◆吸血鬼の住む館〜2◆
シノブが右手をゆっくりとひきあげました。掌を上にして、ちょうど目の前の人物に差し出すように。 薄明かりがシノブを照らしています。 「来い」、低く言われてしまえば抗うことなどできません。頭がぼーっとしてきて、言われるままに足を進めるだけです。 シノブのまん前に立つと、ちょうど見下ろす格好になり彼の顔がよく見えました。 真っ黒な、闇色の瞳は他のどんな瞳の色よりも彼の顔に似合っていると思えました。 夜が広がっているような黒い髪のせいでしょうか、それとも彼の纏う雰囲気のせいでしょうか……。 綺麗……、心の中で呟きました。 シノブがヒビキの手を取ります。 彼の後ろに長い剣がありました。眠る時でさえ放さないということでしょうか。装飾の施された見事なソレは、ヒビキの足よりも長そうでした。 これで斬られたら絶対死ぬ!、しかし恐怖は不思議と生まれません。 彼の手が温かかったから……、きっとそんな理由からです。 「ここに」 ヒビキは彼から視線を逸らすことなく隣に座りました。魔法にかかったかのようになすがままで。 魅入られたように青年を見つめる少年。 薄闇がひっそりと彼らの鼓動を包み込みます。 ぼんやりと頭の中に霞が掛かっていくようで、思考さえ途切れ途切れで。 だから、彼には次に何が起こったのか咄嗟にはわかりませんでした。 わかったのは顔が近づいてきたことだけ。 「……………………え?」 ゆっくりと離れていくシノブの顔。 笑いもせず、かといって怒っているわけでもなさそうな無表情。 もしかして夢? そう思ってしまうほどに彼の行動が理解できないのです。 唇に触れたのは、相手の唇。 一瞬の出来事は、くちづけだとわかるまでに数秒要したぐらいです。だとしても、そうされる意図がやはりわかりません。 どうしてくちづけされたのでしょうか……。 「ど、して……?」 「何が?」 何が? ……って。やっぱり妄想だったのかな? 普通はもう少し気遣いの反応であってもいいものではないでしょうか。 「今、唇、当たったような気がした…、から」 「それはキスだろう?」 「した?」 「した」 したのか……。 「……って。えぇぇぇ?!!!」 思いっきりテンポがズレてしまいました。しかしこれも仕方のないこと。なぜなら今までヒビキは誰とも唇へのキスなどしたことないのですから。 真っ赤になりうろたえるも、シノブは淡々としています。 彼が口にした理由は、 「甘い匂いがした」 でした。無闇やたらと…、というわけではないようです。 「甘い…?」 ああ……、アレだ。 思い当たったのはパン屋さんで貰ったクッキー。ヒビキは自分の手元に目を落しました。 袋を握り締めていること、クッキーを持っていたことさえ忘れていたのですが、言われてみれば甘いバニラの香りが微かにしました。 「ああ、なんだ。コレね」 こういう美味しそうな匂いにつられたのなら、なんとなくわかる……、いきなりのキスも相手の立場に立って考えたら妙に納得してしまいました。 匂いに誘われて、つい近づきすぎたのでしょう。 それならただの偶発的事故。だからもう気にすることはやめたのです。 急に、ニコニコしだしたヒビキにシノブが続けます。 「それに」 そんな彼の言葉を、ん? と見上げて促しました。 「……なんでもない」 しかし小さく首をふる彼は、それ以上の言葉を止めてしまいました。 ヒビキは「そう」と微笑みを返し、問い詰めることはしませんでした。言いたくないのならばそれ以上は聞かなくていいのですから。 「クッキー食べる? これヒカリちゃんの手作りなんだよ? ヒカリちゃんはワタルさんと一緒にパン屋さんをやってて、そこに寄ったらくれて。 ちょうどノノムラが病気だし、お見舞いにも行かなきゃならないから大目にくれたんだ」 シノブはただ眺めています。楽しそうに喋るヒビキを、袋の中を覗きこむ様子を。 「お、マーブル模様! これ試作だって。美味しかったらお店に並ぶんだってさ。でも絶対ウマイと思うんだよな、だってパンだってすごくウマイし、ヒカリちゃん天才だ、……ぅわっ」 クッキーを見ていたはずなのに今はシノブの顔があります。その上方は天井、豪華なシャンデリアまで目の端に映りました。 背中に当たるキルトの感触。 ベッドのスプリングがヒビキの身体を柔らかく受け止めてくれたのはわかりました。 押し倒された、という状況も。 そして……。 怖い、咄嗟に思いました。あまりにもシノブの冷えた表情に。 「な、……に?」 その微かな声に返される言葉はなく、唇が塞がれたのです。触れて離れて。 見つめたままのヒビキの目の前にシノブの手が翳されました。 睫毛に触れた掌は鼻の上を擦るように僅かに動いて。それはまるで見るなと言われているようで。 これから何が起こるか予想もつきません。煩くしたから怒らせてしまったのでしょうか、このまま殺されてしまうのでしょうか。 目をぎゅっと強く瞑ったせいで暗闇しか感じることが出来ずに、恐怖だけが心を支配しようとするのです。 明るい世界に戻りたいと、切に願い。 「助けて……」 震える身体は言葉までも震わせて。 その時、 「怖がるな」 耳に届いた声。 頬を撫でる掌。 「身体の力を抜くんだ。出来るな……? ……ヒビキ」 宥めるような声にあやされ、その手の温かさが優しくて。 徐々に震えがおさまってきました。 再び唇が押し当てられ、今まで与えられたものよりももっと強く口づけされました。 舌が唇を舐めていきます。 その濡れた感触に、背筋にゾクッとした痺れが走りました。 「ぁっ……」 思わず漏れた声、それを待っていたように開いた隙間から舌が差し入れられてきました。 口腔を探るように動き回る舌は、上顎を辿り左右の粘膜を撫でていきます。 その度にくすぐったいような、ゾクゾクする感覚に身体がざわめいてしまい、ヒビキは彼のわき腹あたりのシャツをぎゅっと握り締めました。 送りこまれてくる唾液は喉へと流れ、飲み込めない分は口の端から零れて……。 これが大人のキス。 何がなんだかわからないままこんなところまで進んでしまったヒビキは、ただされるがままで。応えることなど無理で。 シノブはどうしていいのかわからずにいるヒビキの舌を捕らえ、絡めてきます。吸ったり噛んだり、そんなことを繰り返してくるのです。 「っ、んっ」 喉が鳴るのは苦しいと伝えたいからなのに、一向にやめてくれる気配はありません。 それどころかますます激しくなっていくようで、角度を変えながらのくちづけは続き、飢えを満たすように休むまもなくヒビキを攻め立てます。 「ぅ……っん……」 深く浅く出し入れされる舌。 くちゅくちゅと唾液が泡立つ音。 それが思い起こさせるのは、経験がなくても知識で知っている行為。 カーッと身体が熱くなりました。耳も、頬も火照っていくのを自分でも感じました。火照る、そんなもんじゃ済まないかもしれません。 きっと笑えるぐらいに赤いに違いなく、それでも止める術を知っているわけではない彼はひたすら我慢するしかないのです。 シノブの手が身体つきを確認するようにわき腹や胸の辺りを撫で上げてきて。 「んっ、んんっ、……んぁ、……ぁあ」 息継ぎの合間に漏れる、感じるままに喘ぐ声。 それが己の発する声だと気づいた時、羞恥にうち震えました。しかしその一方で身体は興奮していくのです。 やめて欲しいと願う声が、鼻に掛かる甘い吐息にしか聞こえなくなり……。 下半身にズクンと衝撃が走りました。 「っ……っ……はぁっ」 本能のままに扱きあげたら、どんなに気持ちいいことでしょう。 想像するだけでイってしまいそうです。 キスをしながらイくことなど夢のまた夢でしかなかったわけですから、健康なる少年は甘美な誘惑に抗えなくなっていました。 たとえ相手が可愛い女の子ではなく、それが男で、しかも回りから恐れられている吸血鬼の館の主人だとしても、今のこの官能的な刺激からは逃れられそうもなく、ヒビキは涙目になりながら身体をくねらせました。 「ぁっ……あぁ」 触りたくてたまらなくなくて、自分の手を動かしていると、シノブの膝がソコを軽く押すように刺激しました。 すかさず走る電流。ビリッとある一点から発せられた電流はつま先までジンジンとした痺れを伴いながら全身へと流れていきます。もしもこれが毒でも甘んじて受け入れてしまうでしょう。それほどの快感。 瞬間的に身体を強張らせ。 シノブの腕を掴んでいた手に力をこめます。 「くっ……ぅっ」 唇も噛み締め、波をやりすごそうとしてイヤイヤをするように頭を振ってみます。 キスからも逃れ、浮かされた瞳で己を組み敷いている人物に目をやりました。 同じように見返され。 また、ちゅっとキスをされました。 「きついだろう?」 何がと言わずともわかっています。もういっぱいいっぱいな己の下半身事情。 しかもいつの間にかズボンの紐は解かれていたようです。 ヒビキの穿いている服は腰の部分の両脇を革紐で編み上げてあるタイプのもので、脱ぐ時にはその紐をいちいち外さなくてはならないという面倒くさい……、しかしこれが一般的なものなのでした。 それが、ヒビキが全く気づくことなく、スルスルと解かれているではありませんか。 「こんなになってる」 窮屈だった彼自身が余裕で勃ち上がれる状態になり、 その手際の良さに半ば唖然としてしまいますが、すぐに正常な意識はまた欲に染められていくのです。 相手の手が彼のモノを掴みました。 「ぁあ…っ」 初めて感じる他人の手。 温かなそれが自分のものを握り、揉みしだく感覚は、まさに魅惑の世界。 息が止まるほどの興奮。 「ぅっ――、――っ、……はぁッ!」 頭の中が真っ白になるとはこのことでしょう。 イくっ!! 透明な雫が濡らす先端を、丸く指の腹で擦られた瞬間に、それこそ二度三度と触られただけで、放っていました。 咄嗟にとめようとして己の手を相手の手の上に重ねました。自身の脈動を感じながら、零れないように両手でしっかりと包んで。 その状態で、あることに気づきました。 シノブの手を包み込んでいること、その彼の手が一番被害を被ってることに。 「ごめっ」 慌てて放すとシノブは微かに目を細め、下唇を食むように啄ばみ、軽く吸って。ちゅくっと言う音とともに離れていきました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 整わない息のせいでヒビキの胸が上下していました。 潤んだ瞳がシノブを見つめます。 シノブはそれを真正面から受け止めて、この衝動の正体を探ろうとしました。 何故、くちづけたのか……。 何故、止めることができなかったのか……。 本能の暴走。 全て奪いたくなったことを、シノブは否定できませんでした。 それならば、何故……? シノブは手についた白濁をベッドヘッドにかけた自分の上着から出したチーフで拭っています。 ついでのようにヒビキの手も彼自身も面を変えながら拭ってくれて。 一目でシルクとわかる光沢。 柔らかな手触りはそれを確信させ、ヒビキは驚きの眼で汚れていく白い布を見つめました。 シルクといえば一般には手に入らないとても高価な品なのです。 「気持ちよかった?」 シノブの言葉に我に返りました。 開け放たれたドアから入る頬を撫でる優しい風。 花の香りを乗せた爽やかな風が、今起こったことが現実なのだと教えてくれました。 キス。 そして。 思い返せば、うわ言のような嬌声やそれ以上の恥ずかしい行為まで鮮明に浮かんでしまい、真っ赤になりっぱなしで元の顔色に戻る暇さえなさそうなヒビキです。 「どうして? こんなこと……。くちづけはこんなに簡単にするものじゃないと思ってた……。 触りあったりするのも、好きになってから少しずつ進んでいくものだと思ってた……。愛がないと……。 貴方は、オレが好き、なの?」 紡がれる声は小さいけれど、確かにシノブのもとには届いていました。 「いや」 「それなら」 「…………好きな人などいない」 愛する人とすればいい……。 その言葉を言えなかったのは、告げられた言葉のせい。孤独を感じさせる声の色のせい。 単純に、「好き」と思える存在がないのだと、そう感じました。 例えば、父や母、ノノムラやパン屋の主人達、バーの主人にバーテンダー、アカデミーの仲間、先輩後輩……。 ヒビキの周りにはたくさんの人がいて、嫌いな人を探すのが難しいほど、好きな人だらけです。 しかし今のこの青年にはそういう感情自体が欠落しているようで。 寂しい人だと思いました。胸が痛くなるほどに悲しいことなのです、ヒビキにとっては。 「こういうのは……、好きな人、とした方がいいと思うから。誰もそういう人、いなさそう? 仲間とかは?」 吸血鬼が人でないとするならば、同じ仲間の中にいるかもしれない、そう思いました。こんなに綺麗なのですから。仲間もさぞ綺麗だろう、とも。 仲間?、と少し考える素振りを見せ、それから首を振りました。 「友達、は?」 「いない」 はっきりとした物言いは実際にそうだから、なのでしょう。 余計に切なくなってしまいました。 「お、オレと友達になる? オレのこと、好きになってもいいよ?」 最後は冗談っぽく言いました。 シノブは特に嬉しそうではありません。それでも構わないのです。 友達への第一歩としては剣を振り翳されないだけマシだと、あくまでもポジティブ思考で問題解決です。 「オレ勉強しなきゃいけないし、ちゃんと家もあるからずっとここにはいられないけど……。だけど遊びにきてあげる」 そんな彼に、 ふわりと、 シノブが少しだけ笑いました。見惚れてしまうほどの微笑みを間近に見せられ、キスの時とは別の種類の胸の高鳴りを感じます。 この、身体の奥底から湧き上がるものの正体がなんなのか、ヒビキにはわかりません。 それでも決して不快なものではなく、 翻弄されっぱなしだったさっきとは違う、穏やかなドキドキ感を感じていました。 見ているだけで幸せになれそうな気がする、こんな感情が嫌なはずがありません だからシノブのすることに抵抗する気がおきなかったのでしょう。それどころか、もっと受け入れたいとさえ思いました。 「俺のものになれ。……違う。俺のものにする……。お前を」 首筋に唇を寄せて、舌を這わせて舐め擦れば、 「っ、……あ……はぁ……っ」 ヒビキの身体は正直に反応を返してきます。甘く零れ落ちる吐息。キスで高められた欲望の再燃は早いのです。 その反応を楽しむように動く唇から逃れる術は? この疼きをどうしたら止められるのかを考え、 手触りのいいキルトをぎゅっと握り締めていると、それに気づいたシノブがヒビキの手を自分の首に回しました。 抱きついてろ、ってこと? その何気ない仕草が嬉しいと思う自分。抱き合うということが、こんなにも嬉しいと感じてしまうのは……。 ヒビキはシノブを見上げます。 意識せずとも緩んでしまう頬に、シノブがキスを落してくれました。 フワフワとした気持ちに目を閉じます。 そうすればまたキスしてくれる……。 そんなことを期待してしまうとは、どうしちゃったのでしょう。 どうなってもいい、そういう気分は危険だとわかっていても温かなこの場所から抜け出すことができないのです。 「俺に抱かれてみるか……?」 問いのようで問いでなかったのかもしれません。 ヒビキの答えを待たずに、首元にチクッとした刺激がありました。 ああ、オレ、吸血鬼になっちゃったんだなあ……。 噛まれると仲間になるという伝説を、ヒビキは快感に包まれながら思い出していました。 無防備に自分に抱きついている少年からは、太陽の匂いがしました。 甘いお菓子の香りと、温かな日向の匂い。 子供のから屋敷に篭りがちだったシノブにとって、それは懐かしいというよりも、憧れに近いのかもしれません。 ひとりで行動することが許されない環境では、思い切り駆け回った記憶すらどこにもないのです。 早い段階から己の感情をコントロールすることを強いられ、何事にも諦めることを覚えた子供は、青年になってもただ現状を受け入れるだけなのです。 窓の向こうの青い空、風に揺れる緑の草原、色とりどりの季節の花たち……。そこにある存在は、多くの人々にとっては笑顔の元となるかもしれません。 けれど、シノブにとってはなんの意味もありませんでした。今までは。 突然、この少年が目の前に現れるまでは。 こんなにも弾けた笑顔を見るのは初めてで。 輝いていて。 あまりの眩しさに眩暈を起こしそうでした。 だから、 自由に飛び回る鳥をカゴに閉じ込めるように、この人を閉じ込めてしまいたいと。 自分のものにしたいと。 シノブは、そう思ったのかもしれません。 |
2005/04/01
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