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忍と響の一大事

 学校から帰ってきて自分の宿題を済ませたオレは、母さんからの預かりものを持ち、忍のマンションへと向かっていた。
 この辺りじゃ一際高い建物だから、少し離れたところからでも彼の部屋が確認できる。だからオレは、いつもそこを見上げながら歩いているんだ。
 いるいる〜。
 角部屋に明りがついているのが見えた。帰ってきてると思うだけで、自然と足取りも軽くなり、鼻歌なんか出てきたりして。きっと顔なんて、どうしちゃったのっていうぐらい締まりがなくなってるんじゃないかな。
 ……オレってほんとに忍のこと、好きなんだよね。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 大事な合鍵を取り出して、カチャリとまわす。
「お邪魔します〜」
 といっても返事なし。
 梨佳ねえは、いたら真っ先に出てきてくれる。来ないということはいないのだろう。
 それなら忍は、というと暇なら来てくれるけど、勉強してる時は割と無反応なことが多かった。今日も、レポートか何かを仕上げているのかもしれない。
「しーちゃ……」
 邪魔にならないように、小さくノックして。
 顔だけ覗かせ、来た事を告げようとしたんだけれど、忍の姿を見た瞬間、そんなことは頭の中からすっとんだ。
「忍っ!」
 力任せにドアを押し開く。
 バタンと音を響かせ開けられたドアが反対側の壁にぶち当たり、その反動でまた戻ってくる。それを腕で受け止め、オレは部屋に踏み込んでいた。
「ど、ど、どうしたの!?」
 忍はいつものように、パソコンの前に座っていて、横に置かれた分厚い本のページをめくっている。 オレの声に、ああ、と視線を寄越したが、またすぐに本に戻して。
「ああ、じゃないよ! その指!!」
 大変だ!
 大変だーーっ!!
 忍の人差し指と中指。そこに、白い包帯が何十にも巻きついていた。しかも右手だ。
「しーちゃん!!」
「落ち着け」
「だってっ!」
 これが落ち着いていられるかっつーの!
「だって、包帯ぐるぐるじゃん! 変なVサインみたいになってんじゃん!」
「痛くねえから」
 左の指と右の空いている指でカチャカチャと入力しつつ、平然と言ってのけた。
 そんなこと言ったって……。
 誰が見たって痛そうだよ……。
 忍の傍によると、湿布の匂いがする。病院の匂い。
 見慣れない包帯が、いやでも目を引きつけてしまう。
「しーちゃん……」
 はぁ、と小さく溜息を吐き、読みかけの本のページに、栞代わりのシャーペンを挟むとパタンと閉じた。それから、身体をオレの方に向け、下から見上げてくる。
「動かないように固定するのに巻かれてるだけで、ただの突き指だからすぐに治る。そんな顔するな……」
 包帯の巻かれていない、反対の指の背が頬に触れる。
 聞けば、構内を歩いている時、サッカーボールが飛んできたんだと。隣にいた川上さんに当たりそうだったところで手を出したら、指に変な風に当たってしまったらしい。
「すぐに治る?」
「ちゃんと医者にも見せたら。二、三日したら腫れも引くだろう」
「……よかった」
 それでも笑顔を作ることなんて出来なくて、誤魔化すように抱きついて首筋に顔を埋めた。
 だって。
 忍が怪我してるのに、笑えないよ……。
 貴方に何かあることが一番、辛い。
「少し休憩な。コーヒー入れてくれるか?」
 穏やかな声で問いかけられて、腕を解いた。身体を離すと、
「うん?」
 言葉を促すように、忍が首を傾げてオレを見ていた。
 温かな笑みを口元に浮かべて。
「ん……」
 オレの心を落ち着つかせるには、多分、これ以上の薬はないだろう。充分に効果的なもの。だから、笑い返せたのだと思う。
「いいよ」
 それにね。
 いつもは、なんでも自分でこなしてしまう人だから。
 きっと、こんな時でもコーヒーぐらい入れられるのだろうけど、オレを頼ってくれてるみたいで、なんだか嬉しかった。
「オレがいたら、そんなボール、華麗なヘディングで跳ね返してやったのに。残念だね、とっておきのオーバーヘッドを見せられなくて」
「お前、言ってることがわからない」
「今日の夕飯はオレが作ってあげるからね! 母さんのお土産。出張先で買ってきた魚の粕漬けを持ってきたし!  冷凍するようにって伝言頼まれてたけど、忍がこんなじゃ、ご飯の支度も出来ないもんね。  梨佳ねえいないし。オレがしなくて、誰がするって感じだし! しーちゃんは、なーーーんにも心配はいりませんよ? オレに任せて!!!」
 ついでにそう宣言したら、迷惑そうな顔をした。少し、いや、かなり……。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 そんな事を言ってしまった後で、ぴったりと忍に張り付かれているオレ。
 米を研ぐにしても、味噌汁を作るにしても『これは?、これは?』 といちいち聞いてる自分も自分だと思うけど。
 なんか遣りづらい……。
 でも見ててもらわないと、どうしていいのかわかんないし。
 なるべく忍のことは気にしないようにしよう。
 よ〜〜〜し。
 ファイトだ、自分!
 とりあえず、おかずがなくても食べられるものだけは確保できた、はず。米は炊飯器が炊いてくれるし。 味噌汁も味噌の分量が怪しいけど、なんとかなるだろう。あとは家から持ってきたものもある。 とはいえ、最悪、漬物と梅干と煮物で質素に、っていうのはあんまり考えたくないよな。やっぱり。
 そうなりませんように、と心の中で手を合わせながら、たくあんを切っていた。
 全て本日のメイン食材、土産のシャケとタイの焼き具合に掛かっている。
「おい、焼きすぎじゃないか? 焦げやすいんだから、ちゃんと見ろよ。そろそろいいんじゃねえの?」
「え? もう??」
 グリルの窓から覗きこむと、なるほどいいかも。なんとか焦げる前に魚を救出し、皿に引き上げる。
「オイオイ、崩すなよ」
「だって柔らかいんだもんよ〜〜〜! あぅっ!」
 真ん中から真っ二つ。
 これはまだいい方で、残りの三つは、ほぼ壊滅状態だった。
 これでも目一杯集中して、気を使ったつもりなんですけど……。
 隣から溜息が聞こえてくる。
「ほんと、不器用だな。まあ、今更か……」
 何、自己完結しちゃってるわけ?
 でも事実だけに反論できない可哀相なオレ。
 ……とこんなことで落ち込むようなヤワな人間じゃないもんね〜。
 フフン。
「はいはい、不器用ですよ〜っ」
 そんな風に開き直ることも必要なんじゃないかなと思うわけ。ここは気を取り直していきましょう。
「さ、ご飯にしよ!?」
 なんだか華やかさに欠ける食卓だけど。肉が食いたいんだけど。ばぁちゃん家みたいな渋さだけど。そんなことも気にしない。
 彼の背中を押して、テーブルにつかせた。ごはんや味噌汁を並べて、その隣にもオレの分を用意する。 いつものオレの指定席は、忍の対面。でも、今日は特別。だって、オレが食べさせてあげるんだから。
 一口の大きさにして箸にとり、彼の口に運ぶ。
「はい。魚から、どうぞ」
 なにすんだ?、と不審そうな忍。
「食べさせてあげる」
 にーっと笑うと、忍も諦めたように小さく笑って。オレが差し出したものを口にした。
 だけど、オレって箸の使い方が何か変みたいで、ポロポロ落ちたりするんだよな。豆とか、絶対に掴めない感じ。これじゃ食べさせる方も食べる方も緊張してしまうかも。っていうか、してるよね、既に。
 次はサトイモのにっころがし〜、と箸で挟んで。ついにその時がやってきた。
 器の中で、逃げ回るサトイモ。
 今日のコイツってやけにツルツルしてない?
 バランスを取りながら掴もうとしても、スルリと脇に逃げやがる。
 ムッとした。
 こうなったら、最終手段をとるしかない。
「……刺していい?」
 ああ、と苦笑気味に応えられ。
「じゃあ、お言葉に甘えまして。……捕獲成功! ハイ」
 ダンゴのように箸に刺さった芋を齧りながら、ボソリと聞かされたのは、
「時間が掛かりすぎて食った気がしねえ」
 という言葉だった。
 ごもっともです。
「でもさ、楽しいっしょ? オレは楽しいよ? しーちゃん、手のかかる子供みたいで」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやる」
 もごもごと飲み込んだ後に、片眉を上げた。
 それも、いちいちごもっともなんだけどさあ。
 わかってるだけに、癪に障る。
「オレがいなきゃ、ごはんだって食べるの大変だろ?! 右手が使えないんだから」
 口の端に独特の笑みを乗せたちょっとた間が、なんだか嫌〜な感じ。
「使えない……よね?」
 一応、確認。
 すると……。
 オレの箸を左手で取り上げ、トントンとテーブルで箸先を揃えて。つるっつるのサトイモを掴みあげた。 そして、パクリと口に含み、何事もなかったかのように咀嚼する。
「おぉ!!」
 不可能だと思われていたことを目の当たりにした時、人は、感嘆の声をあげる……。
 それを身をもって体験してしまった。
「器用すぎっ!!!」
 もちろん突っ込むことも忘れない。
「元々、左利きだったのを右に直したんだよ、子供の頃。だから左も使えなくはない」
「なんだよそれ〜〜〜。……早く言ってよ」
 我ながら拗ねた口調だと思う。確かにオレも聞かなかったけど。だけど、一言ぐらいあってもいいじゃん。
「別に、言う必要もないだろう? 今じゃほとんど右を主に使ってるんだから、咄嗟に出るのは右手だし。 この状態は、不自由に変わりはないわけ。それに……。お前に食べさせて貰うのもいいかと思って」
 手をぶらぶらさせながら、もう少しスピードアップしてくれたらもっといいのに、と笑う。
「だから、今日はお前に任せるから。いろいろと」
 いろいろと、に力が入ってますが?
 瞳が妖しい光を放ってますよ?
 オレの顔、かなり強張ってる気がした。
「まずは、一緒に風呂……。で、シャンプーと身体な。そこまでいったら、次はもちろんベッドだよな?」
 頬を両掌で固定し瞳を覗き込まれ、無理やり視線を合わせられて……。沈黙が続く。
 こう話しの途中で切られちゃうと、いろいろ考えるんだよ。
 この人は、今何を求めているのだろうとか。
 オレにどうして欲しいんだろうとか。
 忍の表情と照らし合わせながら、あーでもない、こーでもないって。
 彼といると、こういう場面が多くていつも脳がフル回転状態だ。 さぞや、オレの脳みそには皺がたくさん刻まれているに違いない。
 ……で、今は?
「今日はしません!!」
「いや、する」
「……しーちゃん、出来ないし」
「お前がして? 何から何まで。俺はしてやれないから、もちろん、自分で……」
 まさか!
 まさかぁぁぁぁ!
「それ以上は言わないで!」
「慣らしてもらわないとな……」
 ぎゅっと瞑った瞼の向こうから、予想通りのフレーズが聞こえてくる。
 オレには出来ない。
 だってそんなことしたことない。
 自分でなんて。
 果てしなく、無理なのに……。
「……そんな悲壮感、漂わせるなよ」
 くくっと喉の奥を鳴らすような声に、ハッとして目を開けると、彼の瞳が笑っていた。
 よかった……。
 冗談で。
 ……………………………………だよな?

SS No24(2004/05/13)

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