噂の彼女

「お兄さん、お元気でした?」
「は?」
 開口一番の彼女の言葉にビツクリ!
 おかげでオレは開いた口が開きっぱなし。
 それを何とか普通のレベルまで戻して、
「お兄さんって言った? 相川さんの妹?」
 お兄さんと呼ばれた人と彼女を交互に見た。
 瞳を眇めた彼とは対照的なにこにこ顔の彼女は、明るいところで見ると、すごい美少女だと言うことに気がついた。
 黒目がちの瞳は大きく、肌も綺麗で色白で。
 足なんか外国のバレリーナみたいにほっそりとまっすぐで。
 暗闇では邪魔そうに映ったフリルのついたスカートは少女趣味だとは思うけど、彼女の雰囲気には悪くない。というよりむしろ、ぴったりかもしれない。
 ……可愛い。
「妹?」
 もう一度訊く。どっちでもいい。答えをくれ。
「正確には違うの。ね?」
 口を開いたのは彼女だった。
 小首を傾げる角度なんか完璧で、今すぐにでもデビューできそうだ。 だけどその思わせぶりな言葉を、オレはどうとればいいのだろう。
 正確に言うと違う?
 どういうこと?
「俺になんと言って欲しいのかな? 悟、帰ろう」
 もしかして彼女だったとか?
 前の婚約者みたいにひっかきまわしにきたとか?
 そんな疑念に駆られ、背に回る彼の掌を無視した。ついでに、悟!、と非難めいた声音も無視した。
 はっきりさせないと。
 このままでは。
 きっと。ずっと。
 オレは彼を疑ってしまう。
「井川さん……。相川さんを知ってるんですか?」
 隣で相川さんが井川……、と小さく呟いている。
「知ってるわよ」
「悟、彼女は」
「だって私、ハハだもの」
 ………………。
 ………………。
 ………………。
 ハハ?
 ………………。
 ………………。
 ………………。
 ハハって何だ?
「だからね、お母さんです」
 思考を止めたオレの目に、にこやかな笑顔だけが映る。
 オカアサン デス。
 ………………。
 お母さん?
 ………………。
 ………………。
 !!!!!!
 あー、と指を差したのは失礼な事なのかもしれない。
 普通ならオレだってそんなことしない。でもそれどころじゃない!
「ロリ社長の!」
 相川さんが天を仰ぐ。
 彼女がにっこりと微笑む。
 オレの思考は再び停止した。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 相川さんの父親が再婚するというのは聞いていた。
 だけどオレは逢ったこともないし、これからも逢うことはないだろうと思っていた。
「井川って」
 小さく肩を竦めた彼女。
「ごめんなさい。嘘ついちゃって……。隣にいること、すぐにばれないように表札まで用意したんだけどね、いざとなったらなんか申し訳なくなっちゃって。 だから『あー、いかわ』ってちょっと濁してみました。それっぽく聞こえたでしょう?」
 どう? なんて、してやったりの笑顔なんだけど。
 なんとも……。反応に困ってしまう。
「でもいっこ下だと今、高三じゃない? 学校は?」
「ちゃんと行ってるわよ。朝は迎えにきてくれるもの」
 言われてみれば黒塗りのすごい車を見たことがあった。 それって、この人の迎えだったのか……。さすが金持ちのやることは違う、なんて感心していると、彼の低い声が響いた。
「そんなことはどうでもいい。どうしてここにいるんだ?」
 詰問。
 そんな口調で相川さんに訊かれて、しゅんとなった彼女が少し可哀想になる。
「家にひとりでいるのもつまらないんだもん」
「相川さん……」
 呼びかけにオレを見て。
 それからひとつ溜息を吐いて。
「オヤジは知ってるの?」
 少し柔らかくなった声に彼女が顔をあげた。
「うん……。彼が手配してくれたの。いま、アメリカに行ってるでしょう? 一ヶ月は戻ってこれないから寂しいって言ったらここに住むかって。狭いけど隣に博之さんがいるから安心だよって」
「ちょっと待てーっ!」
 ここは彼のうちじゃなくてオレのうち。
 親戚でもない。
 つーことは?
「オレと住んでること」
「知ってるわよ」
「知ってるよ」
 綺麗にハモった。
 …………。
 眩暈がしてきた。
 バレてた。
 ああ、だから彼女、初対面のオレを家にあげたのか。初めから知ってたからなんだな。
 だけど。
「いいじゃない。別にどういう繋がりであろうと。愛し合ってるんでしょう?」
「そうだけど……」
 複雑。
「それなら問題なし」
 あっけらかんと笑う。
「でもオレ」
 相川さんを見上げる。
「誰を敵にまわしても構わない」
 はっきりと断言してくれる彼。
 照れるけど嬉しくて。
「うん」
 愛を再確認してしまった。
「で? いつまでいることになってるのかな? どうせなら一緒に行けばよかったのに。クリスマスの時みたいに」
 あの日のことをまだ根に持ってると見た。
 何があったか知らない彼女はどこかきょとんとして、
「私、邪魔ですか?」
 見上げていた。
 その角度が可愛い。きっとそういうこと、知ってるんだろうな。
「悟君はこの通り可愛いから。君がオヤジと結婚したとしても彼に惹かれないとも限らないだろう?」
「アホかーっ」
 それ以上は勘弁して欲しい。
 顔から火が出るぞ。
 オレは普通。いたって普通。いや普通より下かもしれないという自覚はある。
 相川さんの美的感覚がたとえ並み以下だとしても、ふたりきりの時に囁かれるのはオレだって満更でもない。それどころかバカみたいに嬉しい。世界一幸せなんてことも思っている。
 だけど、人前でこれを言われてしまうと、もうこれは……。悶絶以外の何ものでもないわけよ。
「うん、ほんと。可愛いと思うけど……。でも残念でした。私、雅之さん一筋だから。優しくて包容力があって……。大好きよ」 
 そう幸せそうに微笑む彼女は、綺麗で輝いていて。恋する乙女オーラが全身から出ていた。
「一ヶ月……。あの人が帰ってきたら帰ります。だって私の帰る場所は彼のところだもん」
 それまでよろしくねと、手を差し出され。
「よ、よろしく」
 条件反射で掴んだ掌を、
「繋がなくてよろしい」
 離そうとする恋人は、少し不機嫌そうだ。
「お兄さん邪魔しないで!」
「その呼び方はやめてくれないか」
 相川さんはデフォルトでお兄さんなんだな。
 なんか笑える。
 社長婦人だってこと忘れそう。
「じゃあ……博之」
「断る」
 なんだか本当の兄妹みたい。
 えーっと不満げに口を尖らせる彼女はほんとに素直ないい子なんだなと思った。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 それから「もう遅いから寝なさい」なんて子供に言い聞かせるようなセリフで部屋に押し込む様を、オレはニヤニヤしながら見ていた。
 相川さんの困ってる姿が、可愛い
 言ったら怒るかな。
「悟君。何笑ってるの」
「いや、複雑だなって思って」
 あれが噂の彼女。
 年下の美少女が、よりによって母親だなんて。
 彼の心境としては確かにやりきれないものもあるかもしれない。
 複雑な色の瞳を変えるべく、ここは食べ物作戦だな。
「生姜焼きでも食べる?」
「もちろん。その後は……。君もわかってるよね?」
 ふわりと笑んで、軽いキスが落ちてくる。
 耳元で囁かれる「逢いたかった」が胸を、身体を熱くする。
 ふたりの時間。
 待ち焦がれた貴方との時間。
「ああ。やっと我が家だ。朝まで一緒」
 そういいながら、微笑んでくれるから。
「おかえり。ずっと待ってた」
 だからオレも素直に気持ちを曝け出すことができるんだ。


 それにしても。
 一ヶ月か。
 賑やかになるのは楽しそうだけど。
 せめて彼の機嫌が悪くなりませんように…。
 そればかりを願うオレだった。

2005/08/02 進捗連載

--top--novel--前編--

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送