酷い男  1


 古ぼけたアパートの一室で、ひとりの青年がラジオから流れる英語に集中するように、耳を傾けていた。
 今年の春、都心の通訳専門学校に入学したばかりの彼は、学校に通う傍ら、アルバイトをし、決して暇とはいえない毎日を過ごしている。
 水嶋春久。
 すっきりした顔立ちが、時折、寂しげに憂いを帯びる。

 綺麗と言われる風貌で、女心をそそる要素満載にもかかわらず、意外にもこれまで恋愛経験は皆無だった。
 その理由は彼の性的嗜好にある。女性は駄目なのだ。好きになるのはきまって同性で。 憧れの人がいなかったわけではないが、田舎の閉鎖的な空気の中では自分から言い出すことは難しく、 ひたすら心を隠しては遠くから見るに留めるだけだった。
 そんな彼にも、はじめて恋人が出来る。
 いや、いた、と言った方がいいかもしれない。 それが果たして恋人と呼べるかどうか春久にもわからないのだから。
 今も付き合いはある。週に一回は逢う間柄。今でも彼の事を好きなのは変わらない。
 それは恋人なのだろうか……。
 一ヶ月前なら、確かに恋人ではあったと胸を張って言えただろう。

〜 〜 〜 〜 

 ラジオの海外ニュースが別のニュースに切り替わる。そのタイミングでちょうど携帯が鳴り出した。 名前を確認しなくてもわかってしまう。こんな非常識な時間にかけてくるのは章正しかいないから。
 ボタンを押し、耳に当てるとやはり彼の声がした。
『しも〜〜し、もしも〜〜し』
「はい」
 ハハー、と高笑いの後、
『俺。俺〜。終電がなくなっちってよ〜』
 酔っ払い特有の陽気な声が続き、
『迎えに来てよ? えーと。ここはですねぇ、』
 用件のみを告げた後、一方的に通話が切れた。彼の零した溜息さえ相手に通じる間もなかった。
「まったく勝手なんだよ」
 疲れた風に呟く春久。
 迎えに、というからには当然車で、ということだ。この場合、ふたりで歩きたいということではないのだから。
 春久は車を所有していない。それにもかかわらず章正が電話してくるのは、彼が春久に自宅の鍵を預けてあるからである。 一緒に住んでいるわけではないけれど、日常生活において掃除など身の回りのことをしている春久は、車の鍵がどこにあるのかも把握していた。
「運転するのあんまり好きじゃないのに……」
 それでも彼は言われるまま、脳裏に地図を描いてしまう。
 つけたままのラジオが世界情勢を伝えてくる。それを止めると部屋の中が静寂に包まれ、己の発した声が思いの他大きかったことに驚き、独り言の音量を下げる。
 携帯を持ち、財布をジーンズのポケットに入れ、時計を見て……、と流れ作業的に出かける準備を整えた後、
「二十分で着くのかな……」
 まるで留守録のような章正のメッセージを頭の中で再生し、車を取りに彼のアパートへと向かった。

〜 〜 〜 〜 

 駅のロータリーに車を入れると、駅の階段に座っている章正の姿が目に入る。 それと同時にひとりではないこともわかった。
 車に気付いた彼がゆったりとした速度で歩いてくる。隣に座っていた女性も、長いサラサラの髪を弄びながら、彼の後を当然のように着いて来た。
「おっせぇよ! おかげで酔いが冷めたじゃねぇか」
 車を降りると同時に出る文句。
 人を呼んでおいてその態度はないだろう。文句は春久の方が言いたいぐらいだったが、言い返せばその倍のスピードで返されるのは目に見えていたから我慢した。
 自分勝手で、春久の話など聞きもしない。
 それでも、知り合って間もない頃は会話が成立していたと思う。少なくとも、春久の意向を伺うぐらいには。
 章正は変わってしまった。
 春久にその理由がわからないわけではない。
 章正は別れたいのだ、自分と。身体を繋げたことを過ちだと思っている。 関係が切れることを望んでいる。だからことさら酷い扱いをするのだろう。
 あとは春久が心を決めればいい。笑ってサヨナラと言えるように。しかし彼にはその一言がどうしても言えなかった。
 まだ、彼を愛していた。
「これでも急いだ」
 小さな呟きに、章正がフーンと軽く流す。
「まあ、いいや。彼女、送ってかなきゃいけないから頼むな」
 頼むという言葉の割に、全然頼んでない強引な瞳が告げた。
「ねぇ、章正〜。早く帰りたいわ」
 豊満な胸を彼の腕に押し付け、しなだれかかる彼女から女の匂いがした。強烈なフェロモンだと思う。香水と相まって、その瞬間、春久の背筋をゾワゾワと得体の知れないものが這い上がる。 吐き気がして、胸を押さえた。
 気持ち悪い……。
 さっさと運転席に戻り、窓を開ける。
 どうか彼女の家が近くにありますように……。
 この匂いにどれだけ持ちこたえられるか自分に自信が無かった。
 女性特有の甘ったるい雰囲気が春久に激しい嫌悪感を抱かせる。 それが性癖と何か関係あるのは定かではないが、自我が目覚めて以来、そういう体質だと自覚していた。

2004/11/13

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