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幸せの行き先 1

 ん? 何か声がする。
『ぎゃー! ぎゃー!』
 学校帰りの電車の中、終点まで気持ちよく寝ていたオレは、突然の叫びに意識が急浮上した。
(寝ぼけたか?)
 だが、空耳でもなんでもなく、やっぱり子供の泣き声がする。
 騒ぎの中心は隣の車両の真ん中のドア。
 周りを取り囲む買い物帰りの主婦達から「かわいそうーっ」と声が上がっていた。 それにしても普通の泣き方じゃない。
 おばさんたちの後ろから中を覗き込むと、そこには電車のドアに手を挟まれ、真っ赤な顔で『痛いよー』と泣き叫んでいる小さな子供の姿があった。 母親に抱かれた一才になるかならないかぐらいの赤ん坊。 小さな小さな手が引き込まれている。 赤ん坊は激しく泣きじゃくり、抱いている母もどうしていいかわからずオロオロと子供の名前を呼ぶばかり。
 そのドアが閉まりきらないように必死で引っ張っているのがスーツに身を包んだサラリーマンらしき人物だった。
 二時過ぎの電車は人がまばらで、オレの乗った車両にも二、三人しかいなかった気がする。
 この人だけじゃ、ドアを開けられない。
「誰か駅員さんに言いに行ってるんですか?」
 その問いかけにその男性がこっちを見て、首を傾げた。
「オレ、呼んでくるからっ!」
 猛ダッシュで駅員を呼びに走った。



 ……とそんな経緯があり、今ファーストフード店でハンバーガーをかじっている。
 でも今日のオレの予定には中途半端な時間の食事なんぞ組み込まれていなかった。
 じゃあ、なんで? といわれるとズバリおごりだから。 何故かはわからないが、さっきのスーツの男性から駅員を呼びに行ったご褒美だと連れてこられたのだ。
 健康な高校生、別に腹が減ってたわけじゃないけど、おごりならとりあえずは食っとくだろ?
 ハンバーガーは好きだ。なのに全然美味しくない。その訳は、この雰囲気にあるんだよ。
 目の前にいるのは、ドキっとするほど端整な顔。程よく日焼けした顔に、切れ長の瞳。鼻筋の通った横顔が凛々しいという印象を与えている。  女なら間違いなく健康的な美人さんだ。男でも当てはまるのだろうか、美人って言葉。
 その人が狭いテーブルと椅子の間で器用に長い足を組み、優雅にコーヒーを飲んでいるんだけどね。人を強引に連れた来た割りには、この人、座ったっきり一言も喋らないで窓の外の景色に目をやってるんだ。
 居心地が悪いったらないぜ。
 まるで相席。とりあえず他に客が少ないから、一応、オレの連れってことになるんだけどな。
「なあ、なんでアンタがこんなところにいるわけ? もう行けばいいだろ? しっかり奢ってもらったんだから、用は済んだだろ」
 この店に入ってこれが二度目の言葉。ちなみに、一度目は何かと言うと「何がいい?」に対する「セットで」というお決まりの台詞。
 オレの声に、やっと自分にも連れがいたのを思い出したみたいに、顔を正面に向けた。
「コーヒーが残ってるからね」
 コーヒーを掲げにっこり微笑む仕草が、サマになっている。安っぽい紙コップでもこの人が持つとなんか違うよな。この人の商売ってもしかして。
「仕事何やってるの? オレがあててやるよ、ホストだ」
 そうだ、絶対、夜の商売だ。女を手玉にとり、金を巻き上げる極悪ホストに違いない。 若そうな割に、ビシッと着こなしたスーツ。それも一着一万円セールのものじゃないくらいオレにだってわかる。それに、横を歩いていた時に気づいたんだけど、男の人なのに微かにいい香りがする。 きっとなんとかっていうブランドのものなんだろう。母さんならわかるかもな、この香りがなんなのか。 何を隠そう、オレの母さんも夜の商売。同類だ。
「あたりだろう?」
 自信満々のオレに、え? とちょっと困ったような笑顔を向けた。
──トクンッ
 その瞬間、何かが心の奥深くで音を立てた。
 今まで浮かべてた胡散臭い笑顔とは別のもの。妙に胸が高鳴る。
 完璧に作られた表情の隙間から漏れ出た本当の顔が見たい。
 名前も知らない他人に浮かんだ不思議な感情が、オレを饒舌にした。
「それともバーテンとか、ウェイター。まだ若そうだから、店を持つのは無理だよな」
「どうしても俺を夜の世界の人にしたいわけ? 残念ながらもっと昼間の商売です」
 そういって名詞をテーブルの上に乗せた。
「相川博行、相川さんって宝石店に勤めてるんだ。ふーん、意外。あ、でも、ある意味、女を手玉にとる商売だよな」
「君ねぇ」呆れたように言う口元が緩やかにカーブする。
「オレは、桐山悟。高校三年。母とふたり暮らしでココから歩いて十分のマンションに住んでるんだ。マンションって言ってもアパートに毛の生えたようなトコだけどね。母さんは銀座の一流店に勤めてて。あ、もうすぐ母さんの誕生日だから、オレ、アンタのところで何か買ってやるよ。たいしたもんは買えないけど、少しは営業セイセキの役に立つだろ? それに、お店の姉さん達にも紹介……」
 言いかけて、視界にまた営業用の笑顔が目に入った。聞かれてもいないのにベラベラ喋ってる自分。変なの、いつもはこんなんじゃないのに。
「バカみてえ」小さな呟きを相手が聞き漏らさなかったのか、
「紹介してくれるの?」聞き返してきた。
「あぁ、そう」
「俺の会社は隣駅だから。その節はどうぞよろしくお願いいたします」
 冗談めかして言うのが可笑しくて、俯いた顔を上げ相川さんを見る。
 だけどやっぱりそこにあるのは、張り付いた偽物の笑顔だった。



 あれから二週間が過ぎようとしている。
 最近のオレは変だ。
 あの人に似た後姿を見つけると、その人を追い越し顔を確認する癖がついてしまった。
 そしてガッカリするんだ。この人じゃないって。
 その度に思う。なんでこんなことしてるんだろうと。
 こんなモヤモヤした気分じゃ嫌だ。楽しいはずの高校生ライフが暗くなってしまうじゃないか。 あの人の嫌なところを見つけて幻滅したら、たいした男じゃないと確認したら、このわけのわからない感情から逃げられるかもしれない。
 それだけの為に、名詞に書かれた番号に電話をした。プライベートアドレスでもなんでもない、会社の代表電話。 保留を告げる音楽に、心臓がバクバク破裂しそうな勢いで動いている。  電話を掛けた理由を頭の中で暗唱した。
「はい、相川です」
「あ、オレ、桐山です」
「えーっと……」
 相川さんは記憶フル回転中らしい。それでも出てこない名前。
 覚えていないんだ、オレのこと。
 携帯を持つ手が手が震えて、手のひらに力を込めた。沈黙が続く。いつまでたっても答えの出ない話し相手に、高揚した気分が急激に冷めていくのを感じた。頭の片隅にも、残っていないという現実。それほど、ちっぽけな存在だと思い知らされた。 自分だけ覚えてて、相手の迷惑を顧みず浮かれてたことが、酷く恥ずかしい。
「ごめんなさい。いいです。仕事中、すみませんでした」
 携帯を耳から離した時、
「あー、嘘嘘。覚えてるよ。悟くんだろ? もしもーし」
 楽しそうな声。からかわれたことも悔しいけど。
 それよりも、
 自分のあまりのバカらしさに腹が立って、携帯を切った。
 ほら、やっぱりたいした男じゃなかっただろ。意地悪な嫌なヤツだよ。そう自分に言い聞かせる。
 だけど、思い込もうとすればするほど、虚しさがこみ上げ、鼻の奥がツンとした。

2003.03.05


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