深読み、野々村君
「兄ちゃ〜ん」
 呼び声が階段を上る音とともに大きくなって、バタンとドアが開き、弟が顔を覗かせた。
「ノックぐらいしろっていつも言ってるだろ?」
「あ、うん。ごめんね。でもね、兄ちゃんのこと、呼んでるよ〜。『恭介はいるか?』 って」
「誰か来たの?」
 オフクロが買い物に行ってて、真ん中の弟も、友達とどこかに出かけたようだ。 オヤジはアメリカ赴任中だから、家には、俺と一番下の弟しかいなかった。
 俺は部屋で音楽を掛けながら、ネットをやってて、インターフォンが鳴ったことに気づかなくて。 手にしたせんべいをかじりながら、弟が「お友達じゃない?」 と言う。
 だけど、友達と言われても……。
 大体が苗字で呼ばれるから、名前で呼ぶ友人なんて、俺には見当がつかない。
「どんな人?」
「んー、かっこいい人だよ〜」
 この時点でちょっと嫌な予感がした。その高飛車な雰囲気が、ある人を思い起こさせる。
「まさか、な」
 開け放たれた玄関の先に、それが現実として、立っていた。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

「お客さんって宮前さん?」
 我ながら、見事に声がひっくり返ったと思う。
 だって、考えられるか?
 なんの用があって、俺んちに来るんだよ?
「ああ。お前にこれを渡したかったらしいから」
 らしい……、って。
 どういうこと?
 俺にはさっぱり、状況が読めないんですけど……。
 まあ、いいか。響が絡んでることは間違いないんだし、明日訊くことにすれば。
「あ、はい?」
 差し出された、ビニール袋を受け取る。恐る恐る中身を取り出すと、温泉饅頭と、優雅な筆づかいで書かれていた。
「ここ、行ってたんですか?」
「ああ」
「響は?」
 流された視線の先を追いかける。アプローチの先に、梨佳さんの車が止まっていた。
 ……ということは、あの中にいるのだろうけど。
 え? でも出てこないということは?
 この状況を把握する為に、考える。考えて考えて……。
 温泉旅行、行ってた?
 で、疲れて……。
「寝てるんですか?」
「ちゃんと、渡したぞ」 
 かみ合わないけど。
 ビンゴ!!
 ファンファーレが鳴りそうな気がした。
「はい。有難うございます」
「何、貰ったの?」
 さっきから気になってたらしい弟が、俺の手にしたものを横取りしようとする。
「おい、まーだ。あとでいいだろ?」
 こういう煩いのは、この人、嫌いだろう。いや、多分だけど。子供とか苦手そうだ。
 さぞ、嫌な顔してるんだろうな、と思いつつ、顔を上げると。予想を裏切る優しい表情。見てはいけないものを見てしまったような……、背筋をヒヤッとしたものが流れていく。
 わかんねえ……。
 つくづく、わかんねえ人だ……。
「渡してやれよ」
「はあ……。開けていいってよ」
 やった、と小さくガッツポーズを決めた弟が、リビングに戻ろうとして、「有難うございました」 と振り返って宮前さんに頭を下げた。
 よかった、礼儀だけは仕込んどいて。
「今のが、啓太か?」
「そうですが。あ!! 宮前さん、俺の名前、知ってたんですか? それに、啓太のこと?」
「悪いか?」
 ニヤリと口の端をあげた顔が、悪人に見える。
「意外だったもので」
「名前ぐらい知ってるさ。お前の弟の名前も、な。中二の邦彦に小五の啓太だろう? オヤジさんは、今、マンハッタン」
「……あってる」
 クイズじゃねえけど、この人が俺のことを知ってるというのが、あまりにも衝撃的で、他に言葉が出なかった。
 俺の反応は、宮前さんを満足させたのか、今度は綺麗に笑って。じゃあな、と車に戻っていった。

 見送った後、ネットをする気にもなれず、啓太と並んでリビングのソファに座った。 今起こったことを思い返してみる。
 目の前には、温泉饅頭が置いてあり、隣で弟が美味そうに饅頭を食べていた。 パリパリと破かれ散乱していた包みをひろげて見る。旅館の名前の入った、日本絵巻を思わせる豪勢な包み紙。 だけど、俺が気になるのはそんなことじゃなくて……。
 宮前さんが、俺の名前を知っていたということ、だ。
 響は一度だって俺のことを名前で呼んだことはない。
 そりゃあ、高校の後輩で、しかも、響の友人だから、普通は知っていてもおかしくないと思うだろう。
 だけど、不思議ではない、そうは言い切れないものがある。あの人に限って…って言うの? そういうのがあるんだよなあ。
「響が教えて。それを覚えてたのか?」
 それとも……?
 いやあ、これは、いくらなんでもドラマか小説っぽいよな。
 俺は考えることを止め、ひとつ、手に取り、口に放り込む。
 甘すぎないアンが、薄皮で包まれ、美味かった。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

「あの饅頭、食った? 美味かっただろ?」
 教室に入ると、俺が声を掛ける前に、響が近寄ってくる。
「ああ、サンキューな。でも吃驚したよ。一瞬、固まっちまった」
 あはは〜、と笑うけど、マジなんだよ。俺としては。
「だって、あの、宮前さんだぞ?」
 宮前さんが、温泉饅頭入りのビニール袋を下げて、玄関先に立ってたんだぞ?
 あの人の名前は、うちのクラスでも有名だから、もちろん回りに聞えないように、ボリュームを下げた。
「大袈裟だよ」
 よいしょ、と前の奴の椅子をこちらに向けた。
「そんなに意外かなあ。忍、普通に『渡したぞ』 って言ってたけど?」
「あの人の話し方は、いつでも普通だろ? 普通じゃないのは、お前が何かやらかした時だけだ。  ……って意外なのはそうじゃなくて、あの人がわざわざ俺のうちに寄ったってことだよ。 別に今日お前が持ってきてくれてもよかったわけだろ?」
「オレが帰りに寄りたいって言ったからかな……。生ものだし。忍なりに気を利かせたんだよ」
 深く考えもせず響が勝手に結論を出した。
 その気の利かせ方が怖いというか。なれない事しないで欲しいんだけど……。
「それより、包装紙に書いてあったけど。あの旅館ってすっげ、高級なとこだよな? どんな感じだった?」
「それがさあ……」
 満面の笑みで、露天風呂の話やら、食事の話をし始めた。
 それを聞きながら、俺は考えていた。
 どうしても引っかかっている事を。
 やっぱり、これはクリアにしておくべきだよな?
 ひととおり、話し終わったらしいところで、口にする。
「お前、俺の名前、宮前さんに教えたことある?」
「うん、言った。昨日の車の中でしたよ。三兄弟で、恭介、邦彦、啓太だよ〜って。 野々村が長男だって言ったら、『やっぱりな』 って言ってたし」
「年も?」
「うん、確か、言った」
「そうか」
 うんうん、と大袈裟に頷きながら応える響の動作が大きくて、なんだか笑えてくる。脳が揺れるぞ?
 疑問に思ってたこともあっさりと解決して、スッと気分が軽くなった。
 ということは、やっぱり、直前に響から情報を得ていたってことだ。
 いやー、俺はてっきり、響周りのことで調査されたのかと思っちまったよ。
 だってそうだろ?
 調べるくらい、あの人にとっては簡単な事なんだから。
 以前、宮前さんが誘拐されて無事に保護された後、あの人の父親が響のこと、調べたらしい。 あいつ、ショックだったろうに、それを俺に笑いながら言ったんだよ。「調べられたんだって。なんか疑われたのかなあ」 って。
 だけど、今は宮前さんの一番近い人になるわけだから、あの人と同じくらいの危険性はあるはずだ。 場合によっては、響の方が弱っちい分、確立は高そうだし。
 こいつの周辺に気を配ってても不思議じゃない。
「それがどしたんだ?」
「じゃあ、オヤジがマンハッタンに行ってることは?」
「え? それは知らないんじゃない? 言った覚え、ないよ? アメリカ赴任っていうのは知ってるけど……」
「げっ!!」
「何? どした?」
 鳥肌がたって、無意識に首を振っていた。
 うあぁ。
 やっぱり、調べてるんだ、あの人!
「あ、れ?」
 でも……。
 なんで赴任先の名前まで出したんだろう。響に訊けばそんなこと一発で、こいつが言ったんじゃないってわかるのに。
 口が滑った?
 いや、それはない。
 それなら、なんで?
 調べられるということ、を知らせる為……か?
 何か隠し事をしてもすぐにわかるぞ、とでも?
 そういう牽制?
 だけど、俺を牽制する必要なんてないよな。危険因子も無いし、もちろん響に手を出すこともない。というか、ありえない。 結局のところ、何も後ろめたいことはない。
 うむむ。
 不気味だ……。
 とにかく、逆らわないようにしよう。
 ああいう大企業には、黒い付き合いも多いって言うしな。隠し玉はひとつとは限らない。
「なあなあ、野々村〜」
 視線を上げると、すぐ! すぐ目の前に響のドアップ! 一歩間違えれば、キスの距離だ。 こんなこと、あの人に知られたら、暗殺でもされかねねえ。自分の命は惜しいんだよ。
「うっ! そんなに近づくな! おめーは、俺を早死にさせるつもりか!!」
「何、バカな事いってんだよ。ボケッとしてるから、呼び戻してやったんだろ? お前がいつもオレにやってることじゃん」
「ああ、そうでした!」
 吃驚させられたお返しに、首に腕を巻きつけきゅうきゅう締め上げる。
「ギブギブ〜〜」
 机をバンバン叩き、ちょっと涙目だ。
「はは、ごめんごめん。やりすぎた」
「痛いっつーの。なあ、さっき随分考えこんでたけど、心配事なら聞いてやるぞ」
「別になんてことねえよ」
「そか。ならいい」
 能天気な無邪気な笑顔に、振り回されるのは今に始まったとこじゃない。
 これからも、こいつとかかわってる限り、俺の神経が休まる日はないんだろうなあ……。

(2003/11/20)

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