吸血鬼の住む館〜3

『明日も来い。七時。……待ってる』
 ヒビキがこの館から帰る時、シノブは必ずそう言いました。
 素っ気無い言葉でも何故かそれがとても嬉しくて、一昨日も、昨日も、そして今日も約束の時間に来ています。
 二日目は花屋で可愛らしい花束をひとつを買ってプレゼントしました。シノブは驚いた顔をして、それでも有難うと笑ってくれたのです。 だから三日目は甘い砂糖菓子、しかしこれは甘すぎると不評だったので、 今日は美味しいパンを持って来ました。彼の喜ぶ顔が見たいから……。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「今日ね、噂のパンを持ってきたんだ〜。おなかすいてない?」
「お前が持ってくるっていうから昼から何にも食べてない……」
「そりゃ大変だ。早く食べよ!」
 薄暗いフロアの片隅、ベッドの横に小さな丸テーブルが置かれていました。 今までもあったのかどうか、ヒビキには思い出せませんでしたが、白いクロスが掛けられたそれは新しいもののように見えました。
 テーブルの上には年代物のランプが灯され、グラスが二個とワインが一本用意されています。
 背の部分にバラの模様が施された真鍮の椅子がニ脚、座りやすいように引かれていて、シノブが座った反対側にヒビキも腰を下ろしました。

 わりとシャツでいることの多いシノブですが、 今日は、ちゃんと上着を着ています。それも高級そうな生地のもの。
 黒いスタンドカラーのロングジャケットは光沢があり、襟、袖口、前立て部分には黒のモールが飾り付けられていました。 初めて見た時と同じような、しかし違う服です。飾りがなかったことを覚えていましたから。縋りつくように掴んだ感触は、忘れられるはずもないのです。
 羽織っただけのそれは前が開いていて、中のシャツが見えます。沁みひとつない真っ白なシルクシャツ。
 何もかもが上質。
 そしてそれが彼にぴったりなのです。雰囲気といい、存在感といい。高貴、気品、そんな言葉が似合う人だと思いました。
 身長はヒビキよりも高く、顔半分か、もしかしたらそれ以上に違うかもしれません。 スラリとした体躯は均整が取れており、手足も長く、人型としては最高芸術のような、 それは裸を見たことでも間違いなく……。
 思い出しては勝手に頬を赤らめてしまいます。
 初めての時に首筋に感じたチクッとした痛みは、 その場所には、鏡で確認したところ、赤い痕がついていました。
 これが仲間の証。
 人の血を吸いたいとは思わないけれど……。
 覚醒……、とかあるのかも。そのうち。そだ、きっと……。
 ヒビキ的解釈をすれば全て丸く収まるようです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 シノブがワインを給仕してくれる間、ヒビキはひとつの疑問を口にしました。
 シャンデリアは今日も点いていません。その理由。
「これ、なんで点けないの?」
 初めてここに迷い込んだのは夕方で、シノブも寝ていたのでそのせいだと思いましたが、それ以降、ヒビキが来るのは既にとっぷりと日が暮れてからなのです。 それなのに灯りはランプひとつだけ。 足元を照らす灯りはありますが、それほど光源は強くなく、生活するにはやはり不便と言わざるをえません。 日常的にあって当然。そう思えば、余計に不思議で仕方ありませんでした。
 いくら吸血鬼でも苦手なのは清廉な日の光のはず……、一般的に信じられていることからすると、 生活の灯りは平気ではなかったかということに落ち着くのです。 この場合、覚醒していない自分は棚上げの、除外方向は言うまでもありません。
「不便じゃない?」
 首を傾げながら照明を指差す少年に、シノブはその人差し指の先を目で追いました。落ちてきたら確実に死に至るであろう巨大なクリスタルの塊をチラと見やり、
「明るすぎる」
 真面目な顔で言いました。
「あ、ああ、そうか……」
 なるほど。
 この大きさです。これが点いたら真昼間よりも明るいかもしれません。それにシノブが闇を好むのは一歩この部屋に入ればわかること。
 さすが吸血鬼……。
「点けたいというならスイッチは階段下にある」
「ん? いいよ別に。このランプで充分」
 好きなようにしろということでも、シノブの意に沿わないことはしたくないのでヒビキは首を振りました。
 年代物のランプが放つ光でも、手元も明るく照らしてくれています。 そしてシノブの顔もちゃんと見えます。オレンジ色のせいか、彼の表情も柔らかく感じ、ヒビキはそれで充分だと思いました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 赤い液体の入ったグラスがヒビキの前に置かれ、それが合図のようにヒビキは袋の中からぶどうの入ったパンを「はい」と差し出しました。
 ささやかな晩餐の始まりです。
「おいしい?」
 一口齧るのが待ちきれないとばかりにわくわくとした様子で見つめられた挙句、飲み込むと同時の問いかけです。 いつものシノブならば黙れと事も無げに口にしたでしょう。 それをしなかったのはキラキラした瞳が曇るのを見たくはなかったから、かもしれません。
「……うまいな」
「だろ!?」
 シノブの言葉を聞いてからヒビキも食べ始めました。
 本当に美味しそうに、もぐもぐと口を動かし大きく頬張る様子は生命力に満ち溢れていて。
 シノブの口元に笑みが浮かびました。
 ぶどうパンを食べ終え、丸いドーナツへと手を伸ばした少年は、リングの端っこを齧り満足そうに頷くと、これも美味しいから、とシノブにも薦めてきました。 口の横に砂糖の欠片をつけながら。
「ここ、ついてる」
 腰を浮かせたシノブがテーブル越しにヒビキの顎に指をかけ、微かに上向いたところでペロリと舐め取っていきました。
 その早業にヒビキは瞬間的に固まり、それからほわわっと頬に赤みが差していきます。
「教えてくれたら自分で取ったのに」
 ヒビキが口元を自分の手で拭いながら、そう言いました。それが照れてるように聞こえるのは気のせいじゃないでしょう。 なんだかとても可愛く感じます。
「そうしたかったんだ……。嫌じゃなかった?」
「嫌なはずないじゃん。それに……。もっと凄いことしてる、し。オレ初めてで、変だっただろうけど。別に嫌じゃなかった……。問題だよな、コレって」
 伝えれば伝えただけ彼は返してくれる、表情で、言葉で。今も、それこそ湯気がでそうなぐらい、真っ赤になりながらも音にしようとしているのです。 例えば頷くだけでも意思を伝える方法はあるのに。
「か、簡単なヤツとか思われると辛いんだけど……。貴方ならいいって思ったんだ。なんでだろ、オレに何かした? 魔法とか使える?」
「いや。使えるものなら使いたいけどな」
 話が突拍子もない方向へと向くのも面白くて、シノブは口角を上げて微笑みます。
「だよなー。それに、オレに魔法かけても何一つメリットはないもんな」
 一転して小難しい顔になったヒビキに、とうとうシノブが堪えきれずに声を立てて笑い始めました。
「お前っ、可笑しい」
 思いもがけず優しいその笑顔に見惚れていたヒビキは、その笑いの対象が自分だったと知り「へ?」とまぬけな声を出した後、柔らかな笑みを唇に乗せて「嬉しい」一言呟きました。
 何が嬉しいのか、シノブにはわからないでしょう。彼の笑顔を見れたことが嬉しくて、など思いもよらないことかもしれません。
 ただ、この時、シノブも同じ感情を持っていました。
 たった数個の音にも反応して楽しそうに笑うヒビキに、それを嬉しいと感じるシノブがいました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 袋の中が空っぽになり、見つめあう一瞬の沈黙の間が生まれました。
「ヒビキ……」
 呼べば引き寄せられるようにシノブの側へと回ってきます。
 従順に、素直に。
 シノブは目の前に立つ彼の腰に腕を回し、少し引き寄せ、彼の腹に頬を当てました。華奢な身体で、薄っぺらい腹。 しかしごつごつとした感じはなく、逆に意外と柔らかで。その肌は白く、滑らかだと知っています。
「今日も甘い」
「ドーナツ持ってたからだね」
「……お前の匂い」
 瞳を閉じてスリスリと擦り付けていると、髪の中に指が差し入れられました。
 こめかみの辺りから後方へと、ゆっくりと梳くように動くヒビキの指先。 気持ちを穏やかにしてくれる、なのになんだか切なくて、泣きたくもなって。複雑な感情に支配されてしまうのです。
 あまりにも優しくて……。
 そして唐突に理解しました。
 何故こんな気分になるのかを。
 その感情の名前を。
「……好きだ」
 思わず零れた、気持ち。
「じゃあまたドーナツ買ってこなきゃ」
 緩やかな指の動きを止めず、ヒビキがクスッと笑いました。
 微妙に食い違っていると思いましたが、シノブは今の状況を楽しむことにして。さりげなくシャツをたくし上げ、へその横に唇を押し当てました。 吸い付き、赤い花をつけて見上げれば少し困った瞳にぶつかります。それでも止めようとしないのは、進めてもいいと言うことなのでしょう。
 自分でつけた所有印を確かめるように舐め、そのままわき腹へと唇を這わせました。時々舌をだして濡れた道筋をつけながら。
 腰に回していた手はシャツの下から、胸へと肌を辿ります。指の腹で突起部分を弄り、立ち上がってきた小さなそれを軽く摘んでみると、
「んっ」
 喉を鳴らし、髪から抜け出た掌が肩を掴みます。
 摘んで、弾いて、指の腹でその周りも焦らすように擦ってやれば、その度にぎゅっと力が篭る指先が感じていることを教えてくれました。
「ここ、すごく敏感。舐めてやろうか。吸い付いてベトベトにして。昨日したみたいに……。いい声、聞かせてくれ」
 下から見上げたシノブを、少年が僅かに上がった息で唇を震わせて、見つめてきます。 どう答えていいのかわからない、そんな表情のまま言葉を押し出すことができずにいるのだと、シノブにはわかりました。
 ただの言葉遊び。しかしそんな駆け引きを楽しむほどには大人ではないのです。
 そしてそれがシノブを昂らせているとも気づかない、未成熟なコドモ。
「……オレ」
 徐々に泣きそうな表情に変わっていくのがたまりません。罪悪感と欲望と。両方の感情を乗せた天秤は、それでも僅かに罪悪感の方に傾いたようです。 これ以上苛めるのはやめにしました。
 口元に小さな笑みを刻むと、すっと立ち上がり、ヒビキを横抱きに抱き上げました。
「っ!!」
 急に抱き上げられたことで、潤んでいた瞳は元に戻ったようです。驚いて固まってしまった彼の目尻にキスを落して。
 後方のベッドまで歩数にして五歩。
 昨日とは違う色のキルトの上に下ろします。壊れ物を扱うように、そっとそっと。
 靴を脱がし、ベッドの下へと放り投げ。
 自分は上着を脱ぎ、ヒビキの横へと膝を立て乗り上げました。これからすることは、もうわかってるはずです。もう四日目になるのですから。
「俺が好きか?」
 何度も身体を重ねてきても問うことのなかった言葉。
 考える間があり、それから睫毛を伏せて「好き」と答えました。その言葉を、想いを噛みしめるように。

 ……好き。
 溜息のような言葉は唇を貪る淫らな音へと変わっていきます。
 愛おしい……。
 その想いが溢れてきます。それと同時に頭を悩ます問題が、より大きくなることも事実でした。伝えなければなりません。 自分と関わるということがどういうことなのか、はっきりとさせなければならないのです。
 己の気持ちはもう固まっています。
 ふたりで過ごした時間は短く、それで何がわかるというのでしょう。お互いの何を知っていると? 
 しかしシノブは既に心に決めていました。きっと出逢ったあの瞬間から。理屈ではないのです。心が求めるものが、彼なのです。 この先、決して楽な道のりではないはず。それでもシノブはこの甘い香りのする少年を手放そうとは思いませんでした。

 ちゅっちゅっと唇を合わせた後、告げました。
「明日、留守にする。明後日の朝、ここに来い。お前を連れて行きたいところがある」
「土曜日?」
 潤んだ瞳で小首を傾げる様子は心もとないですが、曜日を口にするあたり忘れることもないでしょう。
「そうだ」
「ん、わかった」
 ピクニック?、そう聞かれてシノブは思い切り吹きだしました。
 ヒビキにかかれば全てお気楽極楽、悪い方へと考えがちな人間に分けてあげたい柔軟思考です。
「まあ、そんなもんだ」
「え、マジ! やったー! ……て、お日様、大丈夫?」
「さあ。死ぬかもな」
 適当に話をあわせ、笑って誤魔化して。
「なんで? 何、なんでそんなこと言うんだよ!」
 煩くなってきたところで、快楽の世界へと誘うことにしました。 こうすれば、後は、艶のある声しかあげることはできなくなるのですから。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 暗闇の中で、感極まり、すすり泣くような声が響いています。
 ランプの灯りが映し出す人影は、重なり合ったり離れたり。
 しかしさまざまな動きの中、ある一点だけ確実に繋がっているだろうことがわかりました。
 ベッドに横になっていた影は激しく揺さぶられてもされるがままで、時折手が何かを捕まえようと宙を彷徨っています。 その求めごとに、上になった影が上体を折るので、ふたつの影はその度にひとつに重なりました。

 くちゅくちゅと淫らな水音を奏でながら、ゆっくりと抜き差しを繰り返していたシノブは、もう堪えきれなくなったのか、突き上げるように動かし始めました。
 相手のもっとも感じる場所を、自分を引き絞るように強く反応する秘所を。
「あぁっ! あっ、あっ、あっ……ゃ、あっ!」
 途切れることなく、零れ落ちていく声も、トロトロにとけきった内部も高みが近いことを示していて……、これ以上、自身も持ちそうもなく。
「シノブ……シノ……あっあっ」
「っ、……はっ……ふぅッ……」
 激しい息遣いが己の耳に戻ってきます。
 額から汗が流れ落ちました。
「イく、っ」
「あ、あっ……、シノブシノブ……アァッ!」
 腰を打ち付ける激しい動きと掠れた声が耳に届けば、ヒビキは尾を引くような高い声で鳴いた後、背を大きく仰け反らせました。
 シノブを締め付けるヒビキの中は、まるでお前も来いと言わんばかりで。
 唇を噛み締めながら、
「ぅ、くっ」
 大きく二度、三度と叩き付けるように動くと、放つ瞬間は組み敷いていた身体を強く強く抱きしめました。
 ふたつの影がひとつになるように。

 時が止まったかのように静寂がふたりを包みます。
 静かな時に、
「ヒビキ」
 シノブの声が響きます。
「俺を信じろ……。どんなことがあっても、お前を守ってやる」
 それがどんなことを意味するのかわかりませんでしたが、問いかけるだけの力が残っていませんでした。
 重要なのか、そうでないのか。それを考えることすら億劫で、今はただ満たされていたくて。
 ヒビキは隣にいてくれる人へと頬を摺り寄せました。
 とても幸せな気分でした。

2005/04/01
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