恋する心は複雑なのです

「今、悠人君、すんごい勢いで帰ってったけど……。逢うことになってたのか? お前、約束忘れてたんじゃ……」
 マンションのドアを開けた途端、先に着いていた武が困惑顔で言った。

 悠人が来ていた……?
 約束……。
 してない。
 もともと今日は悠人が来る予定も逢う予定もなかった。 悠人との約束だったら忘れるわけがない。何をおいても最優先なのだから。 だから武がここにいる。 「たまには俺の愚痴を聞いてくれ」、とぐだぐだ言ってきたのを、暇に任せて付き合うことにしたからだ。
 俺はつまみ担当でスーパーへ、武は酒屋へと、それぞれの分担を決めたのは大学からの帰り道。 場所を提供する方がつまみを買うというのが暗黙の了解で。 マンションに近い酒屋担当に鍵を渡して、暖房をつけておくように言付けていた。
 俺も適当に、乾き物系をメインに、焼き鳥なんかも買い帰ってきたら悠人が来ていたという。
 しかも俺を待たずに、すぐに帰っただと?
 なんでそうなる?
 普通はいるだろう?
 武に逢って満足したとか言われたら俺は泣くかもしれない。
「今っていつ! 俺、帰って来るとき、会わなかったぞ?」
 マンションから駅までは、わりと車も通る広めの道路だ。 細い脇道がないわけではないが、遠回りになるし、暗くて怖いから一度通って懲りたと、二度と通りたくないと聞かされていた。 今俺が歩いてきたのもメインの一本道。同じ時間、同じ道。擦れ違わなきゃおかしい。 悠人が意図的に変えたのでなければ……。
「お前、何か言った?」
「何も」
「何かした?」
「特に」
 俺の質問に首をブンブンと左右に振り、落ち着いたところでうーんと唸る。そして悠人がいなくなるまでの説明を始めた。
「ここに来たらさ、ドアのところで小さく丸くなって座ってたんだよ。この寒い中、随分待ってたんじゃないかな。頬が赤くなってたし。 中で待ってようよ、って鍵開けようとしたら、やっぱり帰る……って。止めるまもなく走って行っちゃったんだよな〜。なんでだろう?」
 なんでだろう、って、なんでだろう。
 俺が聞きてえよ。
 何がなんだかサッパリだ……。
「兎に角……。駅に行ってくる」
「いってらっしゃ〜い」
 武がひらひらと手を振っていた。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 いつもは使わない細い道を歩く。
 道端にゴミが不法に投げ捨てられ、夜ひとりで歩くには確かに薄気味悪い道と言える。 まるで犯罪を助長するような場所だ。 ところどころ切れかかっている街灯がチカチカと目障りだった。
 こんなところにいないでくれと願いつつ、視線は辺りを慎重に探る。
 悠人の姿を、声を、探しながら歩いた。

 そうこうしてるうちに駅についてしまった。
 とりあえず中に入らなければ。駅員に、人を探してると言ったら簡単に入れてくれた。
 ホームに上がり、見回してみる。
「悠人……」
 アナウンスに消される自分の声。
 電車が来た。
 まだ乗るな。
 見つけるから。
 探してやるから。
 そこにいろ。
 ひとしきり乗り降りが行われ、ホームに降り立った人の波が改札への階段へと流れていく。
 壁沿いに進むことで人とぶつかることを避けながら、ホームの一番前まで移動した。
 いつも先頭車両に乗る悠人。きっと今だって……。
 ホラ、いた……。
「悠人」
 置かれたベンチに座り込んでいた。
 小さな呟きに悠人が顔を上げる。
 一瞬浮かぶ、嬉しそうな色。
 待っていたのだとわかる。
 きっと来る、と。
 信じていた、と。
「颯……」
 それがすぐに戸惑いに変わり、瞳を伏せてしまった。
「どうしたんだ? 部屋で待っててくれればよかったのに。武がいただろう? こんな寒いところにいたら風邪ひく……」
 途中までしかない屋根は当然ここまで届かない。吹きさらしのホームでは風が容赦なく肌を突き刺してくる。 吐く息が白く煙る、凍えそうな冷気。こんな日、電車待ちの人々は、皆、階段付近の風の来ないところに避難しているからホームにいるのは悠人ぐらいなものだった。
 髪の毛の先まで震えそうな夜だというのに。 ひとりぽつんと真冬の空気に晒されている悠人が、寂しかった。
「何かあったのか? 武も心配してた」
 なんでもないと、小さな声が聞こえた。
「俺に逢いに来てくれたんだろう?」
「うん」
「それなら逢う前に帰るっておかしくないか? 変な悠人……」
 隣に座り、身体を寄せた。少しでも寒さから守る為に。ほんとは抱きしめたかったけど、それはさすがに諦めた。悠人も擦り寄ってくる。俺の肩にもたれるように、少し頭を傾げた。 そんな仕草が愛しくてたまらない。突然嫌われた、わけではなさそうだ。顔を向けて髪にキスを落とした。
「どうして? 何か気に入らなかった?」
 ゆっくりと首を振る。そしてしばらく続く沈黙。そのまま数分が過ぎる。それでも、悠人は黙ったまま、急にいなくなった理由を話してはくれなかった。
「あー、寒いなあ、悠人。……もう聞かないから。一度戻ろう。な? 帰りは俺が送ってってやるよ」
「……うん」
 今度は素直に頷いて、俺の後に立ち上がる。
 手を繋いだ。
 ポケットに入れていた手なのに、とても冷たかった。

 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

「おかえり〜。悠人君、吃驚したよ。部屋は暖めておいたから。君も早く温まった方がいいな」
 玄関を開ける。武がすぐにやってきて、俺と悠人が上がると、入れ替わるように靴をはいた。
「じゃあ俺、邪魔しちゃ悪いし。ビールは冷蔵庫に入れといた。次はお前が酒当番な? あ、鍵、鍵、カギ〜〜。ちゃんと返したぞ?」
 ニヤリと口元を歪め、預けておいた鍵を俺の手に押し付ける。
「ああ。わかった。またな」
「武さん……。ごめんなさい……。俺、すぐに帰るから。飲む約束してるんでしょう?」
 帰るという武に悪いと思ったのだろう。悠人が慌てている。
「いいの。こいつは。お前がここにいる限り、悠人を優先するのは当たり前。いつでも一番は悠人なんだから」
 背中からぎゅっと抱きしめると嫌がらずにそのままでいてくれた。
 可愛いなあ、悠人。
 ここは寒い。早く冷えた身体を温めてやりたい。
 早く帰れよ……。
 視線で催促すると、聡い友人は目の前で苦笑した。
「そうだよ。気にしない。気にしない。でもたまには俺とも遊んでね」
 子供に言い聞かせるような声音で頭をくしゃくしゃと撫でて。 最後はバイバ〜イと高らかに言って消えた。

 ドアをロックして、悠人をすっかり暖まっている部屋へと促した。
「あ、そうそう。俺、悠人に渡そうと思ってたものがあるんだよ」
 部屋に入り、小物が入っている引き出しを開ける。
 渡そうと思ってて忘れてたもの。
 やたらと武が連発してくれたおかげで思い出しただけなんだけど……。
 合鍵を手にして、後ろに立っている悠人にハイと見せると目を丸くした。
「どして?」
「約束しても俺の方が先に帰れるとは限らないだろう? 部屋にいてくれれば俺も安心だし。 もっと早くと思ってたんだけど、ごめん。忘れてた!」
 そう。
 もっと早くに渡してれば今日だって寒い中、待っていなくても済んだはずだ。
「それに、帰って来たときに明りがついてると嬉しいかなって」
 ほんの少しだけ、そんな願望もこめて。
「貰って頂けますか?」
 わかりやすく言ったつもりなのに、反応が薄い。
 まだ冷たさの残る頬を両手で挟むと、悠人がじっと見つめてくる。
 もしかしていらない、とか?
 物が無くなった場合、俺が疑うとでも思ってるか?
 それとも何か?
 鍵を預かるほどの関係じゃないとか……。
 うっわー、それってキツイな……。
 この期に及んでそれは勘弁して欲しい。
 それともそれとも……。
 これは報復か?
 待ちすぎた上に、来たと思ったら大好きな俺じゃなくて武だもんな。
 そりゃ拗ねるよ。
 ……違う?
 少し不安になってしまった。頼む。焦らすのは止めてくれ。
「聞いてる? なんでもいいから反応しろ」
「いいの? 俺が持ってても」
 その探るような声音は、持っていたいの裏返しだろう。
 良かった。
 ドキドキさせんなよ。
「こーら。悠人。何を聞いてたのかな?」
 掌に感じる体温が少し上がったと思うのは気のせいだろうか?
 ありがと、小さな声で呟いて。
「失くさないようにする」
 綺麗に綻んでいく表情に見惚れてしまう。
 ああ、待ってたのかな。
 俺、気づくの遅かったのかな。
 ごめんな、鈍くて。
 引越しと同時に渡せばよかったんだよな。
 だけど悠人が何も言わないから、そこに触れるのは止めにした。
「鍵、渡してるの悠人だけだから。間違えるなよ?」
 耳元に囁いてみる。
 特別の証が、指輪と鍵のふたつに増えた。
「……うん。ごめん。大好きだよ、颯」
 何を謝られたのかよくわからないけれど、深く突き詰めないことにしよう。
 悠人の機嫌も直ったみたいだし。
 このまますぐに帰すのは惜しい……。
 やはりここは愛を確かめあうのが、得策、だな。

SS No32(2004/07/27)

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