君の笑顔に逢いたくて
 ドラえもんの絵のついた小さなリュックには、お気に入りのロボットが顔を出している。 というか、それしか入ってない。なんとかスーツというものらしい。 舌足らずな声で聞かされたが、忘れた。
 着替えとか、パジャマとか、風呂に浮かべるアヒルのおもちゃ等々、が入った旅行用バックは俺が持って、出かける準備は万全だった。
 それにしても、俺ってそんなに信用があるのか?
 母親が疑いもせず子供を預けようとしているのが不思議だ。おかげで誘拐犯にならずに済んでいるのだが。
 どう思っているのだろう。
 どんないきさつで知り合ったのだろう。
 疑問は尽きないが、それを訊いている時間もないような気がした。
「じゃあ、よろしくね忍君。ひーちゃん? 我侭いって、おにいちゃんを困らせては駄目ですよ?」 
「はーい」
 元気よく手を挙げて母親の注意に応える。あどけない笑顔が俺の心も和ませてくれた。
「行くか」
「うん。いってきまーす」
 当然のように響が俺の手を掴む。
 柔らかくて、温かくて、思った以上に小さな掌をしっかりと包み込んで西日が眩しい夕暮れの道を歩いた。
 いつもなら十分強ぐらいの距離か?
 それが倍以上かかる。まっすぐ歩こうにも、あちこち注意が逸れるし、歩幅が違うし。
突然立ち止まったと思ったら、道端に咲いている小さな花を覗き込むようにしゃがみこんで、 かわいいね、と俺に同意を求めたり。すれ違う人に、なになにちゃんのママ、こんにちは、と手を振ったり。
 今の響の人格形成過程を見ている気がして少し得した気分。気づかれないように笑った。
 もうマンションが近くなった頃、突然。
「カレーがいい。しーちゃん、カレーにしてね」
 響が言う。
 いや、何を食いたいとか聞いたわけでもないし、食べ物の話しをしていたわけでもないのだが……。
 やっぱり響なんだな、と堪えきれずにふきだした。
「あ、わらった」
 自分が笑われてるのに、えへへと、嬉しそうに笑う響。
 駄目だ。
 可愛い……。
 意識して引き締めなければ、俺の頬はこの先もずっと緩みっぱなしになる気がした。コホン、なんて業とらしい咳払いをしても、やっぱり響は嬉しそうに俺を見ていて。
「ああ。カレーな……。わかった」
 可愛くて、可愛くて。
 そんな感情が溢れて、溺れそうなほど。
 愛しい想い。
 ずっと過ごしてみたかったな。この子の傍で……。
「肩車してやろうか?」
「できるの!?」
 今、響の中では背中に背負ってるロボットよりも俺の方がヒーローに違いない。 瞳が輝いていた。
 こんな日が来るなんて。
 俺が子供を肩車……。
 ありえねえだろう?
 わあ、高いね〜、と感動している幼子。はしゃぐ声が、耳のすぐ近くでこだまする。
 そんな二度と味わえないような希少体験をしながら、マンションに到着した。
「はい、ついたぞ」
 楽しかった、と。ありがと、と澄んだ声で言われて。またしても頬が緩んでしまう。
「ボクがおしてもいい?」
「どうぞ」
 背丈の足りない分は、俺が抱き上げることになる。小さな指がエレベーターボタンを押した。 こういうのって、子供には魅力的なのかもしれない。
 部屋に入ると、とりあえずテレビをつけて。適当に合わせていると、いつも見ている番組なのか、これ、と声をあげた。 そのまま見入っている。ひとりにしても大丈夫そうだ。全然手が掛からないな、響は。感心してしまった。
 ……と、カレーか。
 材料を確かめにキッチンに向かう。
 冷蔵庫には、何故か、それらに必要なものが揃っていた。
 買った覚えはないが、もともと都合の良すぎる状況だから、そうあってもおかしくはない。 気にせずあるものを使うことにしよう。食べたって死にはしないだろう。
 じゃがいも、人参、たまねぎ、と用意をして洗っていると、響がダイニングの椅子を引き摺ってきてその上に乗り、俺の手元を見ている。 もちろん 『じゃがいもさ〜ん、にんじんさ〜ん…』 と節をつけて歌いながら。
 これも、お約束、だな。
 で、切ろうとしたら。
「お星さまにして?! こーんなの」
 手でそれを表しているのだろうが、どうみても三角だ。
「星……」
 どうやって?
「あのね。ここにはいってるから」
 響が指をさす。その引き出しを開けると、出てきたのはクッキーづくりの型。
 なぜ、こんなものが、ここに……!
 俺の疑問などそっちの気で、歌は続くも。
「お〜ほしさ〜〜ま、フフフ〜ン」
 その後の言葉を忘れてしまったに違いない。冒頭部分だけが延々と繰り返されているぞ?
 小さくても、やっぱり響だ……。
 型抜きは響もやりたがって。危険性はないので自主性を重んじることにする。そして無事に人参は星となった。
 できた、と満足そうな顔を俺は一生忘れないだろう。いや、この子の全ての表情を焼きつけておきたい。そんな風に思った。
 楽しい夕食の支度は順調に進む。カレーが出来て、飯も炊けて、サラダも作った。ちなみにルーは甘口だ。一緒に食べた後、片付けも手伝ってくれた。
 現在のあいつよりも使えるかもしれない……。

〜 〜 〜 〜 〜

 響にテレビを見させている間に風呂の準備をして。準備OKを知らせるブザーに、
「一緒に入るか」
 訊くと、大きく頷いた。
 おもちゃを用意して、自分で服を脱ぎ、ペタペタと歩いていく。 ちゃんとたたんでいけ、と出かかったがまだ無理なのだろう。俺が畳んでやる。服を重ねながら、フと思う。
 なんだ、この甲斐甲斐しさは?
 もしかして俺って、意外と世話焼きなのかもしれない。
 自分再発見の旅か、これは?
 考え始めるとキリがない。だから深く考えないようにして響を追った。
 先に洗面所に入ったチビ。俺を待っていたようで、姿をみると顔全体で嬉しさを表現し、浴室と洗面所を行ったり来たりしている。
「あたま、洗うときね、これ使うんだ〜」
 目にシャンプーが入らないように遮るやつを自慢げに掲げた。いいでしょう?、ということなのかもしれない。ひとつひとつの行動が笑いを誘うな……。さすが響だ。
「おにいちゃんも使う?」
 おにいちゃん……。
 背徳の響きに苦笑い。
「いや、いらない」
 おもちゃを手に、鼻歌まじりでご機嫌だ。立って座って、の俺の言葉通りに動いて。身体を洗ってやる。
「ぽんぽこタヌキ。すっげえ、いい音」
 腹をぽんぽんと叩くと、風呂場に反響してぽこぽこと響いた。それがつぼに入ったのか、違うよぅ、と笑う。
「たぬきじゃないもん。ひーちゃんだもん」
 プクと、今度は頬をふくらませて。丸みのある頬が余計に丸くなった。
 突付くと、ぷしゅーっと音をたてて空気を吐き出し、それにまた、エヘヘと声を上げた。
 表情がころころと変化して、楽しませてくれる。
「可愛い、響……」
 抱しめると、純粋に抱きついてきて。
 心から信頼して俺に全てを預けているのがわかる。
 穏やかな時が流れている……。
 癒しの時間。
 でもこんなことしてたら風邪ひかせちまうな。
「さ、入れ」
 先に湯船に入れて一緒に百まで数えた。……というか、ほとんど俺が数えてたんだけど。 思えば、そんな経験なんてしたことがなくて新鮮だった。
 それから……。
「オイ、コラ、待て」
「やーん」
 バタバタと逃げ回る響をつかまえて身体と髪を拭いてやり、ひっきりなしに喋りまくる相手をしつつパジャマを着せて。
 手が掛からないわけではなかった。母親の苦労が身に染みる……。少しもじっとしていないじゃねえか。
 あとは寝るだけ状態にしたところで、また、おもちゃの登場かい。
「これ、しってる?」
 これに乗れば宇宙にいけるよ、とそんな説明をするのだが。 もちろん俺には興味などないわけで。適当に相槌をうってたら、それが癇に障ったようだ。 真剣な説明には真剣に返せ、と。まあ、そうなんだな……。
 響の目が訴えてくる。
 怒りながらも最初から丁寧に説明開始。
「しーちゃん! ちゃんときいて!! あのね、こっからタマがでるのね」
 少しでも余所見をしようものなら、もう、必死だ。
「もう、おにいちゃん!」
「見てるし、聞いてる」
「きいてないよぅ。あのね、あのね」
 地団駄を踏む。踏みまくる。
 そっちの方が面白くて腹が捩れるほど笑った。
 こんなに笑ったのは久しぶりかもしれない。涙で世界が霞んで見えるぞ……。
「ふぁ」
 そうかと思えば大きな欠伸。もう電池切れらしい。子供は電池が切れるのも早いよな。今まで元気よく話してたと思ったら、もう疲れたようだ。
「寝るか?」
「うん。だっこ」
 素直に頷くと俺に手を伸ばしてきた。
 抱き上げると顔を擦り付けてくる。
 そんな仕草が可愛くて、一生守ってやるからな、なんて心で呟いていた。
「いっしょ?」
 甘ったれた声に当たり前だと答えると、花が綻ぶようなふわりとした笑みを浮かべた。
 全ての疲れを吹き飛ばしてくれる。残るのは愛しさだけ。
 髪を梳くように指を入れると、だんだんと下がっていく瞼。
 しがみついた手の力が抜けていくのがわかる。
 そのままベッドに運んで、布団の中に寝かせた。俺も隣に入って寝顔を見る。
 誰からも愛されて、純粋に、まっすぐに育つ響。
 その成長過程を見守るのもいいかもな……。
 そんなことも思うけれど、やっぱり。
 恋しい……。
「響……」
 お前の笑顔に、逢いたい……。
 この手で触れたい……。
 明日になったら、どうにかなってるかもしれない。
 そんな期待を胸に、小さな響を抱きしめて眠りについた。

2004/04/01
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