酷い男 4
今日も春久はバイトに忙しい。彼のバイト先は宅配専門ピザ屋で、主に配達を受け持っていた。 学校が終わるとほとんど毎日のように働いている。 わりと外国人居住者の多いこの地域では、彼のように語学力に優れた人間は重宝がられており、なかなか休ませて貰えないのだ。 「春久君がいてくれると助かるよ」事あるごとにオーナーはそう口にしていた。 だから彼もそれに応えようとする。 試験前などは休むこともあるが、出来る限り都合をつけ、組まれるスケジュール通りに動くことにしていた。 感謝されれば誰だって悪い気はしない。 働くのは好きだし、働いた分だけお金も入ってくる満足感。贅沢する余裕はないにしても、日々の生活に困らないだけのものは賄える。 たまにピザやオーナー婦人から御裾分けと称しいろいろと物を貰えたりするから、食費も安くあげることが出来た。 充実していると思う。恋愛以外は。 「春久君、すぐで悪いけど次の配達よろしく」 「はーい」 ちょうど配達先から戻ってきた時、オーナーに声を掛けられた。ちょうど焼きあがったピザをオーブンから出していた。 「坂口君のところだから」 知らされた住所は章正のもの。 こんなに? Mサイズが三枚と、彼ひとりで食べるには多そうな量に不思議がっていると、 「いつもは一枚なのに珍しいわね」 同じように思ったのか、オーナー婦人が言った。 章正は常連だ。だから彼から注文が入るとすぐにわかる。加えて言うなら、バイト仲間にもオーナー夫妻にも、彼が春久の近所だということはもちろん、ふたりが顔見知りだということも知られていた。 それというのも、迎えにきたことがあったから。 フラッと来ては近くに車を止めて、店の前で待っていたことが二度三度とあった。 そして見つけた瞬間、固まってしまった春久を苦笑い交じりに手招きするという光景は、他の者の注意を惹きつけずにはいられなかったらしい。 ましてや章正の容貌はよく目立つ。 黙って見過ごしてくれるわけがなく、次の日には質問攻めにあい、彼がよく注文を入れてくれること、家が近くだということを白状させられていたのだった。 「そういえば最近はあんまり来ないんじゃない? アッキー」 バイト仲間の先輩女性である高木がピザにトッピングを施しながら春久を見る。 髪をひとつに纏めて結い上げ、化粧っけの無い顔はソバカスが目立つ。 サバサバした性格で男らしいと評判の高木は春久に嫌悪感を抱かせない女性だ。帰国子女の彼女もここでは一目おかれている。 彼女がつけたあだ名がアッキー。それがいつの間にかここでの通り名になってしまった。 もちろん章正は知らないが、 こんな愛称で呼ばれていることを章正が知ったら大袈裟に騒ぎ立てるだろうと苦笑した。 「また目の保養をしたいんだけどねえ。ハル君を見てるのもいいんだけどさ。正統派じゃなくてちょっと危険な香りっていうの? たまーに、そういうのに飢える」 声を潜めて高木が笑う。 迎えに来てくれたこと自体が奇跡に近い、春久はそう思う。今でも何故そんな気まぐれを起こしたのかわからない。 しかしそんな風に、時折滲みでる優しさに春久の心は奪われてしまうのだ。 思いがけず来てくれたこともそうだった。驚き、一瞬の後、彼のもとに駆け出していた。すると章正も満更でもなさそうに口元を緩めてくれたから。 嬉しくて、小さなことでも春久の心はいっぱいになる。 だからどうしてとか珍しいねとか、鬱陶しいと思われるようなことは絶対に言わなかった。また次を願うだけに言えるはずもなく、ただ笑顔でいることで感情を表していた。 彼の自分に向ける優しい瞳を思い浮かべる。 これから先も、またあるだろうか? 「いってきまーす」 深く考えこみそうな心に終止符を打ち、春久は店を出た。 きっと現実はもっと厳しく、冷たい。 〜 〜 〜 〜 迎えに来させられたのは、昨日のこと。昨日の今日でどんな風に接してくるのか少し緊張したが、何事もなかったかのように顔色を変えない彼に、春久もいつも通り振舞う。 「これでいい? スパイス、少し大目に持ってきた」 辛いもの好きの彼の為に、いつもたくさん用意してくるのが常だった。 章正が僅かに表情を緩め、微笑む。 ドキリと跳ねる鼓動。 そんな顔を見せられてはドキドキが止まらなくなってしまう。やはり章正は格好いい。 己の顔は赤くはないだろうか。頬が熱いのだけれど。 なるべく見られないように俯きながら、バタバタと保温用バッグを肩にかけた。 「足りるか?」 短い一言を発する章正。札を差し出す手が眼の端に映る。 「うん。待って。お釣……」 そんな遣り取りの間中、章正の後ろから身を乗り出していたのは彼の同級生らしき二人。 数が多かったのは彼らがいたからだとわかった。 部屋にいたのが女性ではないことに、少しだけホッとした。 そのうちのひとりが興味深そうにジロジロと春久を見る。 「へえ、君、知り合いなんだ?」 もしかしたら知り合いだと知られない方がよかったのかもしれない。 華やかなステージの中央が似合う人間と、部屋の片隅が似合う人間。 タイプを分けるとしたらそんな風に区切られるのではと思う。 それを証拠に章正の友人の彼らだって、負けず劣らずスタイリッシュで。きっとこういう人間が回りを囲んでいるのだろう。 あまりにも章正と自分とでは共通点がなさすぎるではないか。 常連さんだから、とか言った方がいいかな……。 それとも何も言わない方が……。 この場を取り繕うにはどうすればいいのか、頭の中で考えている最中だった。 その、俯いていた春久の顔を覗きこむように屈みこんで、男は言った。 「男にしては綺麗だな。ねね、名前は? 俺ともお友達になりません?」 「え、名前」 顔をあげ、バカ正直に反応しはじめた春久に、 「これ向こうに持っていけよ」 章正が怒ったように仲間を押し返し、代金を春久の手に押し付けた。 「……つりはいらない」 さっきまでは僅かながら笑顔を見せてくれていたのに、もう不機嫌にさせてしまった。 しゅんと項垂れ、肩を落す春久に深い溜息が追い討ちをかける。 早く帰れと、そういうことだろう。 「有難うございました」 普通の客に対するものと変わらないように深々と頭を下げ、ドアを閉めた。 〜 〜 〜 〜 「ねえ、ちょっと待って」「はい?」 振り向いたと同時に、声をかけてきた人間が春久の隣に追いついた。 章正の部屋にいたふたりのうちの片割れ。不躾な視線を送ってきたのとは別の男だった。 「俺、浅岡って言うの。君は?」 爽やかな笑顔で言われ、反射的に春久も答えていた。 「水嶋、です」 「配達圏内ってどこらへんまで?」 突然言われたことを瞬間的に理解した。彼が追いかけてきた意味を。 「これどうぞっ!」 バイクに積んでいたメニューを渡す。 青年はそこに載っている地図を確認し、 「ああ良かった」 やはり爽やかに笑った。 「うちのあたりってピザ屋がないんだよね。たまーに食べたくなるんだけど……。これみるとさ、圏内じゃない? 電話したら届けてくれるだろう?」 「はい」 お客さんならば愛想良くしなくては。 春久はにこにこと笑顔を作る。 「お電話、お待ちしてます」 「お待ちしてて。あー、でも今持ってきたピザが美味しかったら、だよ?」 ユーモアたっぷりの口ぶりは、章正とは正反対で。 温かい笑顔だと思った。 警戒心など打ち砕くほどに。 |
2005/01/06
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