Honey〜前
「ああ。だから行けないってば。どうしてかって? そんなの決まってるだろう? 今この腕の中に世界一可愛い恋人が……」 はあぁぁ?! 大声を上げそうになり慌てて口を噤んだ。 だっていきなりそんな素っ頓狂な声を出したら電話の相手に変に思われるだろうし、日高さんだって困るだろうから。 だけど言わずにはいられない。 誰相手にその腐った台詞を吐いてるんだっつーの! 信じらンねえ! それなら音にしなきゃいいだけの話で、俺の心の中では大音響で罵声を浴びせてる最中だった。 アホだ、バカだと繰り返し、のほほんとした声にかぶせるように畳み掛ける俺。 自分の眉がだんだんと寄っていくのがわかる。同時に頬が火照ってくるのも。きっと耳まで赤いだろう。 「久しぶりのふたりきりの時間だからね。邪魔されたくないんだよ」 ひー。 いかにもな惚気に俺はあたりを見回した。なんだか穴があったら入りたい気分なのはどうしてだろう。 確かに土曜日の昼間は貴重な時間と言えるだろう。 だからといってそんな堂々と言うのはやめて欲しい。 相手はそんな惚気は聞きたくないと思う。というよりそれを客観的に聞かされる俺の身にもなって、って感じ。 「うん? 昼間だろうが関係ないと思うけどな。恋人達に昼も夜も……。……、ああ、わかってくれて嬉しいよ」 自分の耳を覆いたくなるセリフが、俺の頭上から後から後から落ちてくる。 チラと視線を上げると目があってしまった。 わー、笑ってるよ。 は、恥ずかしいヤツ。 あまりにも恥ずかしくて、すぐに逸らした。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 俺達は日高さんのマンションで対戦ゲームをしていた。 初めはこの部屋にゲーム機なんてなかったのに三回目ぐらいだったかな。これ買ってみた、と既にセッティングされてて驚いたことを覚えている。俺がゲーム好きだから。そんなことだけで決して安くない機械を買ったという。暇な時に一緒に出来るからって。携帯ゲームにしてもそうだ。自分じゃやらない癖に、わざわざダウンロードしてたりして。 すごく自然にそんなことをしちゃう人。 携帯のはそんなでもないだろうけど、機械は何万もするだろう? それを聞いた時、確かに嬉しかったけど、その反面そんなに気を使わせてごめんねなんて殊勝にも思ったりして。 でも、 『やってみると面白いね……、これすぐにクリアしちゃったよ?』 なんと俺が一週間かけてクリアしたゲームをたった二日で制覇したと言うではないか。その瞬間、申し訳ない気持ちは木っ端微塵に吹き飛んだ。なんかね、ゲーマー魂に火をつけられた感じ? こーんなド素人に負けてたまるか! それから来るたびに自分の家からいろんなゲームを持ってくるようになり、今日もここに着くなり始めたのが格闘系の対戦ゲームだった。 直接ラグの上に並んで座ってテレビの前に陣取って。 技の応酬。一進一退。かなり白熱したいい試合だったように思う。 そこに鳴ったのが携帯電話だった。 プレイを一時中断し、日高さんは俺達の後ろあるソファに長い足を組みながら座り、相手と話し始めたんだ。 どうやら今から出て来ないかという誘いのようで。 何て答えるのかな、なんてちょっと聞き耳を立てていたら聞こえたセリフが今も耳に鮮明に残っている「今この腕の中に世界一可愛い恋人が……」というものだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ あーあ。つまんね。 日高さんが電話中で、することもない俺は無意識に唇に指をやっていた。 今朝から気になってた唇の乾燥状態。でも、頻繁に口元に手を持っていくのもみっともない気がするからしないようにしてたんだけど、油断すると気になるところって触っちゃうよな。 カサカサしてる。 唇の皮が浮いてるし。朝より酷くなったかな? 指で触って引っ張ってみたけど、まだ頑丈についてるからやめた。無理にはがして血が出るのもいやだし。 そのうち切れるかもな。俺がキレた時に……! ……なんてな。 「どんなに大切かなんて。わかるだろう? ……その通り。なんでもするね」 ははは、と楽しそうに笑う声。 電話はまだ終わりそうもない。 はあ。 なんだよ……。 早く終われよ。 つまらなくて、手元のコントローラーをむやみに弄くっていた。 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 日高さんが俺の髪を撫でている。指で摘んでくるくると巻くように絡めていたり。長いわけではないからすぐに指の先から零れるけれど、こうするのが好きみたいでよく触られていた。顔を上げ後ろに捻ると、彼の柔らかい笑みがある。つられて微笑んでしまいそうな、そんな穏やかな色が浮かんでいる。 電話の向こうの人を相手しながらも、ずっと俺を見つめていたのかもしれない。 それは悪い気はしないけど。いや、むしろ嬉しいんだけど。 「え? ダメダメ。言ったろう? 今はふたりの時間だって。この人は俺のだから。話し相手なら他の人にしてくれ」 それにしたって、腕の中とかふたりの時間とかってどうよ? そんなセクシャルな状況じゃないのに相手はそうはとらないだろう。この思わせぶりな口調は今やってます、今からやります、そのどちらかだと思う。 実際そういう関係だから仕方ないのかもしれない。そんな風に割り切ることも必要だろう。でも、ワザワザ看板掲げて歩くような真似をしなくてもいいじゃないか。 ……とまあ、俺がこんな複雑な心境でも、それをこの人に求めるのも無理というのもわかってる。 現に今もすごく楽しそうだし。 せめて俺のいないところで話題にしてくれよ。 癪に障るから一時停止を解除して日高さんが使ってたキャラをぶちのめすことにした。彼の使ってたコントローラーを手元に手繰り寄せ、体勢を整えて。彼に視線を流すと「ん?」というように目で問いかけてくる。それを無視してゲーム開始。 よし、いけっ! そして数秒もしない内に、殴られっぱなしの日高キャラが宙を舞い地面に落ちた。ファンファーレが鳴り響き俺のキャラがガッツポーズ。 瞬殺! 操作する人がいないんだから当たり前だけどね。 「ぁあ〜っ!」 情けない声をあげる彼に気分がスッとして。思わず笑いが零れていた。 フフンだ。いい気味。 チラと後ろを向くと、こらこらって目で見てる。手招きもされた。でも態と知らん振りをする。フンって横を向いて立ち上がりかけた時、彼が身体を伸ばして俺の腹に腕を回した。そして引かれて。 「うあ、あっ」 ストンと日高さんの胸に背中から落ちるような格好になり、でもそれが彼には好都合だったらしい。そのまま抱きかかえられてしまった。 離せ! まだ電話中の彼に、唇を動かし声に出さずに要求する。 「え? 今の声? なんだか知りたい?」 やーめーろー! 駄目だ。彼の目、笑ってるし。 「ここにいるよ?」 喋りながら顔をくっつけてくる。携帯を俺の耳に近づけるように。そうすると相手の声がはっきりと聞こえてきた。俺を脱力させるに充分な悪魔の声が。 『ちょっと! 日高君!』 予想はしてた。 初めは誰からのものなのかわからなかった電話だけれど、なんとなくその言い含めるような話し方というか、俺を見ながら喋る口調から俺が知ってる人間なんだと思った。 つまり立川さんか川上さんか、あとは元カノ。その中で一番可能性が高いのは川上さん、貴方ですよねやっぱり。 『やだ……。ほんとに、きょうちゃんの喘ぎ声じゃないでしょうね』 「はっきりとは言えないな……」 「喘いでるわけねーだろっ! つかアンタ、その思わせぶりはなんとかなんねーのか」 日高さんの声に被るようにして思わず叫ぶと電話の向こうから、 『あ、きょうちゃん久しぶり〜。今ね、きょうちゃんと話させて言ったのにすごーく簡単に断られたのよ。酷いと思わない?』 これまた能天気な声がした。 俺の怒りも気にならないらしい。 そういう人だよな、この人の友達って……。 マイペース。 カタカナにすれば良さそうに聞こえるそれも要は自分勝手というわけで。類は友を呼ぶんだ。なんたって宮前さんの友達だもんな、とこれは大分前に悟ったこと。 『ひとつの携帯を仲良くふたりで聞いてるなんて。その体勢が気になるわ……』 「だから俺の腕の中に…イテッ。殴らなくても……」 こんどは本気でボコってやる。あのキャラのように。 「ちょっと機嫌が悪くなってきたようだからそろそろいいかな」 『なんだかお邪魔みたいね、私』 「うん。だからそう言ってるだろう、初めから」 爽やかに肯定してるし。 邪魔とかそういうんじゃないけど弁解するのももっと墓穴を掘りそうで黙っていた。沈黙もまたあの人達には恰好の餌なんだろうけどね。 どっちに転んでも俺はからかわれる運命なんだな、きっと。 SS No40(進捗にて 2005/03/03〜03/04) |
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