酷い男  3


 あれから章正はどうしただろうか? 彼女の家に泊まったのだろうか?
 思い悩んだところで答えは出ないけれど、きっと帰ってこなかっただろう、そう思う。
 気になるならば章正の部屋で待っていれば良かったのだ。鍵を持っているのだから。 しかしあんなにあからさまに女との場面を見せられて、さすがにショックでそれも出来なかった。

 もちろん、初めからこんな付き合いだったわけではない。
 最初は春久を大切にしてくれていた。
 だから、忘れられないのかもしれない。そんな甘く優しい時を過ごしてしまったから。 もう一度、戻れるのでは、そう心のどこかで期待してしまうのだろう。
 今でも夢にみる。
 出逢った日のことを。



 半年ほど前に遡る。
 その日は、通訳を目指し専門学校に入学することにした春久が、田舎の澄んだ空気に別れを告げた日だった。
 まだ風が冷たいとはいうものの、抜けるような青空の爽やかな日で新しい門出としては上々だったと記憶している。

 バスに乗り、電車に乗り、数時間をかけて着いた新しい地。
 駅の改札口を出たところで、活気溢れる街並みをぐるりと見回した。
 人の多さに眼を瞠るものがあり、時間の流れも今までとは違うような気がする。 誰も知るもののいない場所で不安を感じないわけではないが、気が引き締まるのも事実で、春久はこれからの自分に「よし」と気合を入れていた。
 まずはアパートに急ごう。
 歩き始める。
 以前、契約の時に一度来て、道は覚えているはずだった。
 それなのに、どこをどう間違えたのか、なかなかたどり着かない。ついに立ち止まり、住所とにらめっこする羽目になり。すっかり、ここはどこ状態である。
 近くに住宅地図があるものの簡略化されすぎて、いまひとつ自分のいる場所と目的地までの道のりが掴めずに、 見つめること数分。諦め、人に聞くことにした。
 一番最初に、目の前を通り過ぎようとする青年を、咄嗟に呼び止めて。
「あ、あの、すみません」
 住所を言い、そこへの道のりを尋ねる。ついでのように、メモを差し出しながら。
 しかし彼は出された春久の手を避けるように手で押し退け、鬱陶しそうな口調で言った。
「時間ないから」
「はあ。すみません」
 足を止めることもしない人に向かって頭を下げた。当然のように、頭を上げた時にはもう相手はいなかったが。
 そして次に来た人を同じように呼び止めようとしたが、今度は何も言われないまま、やはり手で遮られた。次も、その次も。
 決してお洒落とはいえない身なり。
 その純朴さと、必死にものを尋ねようとする様子は、怪しい勧誘とでもとられたのだろうか。 声を掛ける人にことごとく断れ続けて、ついには遠目に避けだす人々。
 途方に暮れたようにその場に立ち尽くす。溜息まで出てしまいそうだ。 実際、口にはしなかったが心の中でひとつ小さな溜息を吐いてみたりもする。
 でも。
 こうしていても仕方ない。
 気持ちを入れ替え、もう一度駅に戻ることにした。交番があったから。そこで訊くしかないだろうと思った。

「おい」
 そこに声がかかる。
「あ」
 顔を上げると、見覚えのある印象的な顔。
「それ見せてみな」
 最初に春久が呼び止めた人が目の前にいる。そして、それが章正だった。
 チラとメモに目を走らせると、歩き出す。 
 遅れないようにと付いて行くと、ちゃんと目的の建物があるではないか。しかも春久がいた場所からさほと遠くないところに。
「時間なかったんじゃ……?」
「もういい。お前、トロそうだから戻ってきたんだ。案の定、トロいのな」
 くくっと笑う顔に見惚れてしまう。
 柔らかな日の光が木々の間から彼に降る。まるで彼の存在を主張するように。
 春久は言葉もなく見つめていた。
 俳優だとか、モデルだとか言われても、きっと信じただろう。それほど彼は眩しかったのだ。

 章正のアパートはすぐ近くで、大学二年だと言った。
 茶色の髪は少し長めで、耳にピアスをあけていた。 間近で見ても整った風貌。春久も低い方ではないが、その彼から見ても話す時は目線を上げるぐらいだから百八十は超えているのだろう。 一見、遊び人風。これが春久には洗練された雰囲気に映る。仲間にはいない衝撃的な美しさだった。
 憧れるほどに格好いいと思った。
 それから、近所のせいかよく顔を合わせ、話をするようになり。行き来するようになる。

 そして一ヶ月が過ぎた頃、春久は彼に告白する。
 知り合って短期間ではあったが、異性に興味を持てない彼が、気持ちの変化を認めるには充分な時間であり、 伝えたいという衝動は日増しに強くなってしまったから。 彼女と別れたばかりという話も春久の背を後押ししたのだろう。
 己の中の小さな勇気を掻き集め、気持ちを口にした。
 好きです、と。付き合ってください、と。
 視線を逸らさずに彼の声を待つ。一秒がやけに長く感じられた。
 返事がこない。
 見つめあう時間ばかりが過ぎていく。
 とのくらいそうしていただろう。
 緊張がピークに達しそうだった頃、意外にも彼は、春久の告白を受け入れる。 単なる興味だとわかっていた。いいよ、と言うまでの間は、きっといろいろな迷いだと思うから。 それでも笑われなかったことが嬉しい。章正は真剣に聞いてくれた。
 あの時の温かな気持ちは一生忘れないだろうと春久は思う。
 その日のうちに、キスをした。
 そしてそのまま抱き合った。
 章正も男が初めてなら、春久も初めてで。
 痛さのあまり失神しそうになりながらも、相手が憧れの章正だと思えば我慢することが出来た。
 成り行きでもよかった。恋愛ごっこでもよかった。これ以上何も求められないぐらいに幸せで、春久にとってはまさに運命の人。
 しかし、そんな生活も始まりと同じように突然、壊れはじめる。
 ある日、女の匂いをさせて、春久のもとにやってきた章正。
「女と付き合うことにした」
 いきなりの宣言だった。
「どうして?」
 オロオロと問いかける。何か気に入らなくて、怒らせたのならば謝ろうと思っていた。それだけ、彼は章正が好きだったから。
「俺はホモじゃない。女の方がいい」
 冷たい声で言い放たれる。
「僕は……」
「別れたくないなら、別れなくてもいい。だけど、お前の優先順位はどんどん下がる。どうする?」
「好きなのに……。別れたくない」
 春久が縋ったことで、この話はケリがついた。ふたりの関係はフィフティフィフティにはなりえなくなった。
 どんなに春久が章正のことを想っていても、彼の一番にも、たったひとりの人にもなれない。
 そんな彼にどこか憐れみの瞳が向けられていたのを知っている。その目を見たとき、本当は別れを望んでいたのだとわかった。 しかし春久にはどうしても別れの三文字を口にすることが出来なかった。 笑って去ることが出来なかった。
 いつか終わりがあるとしても、それは今じゃなくていい。
 どんなに残酷で、辛い日々が始まろうとしても、その時は耐えられると思っていた。



 寝不足のせいで瞼が重い。
 今日も学校、その後はバイトといつもと変わらない日が続くはず。
 シャキッとする為に冷たい水で顔を洗い、インスタントコーヒーを淹れ、胃に流し込んだ。
 学校に行く為に家を出る。
 空は澄み、晴れ渡っている。初めて彼と逢った、あの日のように。

2004/11/30

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