愛してるって言わせてみせて〜後編

 メールが入って確認すると、
『今、下にいる。すぐに開けて』
 という簡潔な文章がきていた。
 いつもはちゃんとインターフォンを押してくれるのに。
 なにか変だなと思いつつ、オートロックを外して彼がこの階まで上ってくるのを玄関ドアの前で待っていた。
「もっと前に連絡くれれば迎えに行ったのに」
 その声にもチラと視線を上げただけで。
 ちょっと不機嫌そう……。
 俺、何かやったか?
 ……思い当たる節は無い。
 そんなことより、まずはこの機嫌を直すことを考えなければ。
「とりあえず入って。もう少ししたら食事に行こう。……もしかしてお腹すきすぎで元気がないとか?」
「別に」
 うわ、声が怒ってる。

 彼を先に通すと、ずんずんと部屋に入っていく。そしてソファにどっかりと座った。
「それで? 恭介君はどうしてそんなにご機嫌斜めなのかな?」
「なんとなく」
 こっちを見ない。
 なんだか意地を張っているというか、無理に繕ってるみたい。ムスッとしてても、そんな感情が長続きする人じゃない。
 ただ、切り替えるタイミングを失ってしまっただけなのだと思う。一歩を踏み出すタイミングを間違えて、いつまでも足踏みしてしまうように。
 アイスコーヒーを用意して彼の前に出すと、小さくありがとと呟き、口をつけた。
「なんとなくって……。違うだろう? 昼間の電話と関係があるんじゃないかな。様子が変だったから」
 隣に座り、髪を梳いてあげると少し身体を倒してきた。
 本当はいつもみたいに、楽しく過ごしたいんだよね……。
「負けた……、から」
「響君に?」
「ん……。日高さんも宮前さんに負けてる」
「は?」
 なんとなく聞き捨てならない……な。
 だけど声を荒げるとか、そんなやり方はスマートじゃない。
 もともと言葉を胸の中に溜めておくのは難しい人だから、胸に隠している一番上の言葉だけを取り出してあげれば、あとは芋ずる式…というか、すんなりと吐き出してくれるはずだ。
「俺は宮前に負けてる?」
「昼間、俺、電話しただろう? あれ、どっちの恋人が先に愛してるって言うかを、昼飯代賭けてて」
 そして彼が言うには。
 宮前は十五秒で愛してると言ったにもかかわらず、俺はもっと掛かったと。
 しかも自分は乙女チックに恥ずかしい面を晒してしまったと。
 …………………………。
 …………………………。
 そんなことで?
 …………………………。
 …………………………。
 怒っていいのは、俺の方なんじゃないかな?
 もちろん怒らないけど。

        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「ほう……。で、昼食代を取られた上、わざわざ電車賃をかけて、文句を言いにここに来たって?」
 あからさまに口を尖らせる顔が可愛いくて、ついつい構いたくなってしまう。
 もちろんやりすぎには注意が必要だ。取り返しがつかなくなったら大変だから。
「帰る」
 立ち上がった彼の前を塞ぐように、俺も立った。急な動作に驚いたように、見上げてくる。
「――と、いうのは口実で、本当は俺に逢いたかったから来たんだろう……?」
 意地悪だったよね。
 だけどちゃんとわかってるから。
 ここまで一時間もかけて来る手間を考えたら、喧嘩を売りにくるなんてありえないこと。
「来てくれて有難う」
 顔を近づける。
 ホラ、頬が赤くなった。
「嬉しい」
 フイ、なんて顔を背けたって、抱しめればちゃんと腕の中に大人しくしててくれるんだから。
 本当に、ハマってる。
 この人に。
 なんでこんなに可愛いんだろう。
「愛してる……」
 益々赤くなる頬が愛しい。

 宮前がこの人の中で特別な位置にいることは知っていた。
 あの男のあの顔と個性は強烈だし、何よりも親友の恋人だから、逆に意識しない方がおかしいだろう。そのつもりはなくても、比較されるのも仕方のないことだと思う。
 癪に障らないといえば嘘になるけれど、こればっかりはどうしようもない。
 それなら俺に出来ることをするしかないのだろう。
 長い年月をかけて。
 誰が君を愛しているのか、嫌というほどわからせてあげるよ。

「愛してるよ、きょう」
「バカ……」
「いいよ。どんな風に言い返されたって。わかってるから。……愛してるって言われたいって顔してる。それに俺も言いたいだけだから」
 こつんと額をあわせると、少し上目遣いになる。拗ねた表情がたまらない。
 彼ほど失くしたくないと思うものは、多分、ない。

        ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 両手で頬を挟んでキスをした。
 自然と背中に回ってくる彼の手がぎゅっとシャツを掴む。
「好きって言ってくれて嬉しかった。電話越しに、君の吐息が聞こえてきて……。すごく逢いたくなった」
 より密着するように、腰を掴んで引き寄せた。
「……抱きしめたかった」
 本当に。その衝動を押さえ込むのにどれほど苦労したか。今日逢えなければ明日強引にでも連れ出してたところだよ。
 なんてことを思いながら可愛い恋人が放つ甘い香りを堪能していると、はぁ、とひとつ息を吐いて、彼が話し出した。
「俺、日高さんが宮前さんに負けたから、なんて言っちゃったけど、そんなのは気にしてないんだ。単なる遊びだし」
「うん」
「響たちのこと、バカップルだなあ、なんて思ってて……。嫌味じゃないよ? 微笑ましいというか、そんな感じで……。ただ、自分はそんなことしないって変な自信みたなものもあって。なのに俺も同じで……。 ……日高さんに八つ当たりした。嫌な思いさせてごめん。子供っぽくて、すげぇ恥ずかしい」
 とても素直な君。
 普段、「お兄さん」をしているこの人は、周りに弱い面を見せないし、あくまでもしっかりものでありたいと望んでいるのだろう。なのに俺の前ではこうした子供っぽさを見せてくれるようになった。本当の野々村恭介を。
 俺が特別だから。それが嬉しい。どんなことでも受け止めてあげたいと思わせてくれる。
「ごめんなさい」
 火照る頬を隠すように、肩に顔を埋めてくるから、ぎゅっと抱きしめて。
「どんなことしても可愛いよ。キスして……」
「好き……、日高さんが好きだよ」
 小さな言葉と、謝罪のキスが唇に触れる。
「開き直ったら? そうすれば何にも気にならなくなる」
「日高さんみたいに? あ、貴方は開き直ってるんじゃなくて、それが素なんだよな……。うん。俺も、努力する」
 そして目を見合わせて笑いあった。


 窓から見える月がふたりの時間が限られていることを教えてくれる。
 食事……、は後回しだな。
 あとで店屋物でもとろう……。
 何を優先するかと問われれば、当然、この腕の温もりをとる。
 満たしたいのは、食欲ではなく性欲でもなく、やっぱり愛だから。


 くちゅりと音をさせて口づけて。
 貪るような深いものへと変えていく。
 微かに眉を寄せる悩ましい表情に眩暈がしそうだ。

「せいいちろ」
 キスの合間の俺を呼ぶ声が、甘く切ない響きを持つまで、あとわずか……。

SS No43(進捗にて 2005/04/29)

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