◆吸血鬼の住む館〜1◆
あの館には吸血鬼が住んでいる。 それは、今とは違う時代、今とは違う国のまことしやかに流れる噂――。 吸血鬼の住む館 いろとりどりの花が咲き乱れ、清々しい風が人々の間を駆け抜けてゆくアプリル王国は、豊かな大地と清らかな水脈、穏やかな気候に恵まれた小さな王国。 街は活気に満ち溢れ、凶悪な犯罪もなく――。 そして今日も平和に時は過ぎていくのです。 「いい匂いだなあ……」 うっとりと目を細めて、並べてあるパンの匂いを吸い込んでいる少年がいました。アカデミーに通う十八歳の少年で、名をヒビキといいました。 「おいおい、涎たらさないでくれよな」 ヒビキの様子に呆れた顔を見せているのがパン屋の若主人のワタルで、 「このクッキー、ちょうど焼きたてだからあげる。ちょっと待ってて」 嫌な顔ひとつせずニコニコとクッキーを茶色の袋に詰めてくれているのは、ワタルと一緒に店を切り盛りしているヒカリです。 「いいの? 有難う」 嬉しいな、とヒビキが笑顔を見せるとヒカリもふわりと綺麗な笑みを浮かべました。 「試作品だから美味しいかどうかちゃんと教えてね。それ次第でお店に並べるか決めるんだから。ノノ君は、今日、どうしたのかな? いつも一緒に帰ってるのに」 「アイツね、病気。なんか変なウイルスにやられたんだって。昨日から休んでてさ。オレ、これから見舞いに行くんだけどね」 ノノムラはヒビキの親友で一緒にいることが多いのです。なのでどちらかが欠けても、それを知っているものは心配になってしまうのでしょう。 「ノノ君の分もいれてあげるから、一緒にどうぞ」 「ん。了解」 「ヒカリのクッキーは最高だからな。よく味わって食ってくれよ?」 「わかってマス」 ニッと笑うと、つられるようにふたりの顔に笑顔の花が咲きました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ いい天気だな〜。 ポカポカとした陽気が気持ちよくて、ヒビキはつい立ち止まっては空を見上げてしまいます。 何度も何度もそんなことをしていて、フと気になったのは時間。時計を見ると既に四時を回っているではありませんか。 パン屋で長居をしてしまったせいでしょうか、それともハヤテの店でワインをご馳走になったせいでしょうか。 どちらにしても寄り道が多すぎたようです。 さあ大変。 「急がなきゃ」 急がば回れ……、誰かが言いましたがこの際、回ってなんかいられません。急いでいるからこその最短距離。 森を抜けることにしました。森といっても闇に包まれた恐ろしいものではなく、小さなものです。その道を通ることに問題がないこともないのですが、ヒビキはあえてその事実には目を瞑ることにしました。 黙って通り過ぎればいいんだから! そんな風に気合が必要な問題とはどんなことかと言いますと……。 森の出口付近に少し不気味な屋敷があり、噂によると、吸血鬼が住んでいるというのです。 コウモリが何千匹も住んでいるだの、近寄ったものは血を吸われて干からびてしまうだの、巨大な影を見ただの……、それはそれは恐ろしい話の数々を生み出している神秘の館。 たいして大きな森でもないのに人々が近づかないのには、そんなわけがありました。 でも大丈夫……。 「怖くなんかないし」 その割には微かに声が震えているようでも、 「誰も住んでないし!」 もう一度大きな声を出して自分を奮い立たせます。こんな時、ノノムラがいてくれたら、なんてことも考えましたがその本人のお見舞いなのですから、そんな甘っちょろいことは言ってられないのでした。 なんだかんだで歩を進めていれば目的の場所につくのは物の道理と申せましょう。 今、どどーーんとヒビキの目の前にあるのは大きな館。見るからにヤバそうな気配に足が竦みます。 ツタの絡まる壁は、壁面が見えないほどに覆い尽くされていて、微かに覗く窓の縁は元は金属だったのでしょうが今は錆びがこびりついていました。 窓からの日差しなど到底期待できそうもない外観は、何か得体のしれないモノが住んでいそうな雰囲気がビシビシ伝わってきます。 早く通り過ぎてしまおう。 それでも。 どういうわけか、深呼吸を二回ほど繰り返してみれば、何かに引き寄せられるように屋敷のドアに手を掛けていました。 もちろんここに用はないのですが身体が勝手に。 意思とは無関係なのですから当然ヒビキはパニックです。 うわ〜〜、やめろオレ!!! ドラキュラマジックかよ!!! まさに引力。 目をぎゅっと瞑ったまま、ギーーーーッと扉が開く音を、冷や汗をタラタラ流しながら聞いていました。 なんで開いちゃうんだよぅ! 泣きたくなるような光景です。せめて鍵をかけてくれれば諦めたものを。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 九十度内側に開いたドア。 身体全体に感じるひんやりとした空気にそっと片方の目を開けて、まずは確認です。怪しいものは……、いないようで。何かが急に襲ってくる気配もありません。 少し安心して両目をパッチリと開け、中をぐるりと覗いてみました。 「暗いよ……。灯りは?」 大きなシャンデリアが天井からぶら下がってしますが、そのスイッチがどこにあるのかわからないので諦めるしかないのでしょう。 開けっ放しにしたドアから太陽の光が入ってくるので、隅々までとは言えないまでも中の様子ぐらいはわかりました。 ヒビキの家がすっぽりと入ってしまいそうなフロアは吹き抜けで、馬車が通れそうなほどの幅をもつ階段が二階へと伸びています。 本の中でしか見たことのない貴族の館のようなそこ。 吸血鬼伝説の信憑性がヒビキの中で高まってきて、 「だれか、いますか〜〜〜?」 誰も答えてくれるな、そんな感じの小声で呼びかけています。 耳を澄まして返事を待てども……。 期待通り、返事はありません。胸をホッと撫で下ろしました。 吸血鬼がいるなんてデタラメなのです。明日はアカデミーで勇敢な話をしてあげよう、ヒビキはフフと笑いました。 それならば少し探索でも……、なんて思ったのが運のツキ。 もう少しだけ館の中へと進んで。 その時目に付いたのがだだっ広いフロアの隅においてあるベッドでした。 ぅおっ! 驚いたのも無理はなく、そこに黒い物体が見えてしまったのです。 ゾゾゾとまたしても背筋に冷たいものが流れました。 あれが、噂の吸血鬼の眠っているベッドなのでしょうか。 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ!!! 思いっきり後ろ向きになりました。ここは逃げるに限る、もちろんソレです。 しかし、ハタと気づきまた。ドラキュラの活動時間には早すぎると。 まだ日が出ています。夜行性という説が濃厚ですから、そうであるならば怯える必要はなさそうです。あくまでも文献情報ですが。 「だよな! どんな顔なのか見てやるか!」 強気です。 ソロリソロリと足音を立てないように近づいて……。 だんだんと寝ている姿が見えてきます。 上着は黒い服のようでした。闇に同化しそうですが、シャツは白なので確かにそこにいるのがわかります。しかも人型。 微かな玄関扉からの明りを遮らないように立ち位置に注意して、ベッドの横まで辿りつきました。 「わぁ」 思わず漏れた感嘆の声。 なんと美しいのでしょう。こんなに美しい人は見たことがありませんでした。友人の誰もが目を惹く容姿ですが、彼らの誰と比べてもダントツです。 見目麗しい青年。年は自分より少し上ぐらい?、そう思いました。 「綺麗」 スッと通った鼻筋、きりりと結ばれた唇。睫毛が長く、眉も理知的なカーブを描いています。 どのパーツも完璧で寝ていてこれなのですから、瞳を開けたらどんな風に変わるのでしょうか。 「見たい!! でも……。起きたら、オレ血吸われちゃうかもしれないし……」 激しいジレンマ。 吸血鬼って美人が多いって言うの。 それ、本当だな! 羽とか生えるのかな。飛べる? そんなことをグルグルと考えながら見ていました。 「見た目はオレたちと変わらないのに」 体温がないとか? フと確認してみたい衝動にかられた時、刻が止まりました。 「…………!!!!!」 パチッと目が開いてしまったのです。そして一言、 「うるせえ……」 低い低い声でした。 「ッッ、ギャーーーーーーッ!!!」 闇をつんざく叫びとはこのことをいうのかもしれません。 手足をバタつかせ。逃げようと思ったことは言うまでもなく、しかし思いのほか足は動かずに僅かに数歩後ずさっただけに終わりました。 その場でゼエゼエと息を吐きます。 その間に相手は気だるそうに身体を起こすとベッドの端に腰掛けました。 カツンと音をさせて靴を履いた後、優雅な仕草で足を組み、左手を項に当てコキコキと肩の凝りを解すように首を動かし。 そして、 「酸欠で死ぬぞ?」 眉を顰めたまま青年が口にすると、 「……その前に心臓発作で死にそうです」 心臓を押さえ、少年は泣きそうに答えました。 「お前、誰だ?」 「オ、オレ……、ヒビキ、十八サイ」 「フーン」 片眉をあげる青年。その黒い瞳に見つめられたヒビキは何故かドキドキが止まりません。 「あ、貴方は? あー、ドラキュラ伯爵?」 「………………」 首を竦めたまま、恐る恐る聞いてみましたが、どうやら相手の名前を間違えてしまったようです。 無言というのはなんとも大きなプレッシャーになるもので、ヒビキは慌ててバタバタと手を振り、訂正の意を伝えようとしました。 「ち、違うの? 伯爵じゃなかった……の、かな……?」 てへへへ。 愛想笑いつきの。 問題がそこかどうかは置いておいて。兎も角、相手を怒らせてしまえば、血を吸われて人間ではなくなってしまうという恐怖が先にたつ彼の脳みそはフル回転。 なんとか穏便に済ませたい、でも方法が見つからない……、笑ってはみたものの、ヒビキの表情はどんどんと暗くなってしまいました。 「シノブ」 「え?」 「名前」 「あ、シノブ……さん。だね。うん。教えてくれて有難う」 名前を教えあうということは、少しだけ近づけたということではないでしょうか。 少なくともヒビキはそう思っているので、嬉しくなってしまいました。満開の笑顔で応えます。 シノブには……、無表情のまま見つめられるだけでしたが。 「年は? あ、いいや四千歳とか言われても困るし」 ヒビキの知識ではドラキュラは年をとらないことになっているので、仮に四千年生きていられたとしても、そんな歴史を語られても困ってしまうだけなので聞かないことにしました。 「そんなに生きてるわけがない」 「そか。じゃあ三百年ぐらいなのかな……。とりあえず三桁で」 そのとりあえずの意味は自分でもわかりませんでしたが、そんなところだろうかとヒビキは思ったのです。 「面白いことを言う。だけど惜しいな。三百よりは上だ」 ヤッパリ!!!! 本物っだーーーっ!! 目をまん丸に開いたヒヒギの表情に、初めてシノブがククッと笑いらしき声を零しました。 |
2005/04/01
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