吸血鬼の住む館〜5

 今までほとんど日の光が入らなかった場所に、暖かな日差しが入ってきます。
「ノノムラ〜、なんてことしてくれてんだよ」
「え、あ……?」
 低い体勢をとり、頭を抱え、破片から身を守っていたノノムラは、ヒビキの声に顔をあげました。そして目の前の光景に間の抜けた声しか出せませんでした。 燦々と清らかな光の降り注ぐ中、灰になるはずの吸血鬼が立ち上がったのですから。
「なんで……?」
 彼の下で蹲っていたのはヒビキ。親鳥が雛を守るように、シノブの身体に庇われていました。
 その分、飛び散った破片はシノブを襲い、
「シノブ、血!」
 手の甲から流れる赤い血にヒビキが声を張り上げました。
「ノノムラっ! この人に怪我をさせるなんてっ! オレの大切な人なんだぞ! バカっ!!」
 シノブが天井を仰ぎます。
 かろうじてシャンデリアは落ちてこなかっただけでも不幸中の幸いかもしれません。 これが落ちていたら確実にふたり、いや運が悪ければ三人とも今頃白い羽を背中に背負っていたことでしょう。
「テメエ、これだけのことやってくれてんだ。覚悟はあるんだろうな……」
 眩しそうに目を細め、そしてノノムラを見据えました。
「アンタ、吸血鬼じゃねえのか?」
 マヌケな質問だとは思っても口に出さずにはいられません。
 これでピンピンしてるとは!
 ニンニクもきかず、聖水も役立たず、 杭を心臓に打ち込むのは効果的ではあろうけれども、それは人間にも即効性があるということ。 しかもそれをしたら立派な人殺しですから、試さなくて正解でした。
 さっきまで興奮状態で赤かった顔は、途端に青ざめてしまいました。
「マジ、人間?! で、でも、ヒビキの顔色が悪かったり! 今日だって熱っぽいって!!」
「オレのはただの疲れだと思う」
 ヒビキが小さな声で口にしました。
 もともとシノブを吸血鬼だと信じていたのはヒビキでしたが、今となっては確信はなく、思い当たることといえば連夜の愛の行為。昨日はなかったとしても、ここのところ連日愛を交わしていたのですから。それも半端なく。
「そんなぁ……」
 かわいそうなノノムラ。項垂れても、情けない声になっても許されるような雰囲気にはなっていないようです。
 ゆっくりと間合いを詰めてきた人が数歩前で立ち止まりました。
「言い残すことがあれば聞いてやる」
 右手があげられ、剣がまっすぐに自分の元へ。
 切っ先が喉元へと定められているのがわかりました。ガクガクと震えが止まりません。言葉も出ないぐらいに。顔面蒼白状態です。
「シノブ、ダメ。許して、お願いだから、許してやってくれよ。オレの大事な親友なんだ、こんなことしたのはオレも謝る。だけどオレを思ってのことで。オレに責任があるから!  もしもやるなら、オレを先にやれよっ!」
 ヒビキがシノブの袖口を引き、自分へと注意をむけようとしますが、
「お前の親友だろうと俺には関係ない……」
 無常な言葉が戻ってくるだけ。
「でも、でもっ!」
 言いたい言葉が出てこない、悲鳴じみた声が響き渡る中……。



「殿下! おやめください」
 そこに慌てて飛び込んできた青年がいました。
 ヘロヘロと腰を抜かし蹲っているノノムラを抱きしめ、剣の矛先から彼を守るように盾になっていました。
「セイイチロ」
 セイイチロ、セイイチロ……、己の胸元から聞こえる微かな言葉。
 泣きそうなほど頼りない声に、腕に力を込めて。
 強情で滅多に弱みを見せない人が、ただ名前を呼ぶことしか出来ないぐらいに怯えているのです。ヒダカはどんなことをしても守ると、声には出せない言葉を恋人に向かって心の中で囁きかけていました。
 もとは王子であるシノブを迎えにきただけなのですが、それが恋人の危機に出くわすとは。
 これも強い愛ゆえでしょうか。
 ヒダカは自分の主を見上げます。
「殿下……。この人は私の愛しい人です。何故、ここにいるのかはわかりませんが、この人に剣を向けるのはおやめいただきたい。 どうしてもと仰るのなら、私の命を差し上げます。ですからこの人にはお慈悲を!」
 いくら普段、側近という近しい存在であろうとも。
 いくら普段、仕方のない人だなと思っていても、馴れ合う立場にはいないから。
 剣の腕ならばおそらく互角。しかしシノブの存在自体に歯向かえるわけはなく、ひたすら敬意を表し、請うしかないのです。 それでもやはり恋人を守るために、意思のある瞳は強い光を放っていました。
 悲壮感漂う場……。
 それを破るのは、やはりこの人。
「シノブ……、デンカって?」
 デンカ?
 殿下?
 変換までに時間がかかり、ようやくそれらしい文字にたどり着いたヒビキです。
「王子?」
「ヒビキ君、この方はアプリル王国の第一王子だよ……」
 親友の恋人の言葉に、ヒビキは大きな目をより一層見開きました。そしてもちろんヒダカの腕の中のノノムラも。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 結局、三人に泣きつかれたシノブは剣を仕舞うほかはありませんでした。
 そしてその後待っていたのはヒビキの追及。なんで教えてくれなかったのか、その何故何故攻撃に微かな眩暈を覚えたシノブはコメカミを指でぎゅっと押しました。
「別に。お前だって特に聞かなかったから。それに言うつもりだった。今日……。そこに邪魔が入ったんだけどな」
 未だ腰が抜けた状態のノノムラはヒダカの腕の中。支えられているというより、思い切り抱きしめられていますが、振りほどく元気もなくしてしまったようです。 シノブの最後の方の言葉に、ごめんなさい、と項垂れでしまいました。
 そしてヒビキとはいえば。
 なぜか涙をポロリと一粒。
 慌てたのはシノブです。
 急に泣かれた意味がわかりません。
「どうした?」
 俯いてしまったヒビキに、シノブが顔を上げさせました。
「吸血鬼の方が良かった……かも」
「どうして?」
 今度、問いかけるのは青年の番です。
「……オレ、貴方のこと好きだよ? すごく好き」
 疑問に対する回答ではありませんでした。しかしその気持ちは痛いほどに伝わってくるのです。 住む世界の違い、知ってしまえば今まで通りというわけにもいかないとでも思ったのでしょう。
 ジワッと瞳に浮かんだ涙に、シノブが額にキスを落しました。
「覚えてるか? お前を俺のものにすると言ったこと。何があっても信じろと言ったこと。 今日、連れて行こうとしていたところは、俺の本来いる場所。 ……お前にもずっと一緒にいてもらいたいと思ってる場所だ」
 一緒に暮らしてほしい。
 そう、確かにシノブは言いました。
 気まぐれ……、かもしれない。こんな大事なこと、一存で決められないこともわかっている。だけどそれでもいいと思いました。なぜなら、自分の気持ちにも嘘はつけないからです。
 だから。
「はい」
 背筋を伸ばして、相手を見つめて、厳かに応えました。
「俺の声だけを聞け。いいな……」
「ん」
 言い含めるような声音に、いつもの彼に戻って。そして少し照れながら微笑みました。

 ノノムラもヒダカも聞いています。ただ静かに、黙って。
 相手が王子だと知ったノノムラは、またしても複雑な気分でしょうが何も言わずに、事の成り行きを見守っているようでした。
 ……と。
 そこにいることを思い出したかのように、
「おい、お前」
 シノブがノノムラに言葉を投げました。
「はい」
 震える声で返します。
 呼ばれたことで、もう頭の中ではぐるぐるといろんな言葉が駆け巡っていました。 言うなれば王室の持ち物を大破してしまったのですから、それなりの処罰があって当然でしょう。
「ヒビキと一緒に来い」
「? はいっ!」
 つまりはヒビキに仕えろというになるのでしょうが、自分の予想とは正反対の有難い話ですから即答です。
 ホッとして隣のヒダカを見上げると微笑んでくれました。ただ少し心配そうな瞳の色でしたが。
「大丈夫。俺ちゃんと頑張るから」
「オレもノノムラがいると嬉しい」
 無邪気に喜ぶふたり。
 しかし純粋に喜んでいいものか、ヒダカの心中は複雑でした。少なくとも自分が知っている限りでは、シノブが人に執着するという場面を見たことがないので、 ノノムラに声をかけた理由がわからなかったからです。
 ヒビキ君の為?
 それだけでもないような気がしますが、あれこれ思っても仕方ないので近くにいられることを喜びとすることにしました。
 だからノノムラを抱く腕に力を込めて、その気持ちを伝えました。

「式はちゃんと教会であげることにするが、とりあえず、こいつらが証人だな……」
「え?! 式? そんな!」
 あまりにも話が飛躍しすぎではありませんか。
 心の準備というものが……。
 びっくりまなこのヒビキにふわりと笑うと、
「愛している」
 神聖な言葉を乗せた唇が降りてきます。
 静かに重なり離れても、まだ吐息のかかる距離にいて。
「もっとたくさん聞きたい」
 頬を染め、ねだる甘い声に応えないわけはありません。
 シノブの右手が項から髪を梳くように入っていきました。左手は腰のあたりに回されています。 引き寄せると、僅かにあった空間さえもなくなり、ぴったりと身体が重なりました。
「シノブ……」
 名前を呼ばれることがこんなにも嬉しいと感じ、体温を感じられることがこんなにも愛しいと思えるとは……。
「愛してる。愛してる……。ヒビキ……」
 抱きしめて、囁く声はどこまでも甘く。
 見つめあっては微笑みを交わしています。

 そのあまりにも優しげで、愛しさ溢れる王子様の表情に、外野のふたりは揃って見ない振りをするのに必死だったとか……。

2005/04/01
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