酷い男 6
章正にとって自分が便利な存在であることはわかっていた。出来るなら気づきたくはなかったが、とっくに気づいていたことだ。 しかしそれを友人にまで告げているとは思わなかった。 自慢げに話しているのだろうか? 言いなりになる人形を見つけたと……。 悲しみで胸が押し潰されそうになる。明日は章正の部屋に行く日だというのに。 アキがそう言うなら……。 アキがそうしたいなら……。 いつもそう思ってきた。 章正の為に。 その、春久の頑なな決意が崩れようとしている。 こんなに気が重いと感じるのは初めてだった。 「ふ……」 ひとりきりの部屋に自嘲気味な溜息が零れた。 彼に出逢い、いつの間にか章正でいっぱいになってしまった心は、彼を失っても壊れずにいられるだろうか。 浅岡の好意を受けるつもりはないが、寂しさのあまり縋ってしまうかもしれない。 彼で心の空洞を埋めようとするかもしれない。 そこに愛なんてないのに。 身勝手な考えをしてしまいそうな自分を嫌悪した。 真夜中の、とあるクラブの化粧室。 女が口紅を直していた。そこにもうひとり女が来て、久しぶりと声をかけた。 夜の雰囲気に負けない派手な化粧、胸元を強調したタイトなワンピース。 色や形は違えども先の彼女とよく似ている。 このふたり、別に夜の商売をしているわけではない。ただの同じ大学の学生。そして今日もただの遊び。 別々に来たにもかかわらず、こうして顔を合わせてしまうのはここが彼女達の溜まり場だから。 親友とは思っていない。きっとそれは相手も同じだろう。夜遊びに付き合うぐらいの関係。 お互いにスタイル、美貌には自信があり、こいつには負けたくないと思わせる間柄だ。 そのまま隣に陣取ると、鏡越しに目を合わせながら化粧直しの様子を眺めている。 実は尋ねてみたいことがあったのだ。タイミングを計りながら、口を開いた。 「ねえねえ。あの坂口君と付き合ってるってホント?」 あの、と思わせぶりな名前の出方に、艶のあるピンク色を唇にひきながら女はフフと吐息で笑う。 「もう一ヶ月ぐらいになるのよ。モーションかけたら食いついてきたわ」 上品とは言えないあからさまな言葉を口にする。そう返すことで自分の魅力を誇示してるのだろう。 これが本性よね……。女は思う。 それでも男の前では可愛い女を演じることが出来るのだから、嫌味な女、と心で呟いていた。 眉も顰めかけたが、あくまでも表面上は穏やかさを装う。 「えー。寄ってくる女は拒まないって話、本当なんだ……。なんだかショック。カッコイイ人だと思ってたのよね。 ということはやっぱり女好きってことなのね。あの噂は嘘ってことか……。でもアイ、付き合ってる人いたじゃない?」 アイと呼ばれた彼女、化粧の次は髪直しに入った。背中の真ん中まである黒髪は見事な艶を放っている。 サラサラと音を立てそうなそこに櫛を入れ、引っかかりがないことを確認すると満足そうに微笑んでみる。鏡の中の自分に向かって。 「ああ、あの人? まあキープしてたけど」 「別れたわけ?」 「うやむや…ってところ。だって二、三回付き合っただけだし、私の本命は章正だもの。でもちょっと前までは靡かなかったから補欠で我慢してたってとこかしら」 「やるわね……」 傍らにいる女が驚きとも呆れともとれる眼差しを向ける。 「まあ、サイクル早いみたいだし、泣かされないようにね」 言葉の裏には、泣かされればいいのに、そんな意味が込められているに違いない。 それは自分を羨んでいるからだ。女にとって、それこそが己を磨く糧となる。 一段高いところから相手を見下ろす感覚に、心が満たされていくのを感じる。 「私が泣くわけないじゃない」 ことさら念入りに、鏡の中の出来上がった自分を確かめ、今度は隣に向けてにっこりと微笑んだ。 章正は居酒屋にいた。友人のひとりである田辺と一緒に。 「今日デートは無しか。日替わりデートは身体に良くなさそうだもんな」 茶化され、眉を寄せる。そんな章正の仏頂面を眺めて「冗談冗談」と愉快そうに笑った。この男、人をからかって楽しむ癖があるようだ。 実際、章正が今付き合ってるのはひとりだけだし、それも毎日逢ってセックスしているわけではない。 ほとんどは校内を連れ歩く程度だから、夜はこうして自分の時間が持てる。そのことを田辺だって知っているのだ。 恋愛というよりも遊びに近い付き合い方。 プライドの高い女だと、そういう意味で楽だった。ウブで純粋な女の子ならこうはいかないだろう。 いい男を隣に置き、ちやほやされることで自分の存在を周りにアピールし、またそうすることで己というものを自己認識するような、自分第一主義。 今の彼女にしても、アクセサリー感覚で自分と付き合っていることを知っている。 それを章正も利用しているだけ。 どうしたって恋愛には結びつかない。 「つか、あの教授すっげーむかついたんだけど…って聞いてる?」 「ああ、聞いてる」 田辺の話はもう別の方向へと進んでいる。 それに頷きを入れながら、から揚げを口にした。 マズッ。 そのねちょっとした感触に思わず吐き出しそうになり、やっとのことで飲みんだ。 春久の方が断然うまい。彼の作るものは、手の込んだものではないが不味いと感じたことは一度もない。 しかも手際が良くて、ササッと何品も一度に作ってしまう。 ああいうのを料理上手というのだろう。章正は思う。 そういえば明日は春久が料理を作ってくれる日だ。 久しぶりに一緒に食事をするのもいいかもしれない。 たまには早く帰ろう。 いつもはそんなことは思わないのに不思議と今は春久の顔がちらついていた。 「なあ、あの子、紹介してくれよ」 ビールを一本空けた頃、田辺が言う。 「またそれか」 前々から繰り返される話に彼は溜息を吐いた。 田辺も章正に負けず劣らずモテる部類の人間のはずだ。それが章正の紹介を必要とするのは理由がある。 相手がそう簡単には知り合いになれない人物だから。 「紹介ってなんなんだよ」 そうでなくても今さっきまでその人物を頭に浮かべていたのだ。 たまたま偶然の一致であっても、なんとなく見透かされたようで癪に触った。 こんなことならピザなんかとらなければ良かった……。 アパートで一度見たきりの春久を田辺は紹介しろと煩かった。あまりにも煩いから名前すら教えていない。 この男に紹介するのは嫌だというのもある。 友人とは言っても自分語りをするわけでもないから、謎が多かった。 特に田辺は飄々として掴み所がない。それは浅岡にも章正にも共通するのだろうが。 「男もいいらしいじゃん。あの顔なら俺もちょっとキスしてみたいなんて思ったもんな」 「変態だな」 自分のことは棚にあげて、サラリと言ってのけた。 チラと田辺が章正に視線を投げる。当の本人はつまみに手を出していてそれには気づかなかったけれど。 「友達になるぐらいいいんじゃないの? それとも何、人には紹介したくないほど大事だとか?」 章正の箸が止まる。 「別にそんなんじゃねえけど。あいつ人見知りだから」 それはどんな理由なのだろう。 咄嗟に口をついて出た言葉に、章正は自分で言ったにもかかわらず首を傾げそうになってしまった。 「人見知りって……、気に入るか気に入らないかなんてそれはあの子が決めることだろう?!」 田辺が可笑しそうに章正の肩をバシバシと叩いた。 もっともな言い草にその手を払いのけ、瞳を眇めてみせる。 面白くない。 そんなに笑えるほど面白くはない。 「帰る」 突然、ジャケットとカバンを手にして立ち上がる。 「おい、金」 「俺、今日金ないから。明日払う」 「そりゃないだろ……、っておいっマジで?!」 田辺が慌てて財布の中身を確認して顔をあげた時、既に章正は店を出て行くところだった。 空は暗い。星はひとつも見えないし月もどこかに隠れている。 季節的にも最近はこんな夜空ばかりだったと思い返す。 「鬱陶しいな」 それが何をさしての言葉なのか自分でもわからなかった。どんよりとした空のことなのか、田辺のことなのか、それとも己の気持ちのことなのか。 さっきもわけのわからない言葉を口にしてしまった前科がある。今日の自分は少し可笑しい。自嘲気味に小さく笑った。 タバコを取り出し、愛用のライターで火をつけた。深く吸って吐き出す。胸のもやもやも一緒に吐き出すように。 最近は章正を見れば田辺は春久のことを口にしていた。 彼女がいたと聞いたことがある。ということは、 あいつ、バイか……。 どうだから知らないが現に春久は男なのだから、それを紹介しろと言われればそう疑われても仕方ないだろう。 ただ、煩く言ってくるのも章正とふたりだけの時だったし、普段はそういう素振りも見せないから、彼を信頼してのやはり秘密なのかもしれないと思う。 春久はゲイだから意外と話が合うかもしれない。 彼にしても田辺を好きになる可能性だってあるわけで、そうすれば春久は章正から離れて行くだろう。章正が望んだとおりに。 それがいいのか……。 それでいいのか……。 急に寒さを感じて、背中を丸めて歩き出す。 田辺と春久。ふたりを脳裏に並べてみてもしっくりこないし、ただ腹立たしいばかり。 絶対に紹介なんかするか! 第一、春久が好きなのは自分なのだ。 なんとなく紹介したくないわけじゃない。そこに立派な理由が存在するから拒否するだけのこと。 そう考えれば不思議なほど心が落ち着いた。 |
2005/02/11
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