、お水を入れておけば冷えるわ〜〜、って。 ついでに氷も入れたから、ちょうどいい具合にひんやり食べごろよ〜」
 ポッコポコッ! 
「いぇい、ぇい〜〜!!」
「わぁお!!」
 お前ら……。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 あの後シャワーを浴びた響は、スイカにかぶりつきながら、笑顔でいかに驚いたかを報告していた。
「蓋が閉まってるから……。誰か入ったんなら、オレも入っちゃおうって思うじゃん。 開けてビックリ。ぷか〜って。オレ変なモン見つけちゃったのかとビビったよ」
 打たれまくったスイカ。
 これが普通の果物なら中身が傷みまくっているだろうが、そこはぶ厚い皮のおかげ。
 何も起こらなかったかのように、実崩れもなかった。
 そういえば切り方でも煩かったな。
 適当に切ろうとしたら、それじゃ嫌だと。
 響曰く、スイカらしさは半月にあるのだそうだ。
 端から端まで齧りつきたい、と小さく付け加えて。要するに、その食べ方が夢だったらしい。
「だって冷蔵庫に入らないんですもの。それにね、あんまり冷やしすぎると甘さがなくなるんですって。 お水に浮かべるぐらいがいいらしいのよ」
 姉貴がスプーンですくって口にいれた。
 だからって風呂……。
 人騒がせもほどほどにして欲しい。
 でも、ちょうどいい冷たさというか。確かに甘さが引き立つ気はする。美味いスイカだと思う。
「美味しいね、しーちゃん!」
 響が隣に座る俺に笑いかける。
「そうだな」
 応えると、余計に嬉しそうにうんうんと頷いて、またパクリと食らいついた。
 本当に美味そうに。
 豪快に食べてるのを見るのは楽しかったりする。
 それだけで充分というか、腹いっぱいになってきた。
 つか、飽きた。
 同じ味で……。
 小玉でよかったと思うのは俺だけかもしれないが。
「ご馳走様」
「えー、忍、もう食べないの?」
「上品な胃なんだよ、俺のは……」
「軟弱だね〜」
「繊細なの」
 あー、それわかる!、なぜか同意されたが、多分、意味も無く言ってるだけなのだろう。いつもそうだから。
 俺たちのやりとりを姉貴が笑みを浮かべて眺めていた。
 特に響に向ける視線は穏やかで、京子さんが息子に向けるのと同じ慈愛を感じさせる。
 母親のような心境なのだろう。可愛くて仕方がない、というように。
 そんな感情も、俺には遠く及ばないけどな……。
 そんなことを考えていると思わず笑ってしまいそうになる。
 姉貴は。
 俺の心を読んだみたいに、楽しげに口もとを綻ばせていた。

 まだ食べているふたりを残して、自分の皿をキッチンへ運ぼうと立ち上がった。
 黒い種をひとつずつ丁寧に取っている姉貴が、
「ねえ、ひーちゃん。桃と梨どっちが好き?」
 新たなるリサーチを開始している。
「えー、桃かな〜」
 カプカプッと、リズミカルな音をさせて、響が言う。手には、綺麗な歯型がついたスイカ。
 次の餌食は桃農園の若旦那に決定したようだ。哀れなり。
「あら偶然! 私も桃派なの。響は素直で可愛いわ……。忍も可愛いけどね」
 眉を寄せた俺に、うふふ、と明らかにからかいとわかる表情をして。
「ごちそうさま。さーて、おねえさまはお仕事お仕事。会計士さんに電話しなきゃいけないし。忙しいの。でも可愛い弟達の為に頑張るからね。 まあ、ひーちゃん、口の周りがすごいことになってるわよ?」
「ん。梨佳ねえ、仕事頑張ってね」
 笑いながら姉貴が立ち上がり、部屋へと戻っていった。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 最後まで食べてるのはやっぱりこの人。
 まあそれはいいのだが……。
「すっげーベタベタ」
「この汚さがいいんだって。しーちゃんもやってみなよ! こうやって、カプカプカプって食べるのやってみたかったんだよな〜」
 そしてまたリズミカルに。
 まるでリス。
 俺はそういう食べ方をしようとは思わない。汚れるのは嫌だし、そういうのを見るのも遠慮したい方だった。
 響だから許せる。
 他のヤツだったら、とてもじゃないが同じ空間にいることすら考えられない。
「もう食べるところ無くなったかな〜?」
 赤いところを食べ尽くし、口と手を拭いているのだが、残りのスイカに視線がいくところを見ると、まだ食べたりないのだろう。
「後は夕食後のデザートにしよ! あ、忍、何呆れた顔してるんだよ? 今日は、限界にチャレンジするから! ひとまず、ごちそうさまでした」
「どうぞ、お好きなように」
 何日かかるんだろうか、それを考えると可笑しい。
 ま、好きなように食ってくれ。
 新しいタオルを絞って持ってきてやる。
 立ったまま、はい、と渡そうとした俺に、
 悪戯っぽい眼で、んー、と差し出すから、やっぱりここはお約束で……。
 腰を屈めて、上から被さるように唇を重ねた。
 果物の瑞々しさを感じる口づけ。
 少しずつずらしながら、ゆっくりと舌で舐めとっていく。
 そしてまた元へと戻り、深く合わせた。
 貪るように何度も。
「んぅ」
 唇が離れると追いかけるように、椅子の上、少しだけ伸び上がる。
「一際、甘い……」
 下から見上げてくる響の頬が瞬く間に染まっていく。
「しの……」
 声も唇も微笑みも……。
 全てが。
 甘い。
 額をコツンと合わせた。
 艶やかしい綺麗な瞳が上目遣いに俺を見つめる。
 この瞳が映すのが幸せであればいい。
 そう願ってしまう。
「響」
 ゆっくりと閉じていく瞼に、キスをして。
 抱きしめた。

 ……これが夏の日の、きっとこれからも変わらない、ある日の出来事。

SS No33(2004/08/02〜08/05)
〜進捗状況にて暑中お見舞い短期連載〜
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