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蒼い瞳のサンタ〜後編〜

「おおー、かわいいじゃん」
 綱島は仔猫を抱き上げ顔を覗き込んでいる。そしてスラリとしたしっぽを伸ばし、満足げに目を細めた。
「いいよー、そっくりだよ。おまえ名前あるのか?」どうなの? と日吉に答えを求める。
「ないよ」
(名前、つけてるくせに。うそつき)高野はジロっと日吉を見るが、日吉は決して視線を合わせようとはしなかった。
「じゃあ、早速貰ってくわ。猫用品はあるからいらねーし。そのダンボール、くれな」
 それは高野たちが出かけている間、仔猫のベッドとなっているもので。その中に入れられた仔猫は、見知らぬ他人に怯えたように縮こまっている。
 じゃあ! と。そして玄関のドアが閉まる。
「あ、」待って、と伸ばした手はそのまま宙にとどまり、「行かないで」と叫びそうな悲痛な想いは口から出ることはなかった。
「日吉?」
 呼ばれて振り向いた高野は霞んで見える。
 瞼を閉じると、ポロポロと音を立てて床に落ちていく。
 止められなかった。
 次から次へと溢れてきて。
 靄の向こうのその顔も辛そうで。
 躊躇せず、制服の胸を両手で掴み声を上げて泣いた。
「空…………そ……ら………そらぁ……あぁぁぁぁ……………ッ」
 肩を震わせ仔猫を呼び続ける。今にも壊れてしまいそうな日吉に、胸が苦しくなる。それでも、どうすることも出来ずに、高野は日吉が落ち着くまで、ずっとそのままの姿勢で立ち尽くしていた。



 仔猫の居ない部屋は、静寂に支配されていた。ほんの小さな手のひらぐらいの存在でも、大きな喪失感が心を覆う。
 仔猫は日吉にとってここに居る事のできるたった一つの『理由』だった。  それを失ってしまった。存在理由がない以上、ここにいるわけには行かないのだ
 『飼えない』全ての出発点はここだった。ひとしきり泣いた後、荷物をまとめに部屋に入って行く。
 高野は引き止める言葉が言えず、和室に入る日吉の後姿を見ていた。
 あっさりと仔猫を引き渡す事に同意した日吉が信じられなかった。
 離れたくないと、一緒に居たいと、あの呟きは何だったのか。裏切られた気がした。 それが自分勝手な言い分で、日吉がそうするしかなかったとはこれっぽっちも思わず、心に巣食った黒い怒りは日吉を責め続けている。
 きっと冷静に判断してくれる人がいたなら、その怒りの矛先は違うだろと指摘してくれただろう。
 しかし、今の高野にそれを考える余裕がなかった。
 高野が、自分が仔猫を飼うと宣言していれば。昨日思ったことをすぐに実行していれば。
 日吉が、想いを口にしていれば。
 もしかしたら違う方向に進んでいたかもしれない。
 気持ちは言葉にしなければ伝わらないのだ。お互いの想いは、一度は交差してまた遠く離れていく。歩み寄らなければ、それは決して二度と交わることはない。
「送ってく……」
 日吉を後ろに乗せ、バイクを走らせる。そこに言葉も笑顔も無かった。
 公団のいつもの場所に止めると、日吉の瞳が高野を捕らえ、ありがとうと小さく呟きすぐに自分の家に向かって歩き出した。
 振り向くこともなく。
 全ての絆を断ち切るように。



 次の日は終業式だった。クラス中が沸き立っている。
 十二月二十四日……クリスマスイブだ。
 口々に今日の予定を語り合っているのが聞こえてくる。
 日吉は窓の外を見ながら、ぼんやりしていた。
「ねぇ。高野くん。今日予定ある?」
 高野という言葉に反応してその方向に視線を投げると、艶やかなロングヘアが印象的な鷺沼香織が高野に話しかけていた。
「別に」興味なさげに高野が答えている。
「じゃあ、みんなでパーティーするんだけど、来ない? お店は貸しきってあるのよ」
 私達も行くのよーと他の女子が声を揃えている。
「他のヤツラは?」
「綱島くんは用事があるって。後は他のクラスの……」そこにあがった名前は全て女子生徒に人気の男子生徒達だった。
 顔で選んでいるのは一目瞭然。ましてやクリスマスイブだ。気合を入れて誘うのも分かる。
「ねぇどう?」自分の可愛さを誇示するような舌足らずな声。
「…………用もないし。いいぜ、行っても」
 高野は日吉の方を見ない。
 優しくされる事の気持ちよさ。
 一度知ってしまった心は、もっともっとと欲深くなる。
 まるで子供の独占欲だ。もうそれを失いたくない。
 そして、何より一緒にいるのが心地よくて、包み込まれるような安心感を感じていた。
── あの暖かな瞳は今日から違う人のもの。
 胸がキュっと痛んだ。ここ数日感じている痛み。
 気づかない振りをしていた気持ち。
 かなわぬ想いをはっきりと自覚した。
── スキ
 なんだ。
── でもだからってどうなる?
 何も変わらないし、変えられない。
 日吉は想いを振り切るようにふるふると頭を振ると、小さな溜息を一つついた。
 その時、綱島が声をかけてきた。
「なあ、日吉。携帯もってるだろ? 教えてよ。タマに何かあったら知らせるから」
「タマ?」
「昨日の仔猫だよ。タマって名前にした」あはは〜と笑う綱島に苦笑がもれる。
「もうちょっとかわいい名前つけてほしかったな」
「何言ってるんだよ。日本古来、伝統の名前だろ? サザエさんちの猫だってタマだろ。白いし」
「そうだけど」ふふふと笑う日吉。綱島の顔に驚きの表情が浮かぶ。
「何? ボクの顔に何かついてる?」じっと見つめられ、怪訝そうな声が出た。
「あ、いや、ごめん。あんまりおまえの笑った顔って見たことなかったから。でもいいよ、もっと笑えよ」
「おかしくもないのに笑ってられないよ」でもその表情は柔らかで。
「じゃあ、俺が笑わせてやるよこれから。いろんなネタ仕込んでくるから待ってろ?!」
 すっかり日吉が気に入ってしまった綱島は、空いていた前の席に跨ると 「じゃあ、親友の記念に番号交換からはじめましょう」と真面目な顔で携帯を取り出した。
 早く早くとせっつく委員長に仕方ないなぁという表情の日吉。
 その様子はやはりクラス中の視線を集めていて。 でも日吉はもう気にならなかった。高野から貰った一言「気にするな」と。 変わる努力をしよう。自分から光の中に入っていこう。そう決めたから。
「ボクの番号はコレだよ」今まで他人の名前は誰も入っていない携帯。
 それの一番目が綱島になった。
「キミが初めてのリスト入りだね」
「へぇー、意外だな……俺の番号は。今かけるから待ってて」
 綱島が今しがた教えてもらった番号を押すと、すぐに日吉の携帯がなった。ワンコールで切ると液晶に番号が表示されている。
「ちゃんと登録しておいてくれよ」
 登録ってどうやるんだっけ? 日吉が携帯相手に格闘している間に、綱島の意味ありげな視線は高野を捉えていた。 高野も二人のやりとりを見ていたから、当然、視線は合う。
「出来たよ、綱島クン。これでいいんでしょ?」ちゃんと登録でき事に満足のいった日吉は、液晶部分を掲げ嬉しそうに綱島に見せている。
「そうそう。やれば出来るじゃない」くしゃくしゃと柔らかい茶色がかった髪に手を入れた。  元々猫っ毛の日吉の髪はそうされただけで癖がついてしまう。日吉は文句を言いながら慌てて手櫛で整える。
 綱島が再びチラッと彼の様子を窺うとその視線はすでに外されていた。

 終業式が終わると皆それぞれに帰っていく。その顔はみな明るい。成績が良くても悪くても明日からは楽しい休みだ。
 高野は香織に腕をとられ、出口に引っ張られていった。
 他の女子は後を追うように高野の周りを囲んでいる。
 ひときわ高いその後姿。
 自然と目で追ってしまっていたことに苦笑する。
(バカだ。ボク)
 今、出て行ったらまた下駄箱で合ってしまうだろう。それは避けたい。昨日からの気まずさはしこりとなって残っている。 休みが終われば少しは普通に話せるかもしれない。でも今は。自然に振舞えない。どうすればいいかわからなかった。 結果として出した結論は『顔をあわせなければ済む』事だった。
 教室の外からはまだ香織達の楽しげな声が響いてきていた。他のクラスが終わるのを待っているのだろう。 そのままパーティー会場に向かうつもりなのかもしれない。日吉はカバンから一度仕舞った読みかけの本を出した。
その時、
「帰らないの?」綱島だった。
 どう答えようか迷っていると、「帰ろうぜ。途中まで」手に持った本を勝手に取り上げカバンにハイハイハイと仕舞っていく。
「じゃあ、みんな、来年ねー」と声高らかに言い放つと、日吉をぐいぐい引っ張って廊下に出た。隣の教室の前には数人に囲まれている高野がいる。
(一番逢いたくないのに)
 そんな日吉の気持ちなどお構いなしに、掴んだ手を緩めようとせず高野の方へと歩いていく。
「高野ー。またな。連絡するから携帯の電源入れとけよ」にこにこして高野に話しかけている横で日吉はずっと視線を先に這わせていた。
「ああ、またな」
「行こうぜ、日吉。なあ、帰りに何か食っていこうぜ」
「う……うん。いいよ。じゃあね、高野クン。さよなら」しっかり高野の顔を見て少し微笑んで。心臓は破裂寸前ぐらいドキドキしていたけど。
(ちゃんと言えた。よかった)
 ほっとしたのも束の間、すれ違う瞬間、空いている手を掴まれた。
「!」驚いて高野を見上げる。咄嗟に掴んだのだろう、自分でも吃驚しているようだった。慌てて外すと、
「おまえも行かない? 一緒に」
 それを聞いていた香織が『もう人数揃ってるのよ』と小声で言っているのが耳に入った。
「ごめん。今日クリスマスイブだし。ボクにも予定があるんだ。一緒には行けないよ」
 目の端に香織の安心した顔。
「高野クン、パーティー楽しんできて。じゃあ、鷺沼サンもまたね」
 いつもは見せない穏やかな表情に香織も見惚れているようで。一瞬、間が空き、
「ごめんね、日吉くん。今度一緒に行きましょう」少し困惑顔だがバイバイと手を振る姿は女の子独特の可愛らしいものだった。
 小さく頷くと、綱島に行こうとせっつかれ、そのまま二人で並んで歩いて行く。 楽しい話題が見つかったのか、日吉が綱島を少し見上げるように笑顔で喋りかけていた。 その横顔は窓からの日差しで明るく照らされ輝いて見える。
 やがて他の教室から出てきた生徒達によって二人の姿を見失ってしまったが高野はその方向から目が離せなかった。
── 孤独な日吉と朗らかな日吉。
── どっちが本物?
── 自分にだけ見せていた『もうひとりの日吉』
(今は俺だけにじゃないんだ)
 鉛のタマを飲み込んだかのように腹の底がズンっと重い。
(バカだな俺。……手、離しちまった。)
 思わず苦笑が漏れる。「じゃあ、行きましょうか?!」いつの間にか面子が揃ったらしく香織の明るい声で現実に引き戻されたのだった。



 綱島とファーストフード店に来ていた日吉は、これからの事を考えていた。
(ケーキでも買って帰ろうかな)
 日吉の父と母は共働きで、夢のマイホームを手にする為、毎日遅くまで仕事をしている。クリスマスであろうと関係なく、今日も遅いだろう。 だから家にいても一人だ。
「用事あるんだ?」
「え? 用事? って??」何のこと? と首をかしげる。
「さっき用事があるって言ってただろう」
 高野に聞かれたときだ。もちろん嘘、だけど。それを言うのは躊躇われた。なんか惨めな気分になるから。嘘をついたところでそれが変わるわけではなかったが。むしろ空しさ倍増だ。
「あ……ああ。あるよ。だからもう帰るよ」
 綱島はじっと日吉の顔を見ていたが、日吉は視線を合わせる事が出来ずに横を向いた。直視していたら心を見透かされてしまいそうで。
「綱島クンも予定があるんでしょ。もう帰ったほうがいいんじゃないかな。待たせたら悪いよ、相手の人」
「あれは嘘。彼女とは別れたばっかだし。あんなパーティーなんて性にあわねーし。だから日吉でも誘おうと思って」  第一、あんなに目をぎらきらさせて相手狙ってる奴らの中にいたくないんだよなあ、とコーラのストローを口に入れて言う。
「ボク? どうして」
「さぁな。……あ、誤解すんなよ、愛とか恋とかじゃないからな! 俺、女好きだし。別に男同士でパーッと騒いでもいいじゃん」
 慌てた様子で否定している綱島の様子に思わず笑顔がこぼれた。
「わかってるよ。でも今日は帰る。親が待ってるから…………約束してるから。ごめんね。……誘ってくれて有難う」
(ほんとは一人になりたくない。誰かに一緒に居て欲しい)
 でも一緒に居て欲しいのはきっと誰かじゃない。たった一人の人。
 だから最後まで見え透いた嘘を突き通す。
 わかったよと優しく言われ、もう一度ありがとうと小さく呟いた。



 店の前で綱島と別れ、駅前のケーキ屋で小さなホールケーキを一つ買った。いちごが乗った生クリームのたっぷりかかったやつだ。 それから本屋により小説を二冊と、スーパーで夕食にするチキンを買い、誰もいない家に着いた。
 コタツに入り早速買ってきた本を広げる。
 いつもはすぐに架空の世界に没頭できるのに、今日は何故か集中できなかった。
「寒い……」
 外を見ると、いつから振り出したのか白いものがふわふわ落ちてきている。
「雪だ」
 窓を開け、手を伸ばしてみる。掌に落ちた雪は、その瞬間解けて消えていく。しばらくそうしていると、手の中に水溜りが出来た。 それを逆さにして雫を落とすと再び窓を閉めた。
 暖かいコーヒーでも作ろうとキッチンに向かいかけた時、携帯が鳴った。
 表示されているのは、綱島の番号。
「もしもし? 綱島クン?」
「日吉? ごめんな急に」早口で喋る綱島の声から緊迫感が伝わってくる。
「何かあったの?」
「タマが逃げ出した」
 兎に角来い、と指定された所は高野のマンションの前。
 街路樹には薄っすらと白く降り積もり、道路の雪はシャーベット状に姿を変え、車が通るたびにシャリシャリと音を立てていた。 ジーンズに跳ねの上がることなど気にせず駅から五分道のりを全力で走る。 高野のマンションの前には、綱島がひとり立っていた。その手には携帯が握られ、誰かと話をしている。 日吉に気がつくと、ちょっと待っててという風に手を挙げ、電話を切るとコートのポケットにつっこんだ。
「高野にも連絡した」
「でも、今パーティーの最中」
「関係ないね」電話でやりあったのか、少し声に苛つきが感じられる。
 そのままマンションの前で待っていると高野が駅とは反対方向から走ってきた。 サッカー部で鍛えている高野は、普段、滅多に息を乱すことはない。その彼が、頬が紅潮して荒い息をついている。 それだけでかなりの距離を走ってきたことが分かる。
「それで……どうしていなくなった?」体を折るように膝に手をついて、息を整えていた高野が、顔だけ綱島に向けて問い詰めた。
「窓が少しだけあいてたんだよ。そこから出てったみたいで。家の中探したけどいなくってさ」
 ほんとにゴメンと日吉と高野に頭を下げる。
「いないもんはしょうがねー。すぐに探すぞ。でもなんでここに集合してんだよ。おまえの家どこだ?」
 高野に言われて綱島が指をさしたのは、マンションからほぼ五軒先の洋風建築の一戸建て。
「じゃあ、絶対この近くにいるな。綱島は自分ちの家の周りをもう一回探せ。側溝もちゃんと見ろよ。落ちてっかもしれねーからな。 それから日吉。日吉! 聞いてんのか?!」
 肩を揺さぶられる。ハッと顔を上げると、高野の心配げな表情が目に入った。
「あ、うん。ごめん。ボクはこっちの公園を探すよ」そこはマンション前の小さな公園。樹が多く、仔猫の隠れ場所にはもってこいの場所に思えた。
「じゃあ、俺は綱島の近所の家に聞いて回ってみるよ。誰か保護してるかもしれないからな。ちっちぇーからそう遠くにもいかねーだろうし。 とりあえず三十分後にまた集合な」
 おぉー! と妙に元気な雄たけびを上げた様子に高野は片眉を上げたが、日吉はそれどころではなくひたすら仔猫のことが気にかかっていた。
 そしてそれぞれ仔猫探しへと散っていった。

 日吉は、低めの生垣で覆われた公園の中に入っていった。そこには滑り台、動物の置物、鉄棒などが置いてある。
 雪が降り初めてから誰かが入った形跡はなく、一面白い世界のままだ。仔猫の足跡一つついていない。もしかしたら降り続いている雪に隠されてしまっているのかもしれない。 少しの痕跡も見落とさないように、念入りに周りを調べ始めた。
 滑り台の下を覗き込み、土管を横たえたような遊具の中も見た。
 『空』の名前を呼びながら。日吉の中では『タマ』ではなく『空』だから。
(いない)
 大きな樹の根元。生垣の下も四つん這いになるようにして探す。膝をついて、手をついて。汚れることとか寒いとか冷たいとかそんな感覚は既に感じなくなっていた。 ひたすら探し回った。
「そら!……そらぁ!………っ」
 呼び声はだんだんと大きくなり、呼んでは耳を澄ます。だが返される声はなく、真っ白だった世界には日吉の足跡だけがついていた。 空を見上げるとまだ降り続いている雪が目の中に入り、それが解けて目の端から流れ落ちる。涙色の雪。
「日吉?!」公園の入り口に高野がいた。三十分たっても戻ってこない日吉を迎えにきたのだ。
「空は……仔猫はいた?」力なく首を横に振られ涙がとめどなく流れる。
「…………っ……う…………うぅ………空がいない……。いなくなっちゃった…………たか……のぉ」
 静かに歩み寄ってきた高野が日吉を強く包み込む。高野のコートもひんやりしてる筈なのにその腕の中は何故か暖かく感じた。

 マンション前に戻ると、日吉の姿を見た綱島が目を瞠り、申し訳なさそうな表情で立っている。
「ごめんな」
「ひとまず、身体を暖めないと風邪ひいちまう。部屋に戻ろう」
 高野の言葉に、
「ボク、もう少し探すよ。平気だから。仔猫がこんな雪の中ひとりでいたら死んでしまう! 探してあげなきゃ。きっと……ないてる。淋しくてないてるから…………ッ」
 心細げに揺らめく瞳に高野の胸がツキンと痛んだ。
 その言葉は日吉自身にも思えたから。
 自分で壁を作って、独りでも大丈夫と偽っている心。
 ほんとはすごく淋しがり屋で。
 探して欲しいと、独りはイヤと泣いている。
「わかってる。またすぐに探しに行くから。とりあえず着替えよう、な」頬に流れる涙を指ですくい、労わるように背中に手を回す。
「───うん」
「綱島はどうする? 一緒に来るか?」
 それに慌てて手を振ると、「近いから帰るよ、また出るときは連絡くれ」というや否や、踵を返し走って家に帰っていった。
「変なヤツ」
 七階でエレベーターから降りると、目に入ったのは高野の部屋の前に置かれた茶色の箱。
「あれ!?」
 見慣れたダンボール。
 日吉が駆け寄る。上部には小さな穴が数箇所開けられており、蓋はガムテープで閉じられていた。
テープをそっと剥がすと、中から出てきたのは、首に赤いリボンを巻いた真っ白な仔猫。ブルーの瞳で見上げている。
「みゃあ」
 空? と呼ぶと仔猫はまたみゃあと返事をする。日吉は抱き上げ頬擦りし、きゅっと抱きしめた。
「綱島のヤツ。騙しやがって」
 仔猫と一緒に出てきたのは『Merry Christmas!』のカード。裏には『Present for you』。 ダンボールの底は、使い捨てカイロがいくつかと、その上にはかわいい模様の毛布が敷かれ、仔猫が寒くないような配慮されていた。
 結局、仔猫失踪騒動は、ふたりの醸し出す雰囲気に気づいた綱島が全て計画したことだった。 仔猫を飼うというのは本気だったらしいが、情が移る前に作戦を実行したのだ。



 最強で稼動されたヒーターのお陰で、部屋は瞬時に暖められた。
 熱いシャワーを浴びた日吉は、高野の用意してくれたトレーナーとスウェットを着てソファに座り、じゃれついてくる白いかたまりの相手をしている。
「なんか手が込んでるね」
 すっかり綱島に振り回された事など意に介さず、仔猫が手元にいる日吉は嬉しそうににこにこ笑っている。
「この雪の中、走らせやがって。日吉だってびしょぬれだったじゃないか。倒れたらどうするつもりだったんだよ。まったく」
 怒り覚めやらずといった高野。携帯を片手に相手を呼び出すと怒鳴り始めた。 一通り吐き出すと、今度は相手が捲くし立てているらしく、黙って聞いている。
「…………ああ。うるせーよ。もう切るからな。じゃあ」
 切った携帯をソファにポンと放り投げ、自分もシャワーを浴びに浴室に向かった。 それから一分とたたず、今度は日吉の携帯に着信した。
「綱島クン。ボクは大丈夫だよ。でも仔猫はどうするの?」
『ごめんな、騒がせて。仔猫は悪いけど返す。うちにいるより、おまえ達のところにいた方が幸せなんじゃないかな。 ずっと怯えたように蹲ってるし。仔猫の中では日吉たちが飼い主なんだろうな。』
「でもボク飼えないし。高野クンだって迷惑だから。また里親探さなきゃいけない」
『迷惑だって言ったのか?』
「言わないけど」
『きっとアイツ、その猫飼うつもりだったんじゃないかな。見てればわかるよ』
「そうなのかな」
『ああ。不安だったら聞いてみろよ。口に出さないと伝わらないんだからな。……おまえたち見てるといらいらするんだよ。うまくやれ、じゃあな』
 耳元で突然切られた音声に顔を顰めるが、それでも綱島の言葉は耳に残った。
 同じようにトレーナー姿で出てきた高野は、日吉の隣に座り、携帯のストラップにパンチを繰りだしていた仔猫を目の前に掲げると、
「俺、コイツ飼う事にしたから」
「え?」
「ほんとは決めてたんだよ。でも綱島と日吉とでさっさと決めちまうし。腹たって……余裕なくなって…………。ごめんな。すぐに言えばよかったんだけど」
「ボクも言葉が足りなくてごめんね。……気まずくなってすごく悲しかった。キミに………… キミに無視されるのはすごく辛い…………他の誰かに無視されるより、心が痛くて…………苦しくて…………」
── だから
── 好きになってなんていわない
── 嫌いにならないで
「お願い、嫌わないで」それは囁くような声。
「なあ。俺…………。おまえが綱島と仲良さそうに話してるの見ててすごく嫌だった。携帯の番号交換してるのも。教室から腕掴まれて出てくるの見たときも。 並んで廊下歩いてるの見るのも。……綱島に、綺麗に笑いかけるのも。嫌なんだ。俺にしか見せなかった笑顔が他のやつに向けられるのが我慢できない。 …………どうしてかな」握り締めた拳を解いて手を見つめていた。「どうしてだろう…………俺、変だ」
「ボク。綱島クンの事、好きだよ」高野の手が再び握り締められる。 「でも、高野クンとは違うんだ。キミがスキ。ずっと一緒にいたい。いつまでも」
「キスしていいか?」小さく頷いて、瞳が閉じられた。
 唇に触れるだけのキス。
「どうだ? イヤ?」
 至近距離で見る日吉の瞳は髪と同じ茶色の瞳だ。
「イヤじゃないよ。心がきゅっとなる感じ」
「俺も。ドキドキする」
 ふふふと笑いが漏れた。おでこをこつんと合わせて、笑顔がこぼれる。
「好きだ……。おまえは俺のもの。俺が守る。誰にも渡さない」
「キミもボクのもの?」高野の頬を両手でそっと挟み、今度は日吉からキスをした。



 イブの夜は更けていく。すでに二十五日になっていた。
 仔猫は、まだ暖かいダンボールベッドで仰向けで寝ていた。無防備なおなかを突付いてみても起きる気配がない。 その姿を高野がデジカメでカシャカシャ撮っている。立派な猫バカの誕生である。
「あ、折角のクリスマスイブなのにケーキもチキンも食べてないね。キミはパーティーで食べたんだっけ?」
 デジカメを構えている高野に向かって少しだけトゲを含ませて話しかける。
「途中で呼び出されただろ? あのバカに」
「じゃあずっと居たかったんだ。可愛い子ばっかりだもんね」
 ハァーっと溜息をつき、
「別に。可愛いと思わねーもん。暇だったし。いらいらしてたし」
「でもパーティーってどんなのかな。ボクも誘われたら行ってみようかな」
「駄目!」即答。
(それは絶対阻止だな。鷺沼達、絶対誘ってくるだろうけど)
 廊下での一件以来、パーティーの席でも日吉の事をいろいろ聞かれ煩かったのだ。
 どうやら微笑みにやられてしまったらしい。
 普段はきりっと結ばれている唇が笑うと、綺麗な弓なりになる。
 それだけで印象が大分違うものだ。 ましてや、日吉の場合、謎だらけな性格の持ち主だけにもうちょっとつっこんで知りたいと思わせるのだろう。
(あいつらの事だ。新学期早々、煩くいってくるに違いない)
 それを思うとうんざりする高野だった。
「なんでよ。いいじゃないか」
「あーいうとこは酒が飲めなくちゃ駄目なの。飲めるのかよ?!」
 酒に弱い日吉はビール一口で真っ赤になるタイプだ。しかも「高校生は飲んではいけません」という常識的な事が浮かんではこないのは何故だろう。 途端に項垂れてしまった。
「今日、ケーキとチキン買ってうちでパーティーすればいいだろ?」
「うん、それならいいよ」明るい表情が戻った日吉は、他にもツリーを買うだの予定に余念がない。
「それより仔猫の名前だけど。ちゃんとつけてやらないとな」
「名前なら、ボク」つけてるけど。首を傾げ、続けようとした言葉は遮られた。
「俺考えたのあるんだ。すっげーぴったりの名前」やけに自信満々の高野にちょっとイヤな予感。
「どんなの?」
「サンタ!」
 一瞬、間があき、
「はい?」聞き返してみるが、戻ってくる答えはやはり「サンタ」で。
「やだやだやだ。空には『空』って名前があるんだから。第一女の子なのに、なんで髭面オヤジの名前なんだよ!」
「だってクリスマスだろう? サンタはプレゼント持ってやってくるんだぜ。だから決まり。」腕組みして満足そうだ。
「プレゼントは仔猫だろ? 自分がプレゼントなんておかしいじゃないか!」
「違うだろ。仔猫が持ってきたのは、」
─── 日吉真人
── 仔猫サンタは、高野にひとつプレゼントを落としていきました
── それは高野をとっても幸せにしてくれるモノでした
「うわー。バカだね。恥ずかしくないの?」それでも頬は赤く染まっている。
「ちょっと恥ずかしいな……」あははーと誤魔化すように笑う姿に、日吉も嬉しそうに微笑んだ。
「でもサンタは却下! もう空で決まってるから」


 その日から、仔猫には二つの名前がついた。
 日吉が呼ぶときは『空』。
 高野が呼ぶときは『サンタ』。
 賢い仔猫はどちらの名前にも「みゃあ」と答えているらしい。

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