噂の彼女
到着予定時刻、午後六時。 そこからうちまで約一時間。 そろそろ帰ってきてもおかしくない時間なのに、まだ連絡もない。 「まだかな」 朝からずっと待ってるんだ。時計の針ばかりを確認しながら。 いつも煩いぐらいにオレの様子を聞いてくるような人だから余計に気になってしまうんだと思う。 「遅いよ……」 いつまでたっても鳴らない電話が、じわじわと心を蝕んでいく。 もしかして電車が止まってるとか、車が渋滞してるとか? まさか飛行機が!!! 考えればキリがないけれど、ひとりでいると余計に考えてしまう。もともとネガティブシンキングなオレの脳構造はこんな時、決まって悪い方向へと向いてしまうのだ。悲しいほど一直線に。 「あーっ、駄目だ。こんなんじゃ!」 自分を元気づけるように声をあげ、そんなわけないと、窓の外に視線を移した。 降り止まない雨はザーザーと風を巻き込んで凄まじい音を立てている。 なんか。 とっても不吉……。 じっとしていることに耐えられなくて、テレビをつけてはニュース番組を探す。おもしろ動物大集合みたいなほのぼのニュースを耳にしながら、その合間にネットで航空会社のページにアクセスなんかした。 結果を表示するまでの僅かな時間でさえ、ドキドキする。 到着状況は……。 「……ちゃんと着いてる」 時間通りに到着済みであることが確認できた。ネットニュースにだって速報らしきものは出ていない。ということは事故がないってことだよな? 「大丈夫」 ひとまず安堵し、すぐに帰ってくると無理やり自分を納得させた。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 地方の支店の営業成績が思わしくなく、急遽、狩り出されることになった相川さん。 実際に現地に飛んだのは一週間前からなんだけど、出張が決まれば、資料づくりやデータの把握なんかで会社に泊まることも多くなるから、家でゆっくりというのはこの一ヶ月ほとんど皆無に近かった。 当然、その間オレとの時間なんてのも無しなわけで。 はあ……。 溜息なんか吐きたくないのにそれでも出ちゃうっつーの。 寂しいっていうのもあるけど、もっと。んー、なんていうかな。……飢えてる感じ。 沈んだ気持ちを浮上させようと、彼の載ってる経済雑誌を開いた。 「今どこだよ」 問いかける声はかなり不貞腐れてる。 有望な二世特集での写真。見惚れるほどの笑みを浮かべて、こっちを見ている。 「ヒゲ面にするぞ?」 声にだしてみれば、それも面白いかもなんて思った。マジックでいたずら書き。そんなことした経験は……、覚えが無い。ガキの頃から物は大切に、綺麗に使う主義だったから。 さっそく彼の写真にいろんなパーツを付け加えてみた。脳内で、だけどな。 長いあごヒゲ描いて。くるんとしたヒゲつけて。ついでに眉毛も伸ばしたりして……。 あっという間に、仙人な相川さんの出来上がり。 「うーん」 想像しつつ、唸る。 やっぱ、眉毛が長いのはパスだな。ヒゲもいまいちだけど、あの人ならギリギリいけそうだ。 でもやっぱり頭ン中だけにしとこ。だってこの写真、すごくよく撮れててさ。勿体無いからさ。 「アイカワヒロユキ」 宝石店の営業部という所属にもかかわらず経営の中枢にいるのは、彼の血筋だけではなく、誰もが認める人材だからだろう。 わかってるだけに本人には愚痴もいえない。 文句を言えば、じゃあ辞めるとか平気で言いそうだし。うん。そういう人。 「忙しいのもほどほどにな」 ポンと雑誌の写真を指で弾いて、ページを閉じた。暇つぶし、終了。 風呂はちゃんと沸いてる。 部屋も綺麗に掃除した。 そんで今日のメニューは豚の生姜焼き。 ロールキャベツと迷ったんだけどこっちにした。 初めて作った時に褒められたから、いざという時にはなんだかこれになっちゃうんだよな。きゅうりを浅漬けにしてお味噌汁も作って、ご飯もちゃんと炊けている。 万全の食卓だ。 あとは、ここに本人が帰ってくるだけ。 早く帰ってこないかな。 テレビを見ながらコマーシャルの度に目がいくのがテレビの上の時計。夜の八時を回っていた。 電話してみようか? でもやっぱり、と思いとどまる。 会社の他の人とまだ打ち合わせがあるのかもしれない。邪魔したら余計に帰ってくるのが遅くなりそうだから。 「ハラへった」 ついつい零れる独り言に嫌気がさして、テレビのボリュームをあげた。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 待望の電話が鳴ったのは、それから約三十分後だ。 「もしもしっ!」 すごい勢いで取ってしまった。 我ながら異常なぐらいの慌て具合に苦笑が漏れた。 『電話、待ってたんだね。ごめんね』 どんなに待ちわびていたのかわかったのだろう。 くすくす笑いながらの楽しそうな言葉が響いて、カーッと顔が火照ってしまう。 恥っ。 「ま、待ってねえって」 『遅くなってごめん。携帯の電池が切れて途中で電話できなかったんだ。今、会社に戻ってきたよ。本当は直帰したかったんだけど資料が多くてね。 これから少し整理して帰るから。そうだな……十一時ぐらいになると思う』 「ごはん」 どうする? 聞こうと思って途中で止めた。 これ頼む、そんな声を誰かにかけているのが聞こえてきたから。 『ごめんね。ちょっと聞き取れなかった』 「あ、ううん。いい……。気をつけて」 そのぐらいの時間だと夕飯もいらない気がした。もう食べたかもしれない。 『寂しかった?』 寂しかった……。 喉元で引っ掛かった言葉が胸に痛いよ。 『早めに帰るから』 「うん」 声を聞けば逢いたくなる。 一緒に暮らしていても、やっぱり逢いたい。 突っ張ることは出来なかった。 「早く帰ってきてよ」 『了解』 ピカッと窓越しに閃光が走り、それから遠くで雷が鳴った。 ひとりで夕飯を食べた。 味付けはいつも通りのはずなのに、やっぱり少し違う気がした。 食器を片付け、ソファの上に寝転がる。 あーあ。 まだ九時だよ。 十一時ってまだまだ先じゃねーか。仕方ない、風呂でも入るか。 さくっと入って、頭を拭きながら冷蔵庫の扉を開けた時だった。 「な、なんだ?」 突然、真っ暗。 何もかもが真っ暗闇。 「ブレーカー?」 落ちた? 明るさに慣れていた目では、状況が把握できない。 手探りで窓の近くまで行き、カーテンを開けた。しかしここら辺、一帯は闇。 「停電かよ」 遠くに見えた外灯、窓からの明りが漏れていることから、この地域だけの現象なのだとわかった。 さっきまでやけに派手にゴロゴロ鳴っていたから、それが落ちたのだろう。 雨の激しさは変わらない。けれど、もう雷は止まっていた。 とりあえず、PCを立ち上げてみる。ノートだから停電でも大丈夫なんだよね。 ネットに繋ぐのも普通は常時接続なんだけど、通信カードもまだ使える状態にあった。 早速、検索開始。 …………と。 地域のサイトを見てみたが、まだ時間が経っていないせいか、そういう情報はどこにも載っていなかった。 「つかえねえ……」 モニターに呆れ声を浴びせて、ベランダに出た。 周りを見回すといくつかの傘が目に入る。急な停電で心配になった住人が外に出ているようだ。 「相川さん、ちゃんと帰って来られるかな」 暗いのは嫌。 寝るときでも小さな明りは欠かせないほど暗闇は怖い。 相川さんに連絡しようと携帯をとったけど、なんとなく情けなくなって止めた。 大丈夫。 すぐに回復する。 そう思うも心細さは変わらなくて。 玄関の靴箱に入れてある懐中電灯を片手に外に出てみる。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ オレが出たのとほぼ同時だっただろうか、隣のドアが開いた。 何かを探すように左右に振られる頭。それが止まったのは、こっち側。 「こんばんは」 声が聞こえた。 女の子の声だった。 はっきりとは顔が見えない。 「ども」 確か三、四日前ぐらいに引越ししてきたお隣さんだ。 でも一人暮らしじゃないよな? 大人の女の声じゃなかったし、ここは家族ものが多いから。 そう思っていると、線の細い子が出てきた。 直接顔に当たらないように、少しずらして照らしてみる。 学生っぽい子だ。 可愛い、フリルのついた服は幼い感じがするけど、いくつなんだろう? まあ、年下だろうけど。 「真っ暗だよね。停電かな?」 臆することなく喋りだす。人見知りとは無縁なようだ。 「そうだと思うよ。ブレーカーが落ちたのかと思ったけど、ここら辺、一帯暗いから」 ふーん、と相槌をうった後、 「あのね。ひとつ頼んでもいいかな?」 少し高めの澄んだ声が言うと、申し訳なさそうにオレを見た。 「何?」 どこかに連絡したいのだけど出来ないとか、荷物を動かせないとか、その程度のことだと思ったんだ。 なんたってまだ来たばかりだし、そうそう片付かないだろうから。 けれど、違った。 「明りがつくまででいいんだけど、一緒にいてくれないかな?」 「え?」 予想もしなかった誘いに、そう言ったまま固まるオレ。 きっと今の自分の顔はすっごい間抜け面に違いない。 「お願い。誰もいないんですもの。怖いの……」 「……で、でも。オレも一応男だし。危ないとか考えないの?」 「平気よ。信じてる」 大きくドアを開け、彼女が手招きをする。 何が初めて見た男に対して、信じてるだよ。 ハハハ、なんだか乾いた笑いが出てしまう。オレって無害に見えるんだ。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 思った通り、彼女の家はまだ荷物でごった返していた。 「ジュースでいい? 越してきたばっかりで何もないの。それ貸してくれる?」 懐中電灯を指差す彼女。 「うん。でも何もいらないよ。どうせすぐに直るだろうし。長くいるとかじゃないから」 「でもジュースぐらい飲めるでしょう? わっ」 キッチンにあるダンボールにつまづいたのだろう。イタタと蹲っている。 「大丈夫?」 つか、何の為の懐中電灯? 「ちゃんと足元照らした方がいいよ?」 「そうね」 そう言って自分の顔を照らす彼女の表情は。 ホラーのようで怖かった。 なんだか、からかわれてるような気がしないでもない。 「氷、まだ大丈夫だったわ。はい。どうぞ」 カラカラカラとグラスに氷を入れる音がする。溶ける前でよかった。 「有難う」 近くで見ているオレに向かって差し出されるグラスを受け取ると、彼女ももうひとつのグラスを持って。 今度はちゃんと足元を照らしながらリビングへと戻ってきた。 暗いというシチュエーションが嫌で、懐中電灯はつけたままテーブルに置き、簡単な自己紹介をした。 ナンパみたいだと、ふと思ったけど、名前も知らないのに部屋にいるのも変だし。 「名前、ちゃんと言ってなかったよね? オレ、桐山です」 「私……。あー、イカワです。緑ちゃんって呼んでいいわよ。フリーターやってまーす。今はティッシュくばり」 ミドリって言うんだ。 名字の方は知っていた。昨日、大学から帰ってきた時、表札がかかってたのを見たから。 「桐山君は大学生?」 「うん。そう。今年入ったばっかり」 ふーん、とジュースを口にしてしばしの沈黙。 それからいきなり、 「一緒に住んでる人いるよね?」 なんて突っ込まれた。 同居人のことはあまり触れて欲しくなかったのに、知られているなら仕方ないか。 「両親亡くして。今は親戚の人と住んでるんだ」 「そう」 彼女の悲しそうな瞳が向けられて。 自分の言葉に、オレは俯いた。 打算ありまくりの今のセリフ。 こう言えばもうそれ以上踏み込んでこないと思ったから。 深入りをして欲しくなくて、牽制の意味で両親のとこを持ち出したんだ。 母さん、ごめん……。 母さんを盾にした。 ずるい、卑怯な手だとわかってる。 だけど守りたいんだ、オレと相川さん、ふたりの生活を。 それからまた少しの沈黙。 真っ暗な中での沈黙はなんだか、やましい気分にさせる。 何があるわけじゃないんだけど。 「お、オレ、そろそろ」 「まだいいじゃない。暗いの怖いの。お願いまだ帰らないで」 立ち上がった腕を掴まれ。 その時、バタンと音がした。 酷く乱暴に閉めたようなドアの音。うちだということが直感でわかった。 「時計ある?」 「そこよ」 指の差される方向を懐中電灯で照らす。 十時。 予定よりも早く帰ってきてくれたんだ。 「オレ、帰る」 急いで玄関に向かい、ドアを開けた。 誰かがこの先の階段に向かって走っていくのが見える。暗闇でもわかる。慌てふためく様子に彼に間違いないと思った。 「相川さんっ!」 エレベーターは止まってるはずだから、階段で帰ってきて、そしてすぐにまた出かけようとしたのだろう。 きっと。 オレを探す為に。 「悟?」 声に遅れて姿が見えた。 懐中電灯で照らすと眩しそうに目の上に掲げて。 「どこに行ってたの……。心配するだろう?」 「ごめんなさい……。停電で。隣。引っ越してきたばっかりで親がうちみたいに出張中でいないんだって。心細いっていうから一緒にいたんだ」 「こんばんは」 女の子の声が響いて……。 ほんと、抜けてると思うんだけど。ここで初めて、本当にここで初めて「あ」と思ったんだ。 オレ、なんかやっちゃってない? 背中にツーと汗が一筋。 俗に言う、冷や汗というやつか? よくよく冷静に考えてみるとこれはマズイ事態なのかもしれない……って今になって気づいても遅いよ自分っ! 前は友達をうちにあげて相川さんの逆鱗に触れたし、今度は家にあげてないとしても、相手は女の子。 そんなこと興味ないって言っても疑われるっ!! 「悟君、さあ、うちに帰ろうか?」 とてもとても穏やかな声に。 思わず目が泳いでしまったのが、自分でもわかる。 いろいろと言い訳じみた言葉が浮かんでは消えていった。 いや、取り繕うことはない。 オレは何もしてないんだからっ! いや、待てよ? 駄目だ。ダメダメダメ! 口答えは自分の首を絞めることになるんだった。 怒りが収まるまでは言うことを聞いておこう。自分自身の明日の為に! あう、泣きそう。 「あ、あのね、相川さん」 その時、タイミングを計ったように電気が復旧した。 すっかり感情を消した相川さんは、オレと彼女を見比べていた。 2005/07/22〜29 進捗連載 |
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