酷い男 13


 章正が同性愛者だという噂を聞いたのはいつのことだったか。

〜 〜 〜 〜 

 章正の友人、知人問わず、ばら撒かれたメールがあった。
 もちろん浅岡の元にも届いていたが、その時には気にも留めなかった噂。逆にそんなの信じてないからと慰めの立場にいたのだ、あの時は。
 それが変わってしまったのは、自分の彼女だと思っていた女が章正の腕にしなだれかかっているのを見てからだった。

 浅岡の元彼女、それが章正が付き合っていたアイという女である。
 留学を決め、近い未来に思いを馳せていた時期に彼女と出会った。気分が高揚していたことも気持ちを走らせた一因かもしれない。 何度か会い、身体を重ね、のめりこんでいく自分に気づく。
 頻繁に逢っていたわけではなくとも、間違いなく恋人としての関係だと思っていた。
 しかし、ある日を境にその彼女からの連絡がパタリと途絶え、電話をしてものらりらりとかわされて、 そのうち顔を合わせても笑顔ひとつ見せなくなった。 気恥ずかしいとか照れているとかそういう状態ではなく、まるで存在自体を無視するかのように。
 そして、直にその理由を知る。章正の彼女になったからだ、と。
 彼女が自分と章正が友人同士だと言うことを知らないはずはなかった。 なのに腕を絡めて歩く姿は堂々としており、何より彼女の表情は誇らしげで。
 無邪気な裏切り。
 乗り換えられた理由など、何故と問い詰めるまでもない。気位の高い女は、よりモテる男を求める。周りの女を蹴散らしてその頂点に着くために。
 つまりは自分では役不足だったというわけだ。
 章正が見境なく女に手を出していたことを知っている。間近で見ていたのだから。しかしまさか自分の彼女が、その中のひとりになろうとは……。

 現実にはアイが仕掛けたことでも、そんなことは関係ない。
 たとえ、浅岡と彼女が付き合っていたことを章正が知らなかったからだとしても。
 ただ寄ってきたから、いただいてしまっただけだとしても。
 男としてのプライドに入ったひびは、笑えないほど深い。あまりに無様で情けなくて、どうにも気持ちに納得がいかなかった。

 結果、その負の感情は彼女ではなく章正へと向けられることとなる。
 アイを彼女だと思っていたのは浅岡だけ。事実、アイからアプローチをしなければ、章正の目には入らなかっただろう。
 けれども被害妄想的思考に駆られた男は、彼女を奪った男への復讐をと思い立ってしまった。 いや実際は、そんな大層なものではない。ただの嫌がらせ程度の、ほんの軽い気持ちでネタ探しを始めたはずなのだが――。

 気づけば彼を目で追っていた。さりげなく、かつ注意深く。 夜中、こっそりと章正のアパートまで行った事もある。
 静まり返ったドアの前で、耳をそばだてて中の様子を伺い……。さすがにやりすぎだとわかっていた。 けれど、後悔する気持ちを打ち消すような、驚くべき成果を手にしてしまったのだ。
 中から聞こえる押し殺した声が男の喘ぎだと知った時には鳥肌ものだったが、女とは違う色気が含まれていると感じたのも否定できない。 そして探偵じみた、いやストーカーともとれる行動の末、相手を突き止めたのだ。章正とは正反対の、大人しそうな青年だった。
 いいカードを手にしたと思う。
 自分があんなにも焦がれた彼女とも熱くなる様子のない章正に不信感が募り、 カモフラージュなのではないかと思ったのはただの勘だけれど、 なかなか己の第六感も侮れないと浅岡はほくそえんだ。
 春久と逢った次の日、それまでの日が嘘のように上機嫌だったのは、 彼と会ったからだ…、なんとなくそう考えれば、そこから導き出せる答えは、実は彼が一番夢中なのは、あの青年なのではということだった。
 ならば、
 切り離してやろう。
 それは大して難しいことではないように思えた。その割に、章正へ与えるダメージはかなりのものだろう。
 突如として浮かんだ素晴らしい考えに己を褒めたくなったほどだ。

 春久に近づくキッカケは本当に偶然だといえる。
 心を黒い雲で覆われながら友人面をしていた自分。それでもツキが回ってくるということはなんという神の悪戯なのだろう。 ピザの配達に来た春久となんなく知り合いになれたのだから。
 春久に接近し、観察し、ふたりの仲を探る。
 優しさを前面に押し出したり、好意を寄せる振りをしてみたり。全て章正から遠ざける為の画策であったけれど、 章正一筋は変わらない。春久は思い通りにはならなかった。
 人の心なんてすぐに変わるもの。
 そういう環境にいた浅岡には理解できなかった。そして、これほどまでに想われている章正が羨ましくて……。
 そしてある出来事に遭遇する。 約二ヶ月前、春久と僅かな時間を過ごし、別れた後の事である。
 なんだか飲み足りなくて、浅岡がふらりとやってきたのは、同じ大学の人間がたむろするクラブ。 煩いぐらいに響く音楽の中、男女数人のグループで交わされる言葉だけがやけにはっきりと耳に届いた。
 所詮二番手なのだという言葉。
 それがアイの本心だと聞いたのは、彼女の友人の口からだった。
『ねえねえ、今、面白いこと聞いてきちゃった』
 酔った勢いというのもあるだろう。アイの友人はクラブに来ていた仲間内で噂話に花を咲かせていた。
 それは、女を取られた哀れな男の話。
『うっわー、キッツイな、それ』
『でも捨てられた方もそれだけ魅力が無かったってことだよな』
『そうそう』
『でも可哀相よね。やっぱり酷いのはアイだと思うけど』
『どっちもどっちなんだろ?』
『坂口君ってホモだっていう噂がなかった?』
『あー、あったあった。前に携帯に送られてきたやつだろう? 俺ンとこにはなかったけど』
『私のところには来たわ』
『実際そうだとしたら救われないな、そんな奴の方を彼女は選んだ。立場がないね』
『まったくだ』
 背中越しに聞かせられた、憐れみと嘲笑。

 まったく間が悪いとしか言いようが無い。それともこれも運命なのだろうか。
 苦境を乗り越えてみろとでも?
 その時、浅岡はそう己に問いかけていた。当然、応えてくれるものは己自身しかなく。
 羨望は妬みに変わり、心に闇を落していく。荒れ狂う嵐の海のようにゴーゴーと恐ろしい音を立てて渦を巻くまでには、 ほんの一瞬もかからなかった。
 すぐに店を出て、家に帰った。
 苦しめ……。
 そう呟きながら嫌がらせのビラを作り、学生が見る掲示板に張り出したことは、まだ記憶に新しい。
 しかしそうすること以上に、他に何かを考えていたわけではない。 いくら悔しくても、多くの人間がそうであるように、現実として復讐などありえない。 精々、心で呪詛を唱えまくるぐらいだろう。
 それに、このことが原因で章正の元から春久が去ったらしいことは、ふたりの様子からわかったから、 浅岡としては目的を果たしたようなもの。
 タイムリミットはもうすぐ。
 日本を発つ日は間近に迫っているのだから。
 このまま、呪いの言葉は年月とともに消え去るはずだった。あくまで嫌がらせの域を出ないはずだった。

 もしも、怯えた様子の青年が、今、この腕の中にいなければ。

〜 〜 〜 〜 

 手繰り寄せた記憶の中で、浅岡が表情を歪めた。
「よりが戻ってたなんて気がつかなかったな。章正も君も隠すのがうまい……」
 正確にはそうではないのだが、ここにいた時点で勘違いされても仕方のないことかもしれない。
 必死に意識を保とうと、春久が瞬きを繰り返す。
 そのうち、ぼんやりとした視線が潤み始め、唇の乾きが気になったのか舐めたりする。 そんな無意識の仕草に、浅岡が小さく笑った。
「なんだか色っぽい」
 章正が囚われる理由が、浅岡にもわかるような気がした。
 見つめられると、妙に胸が騒ぐ。守りたい、苛めたい、不思議な気分になってしまうのだ。
 唇を重ねた。感触を確かめるだけの、軽いもの。
「男とキスするのってどんなものかと思ったけど……」
 悪くない、フッと笑う相手に、春久は威嚇するように睨みつけた。
「可愛いと思ってるからかな……」
 穏やかな瞳も、偽りのもの。
 覆いかぶさっている男を押し返したくて、ここから抜け出したくて胸に手を突いた。しかし力が入っていないから、ただ支えるだけの意味しか持たない。
 意識をふらつかせながらも、抵抗を見せる春久の頬に落とされるキス。
「ゃ、はなせ」
「ごめんね。もう止められないんだ」
 耳元に息を吹き込むように、囁きかけてくる。
「いやだ……。やっ、ヤダ! やめっ……っぅ」
 イヤイヤと首を振り、叫ぶ春久の唇を、唇で塞いだ。
 閉じられる前にすかさず舌を割り込ませてくる。
 上顎を、頬の内側を、歯列までも舐め上げ、貪るようにねっとりと弄られた。
 送り込まれる唾液を吐き出したくても、喉を仰け反らせるように持ち上げられると反動で飲み込んでしまう。
 思うままに蹂躙される。
 自分の下で苦しげに呻く相手を、浅岡は薄っすらと目をあけて観察する。
「ぅっ……ふぁっ、……ァ……キ、アキ」
 息継ぎの合間にも、ここにはいない人を呼び、もがく春久。
 浅岡を追いつめたのは、アイでも章正でもなく、ある意味、春久なのかもしれない。
 確かに切欠はあのふたりだったかもしれないが、引き金をひいたのはどんなに虐げられても章正だけを愛する一途さ。 自分に向けられることのない強い想いは、魅力であり、憎らしくもある。
「暴れられると困るんだよ。君も痛いのは嫌だよね……?」
 痛いという言葉に反応して春久が動きを止めた。
 ビクッと強張った身体に苦く笑うと、ほとんど脱げた状態の春久のシャツを取り去り、それで後ろ手に縛る。 ジーンズは足の動きを止めるに充分なぐらいにずり下げられた。
「っっ!」
 動きがとれず、何をされるかわからない恐怖に身が竦む。 身体を縮こませているとスッと浅岡が立ち上がり、傍を離れた。向かうは章正の寝室だ。ガチャガチャと引き出しをあけるような音が響いた後、すぐに戻ってきた彼の手には見慣れたものがいくつか握られていた。
 愛する行為に使うもの。
 この場では使いたくないもの。
「やめて、ください……。貴方は男を試したいと言った……。僕とやりたい、なら、僕の部屋にしてください。 ここでは、嫌だ……。……他人の部屋は落ち着かない。抱きたいだけなら、それでいいでしょう?」
 今は章正にも抱かれていない身体。
 好きにしたいならすればいい。
 自棄ともとれるが、それがギリギリの選択。章正の部屋を汚すのは嫌なのだ。
「それに、何か勘違いしてる。章正は僕を愛してない……。最初から、愛されてなんかない」
 言葉にすれば胸がズキズキと痛みだす。
 ずっと目を逸らしてきた、それが残酷な真実。
 自分は章正を愛していた。しかしその逆はない、春久は思う。
 こんなことまで言いたくはなかったが、浅岡は自分を抱けば章正を苦しめられると思っている。 けれど愛がないのだから、無意味だろう。 それでもやめる気がないなら、せめて場所だけでも変えてほしい。
 震える声に、浅岡は瞳を眇めた。
「ここでするからいいんだよ……。気持ちよくしてあげる。どうせなら楽しもう。その方がいいだろう? お互いに」
「お、お願いだからっ、ここじゃやだっ」
 耳たぶを唇で挟みながら甘く噛み、指先が胸の突起に触れた。
 ビクンと背を反らし、
「んっ」
 喉の奥から漏れた、小さな声。
 それに気をよくして、首筋に舌を這わせた。そこから鎖骨を辿り、窪みを舐め上げる。くすぐるように悪戯な動きに春久が身悶える。
「へぇ……。感じるんだ」
 呟きに唇を噛み締めても、身体は正直に感じていることを伝えてしまう。
「もっと聞かせて。喘いでみせて。……章正といる時みたいに」
 胸の尖りを弄っていた指先がわき腹に移動した。 それで刺激が去ったかといえば、代わりに舌先が当てられて、潰すように舐められた。 その周辺にもくるくると円を描きながら、そしてまた舞い戻る、を繰り返す。
「赤くなってる」
 ぬめるそこを摘むように歯で挟まれれば、背筋をビリビリとした快感が這い登ってくるのを止められない。 自分が自分でなくなる。快感に溺れてしまいそうになる。
 敏感だと、章正が嬉しそうに言っていたことを、ふと思い出してしまった。
 脳裏に描くのは、大好きだった人。
 今も大好きな人。
 唯一、愛している人。
 アキマサ……。
 浅岡の掌は腿の内側を擦っている。柔らかな感触を楽しむように。
「はぁっ、……ああっ」
 固く結んだ唇から甘い声が一度零れてしまえば、後は溢れるばかり。
 自分の欲望が膨らんでいっているのがわかる。 血流がそこに集まってくるのがわかる。主張するように、形を変え始める春久のモノ。
「我慢しないでいい。声、出して。……ハル」
 ハル……。
 ハル……。
 呼んでいる。
 ハル……。
 あの人の声が聞こえた。
「あ、あ、ぁあ」
 そして、春久は抱きしめる腕を錯覚していった。
 この腕は章正のもの。
 久しく、抱きしめられたことなど無かったから。もう忘れかけていたから。
 だから間違えてしまう。
「ああっ、あっ、……アキ」
 閉じた瞼の端から涙が零れ落ちる。
「本当に可愛い」
 フッと笑った気配がした。
 今の春久は、その声すらも章正のものととらえていた。

2005/04/21

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