酷い男 14


「こういうの使うんだね」
 浅岡は章正の部屋から持ち出してきたジェルをたっぷりと指にとると、後ろに塗りこむように動かした。
 ジェルの持つ催淫作用か。じんわりと熱が広がっていく。快感を追うことに慣れた身体が煽られることは容易い。
「たくさん塗ってあげる」
「ひぅっ……ぁあ……」
 楽しそうな声が部屋に響いた。それに重なるのは堪えきれずに零れる甘い声……。

 蝕まれる心と身体。
 この状態の春久には、一糸纏わぬ姿にされ、浅岡の目に晒されていても恥じらいはなかった。 男の裸を見て、身体を触って何が楽しいのか、そんな疑問も出ないほど脆い心は考えることを放棄していたのだから。
「……ん……あぁっ」
 ここにいるのは章正。
 頭にあるとすれば、それだけ。
 この腕を、手を、唇を……、全てを愛しい人のものに摩り替えること。
 たとえそれが現実でなくても、抱いてくれる腕が章正だと思えるだけで、嫌悪も後悔も疚しさも感じることなく、春久を幸せにしてくれた。
 悲しい現実よりも望みたいのは一時の儚い幻。
 抵抗することを選べなかった春久の、これは無意識の防衛本能といえるのかもしれない。どうせ同じ道を辿るならば少しでも心を誤魔化せる方がいい。
「ハル」
 だから唇に感じる温かさに、夢中で応えた。
 キス、してくれるなんて。
 章正とのキスが好きだったから、口内を嘗め回す舌を捕まえ、自分から絡める。
「んっ……んんぅっ、……んっ」
 乱暴に動く相手の舌を宥めるように甘く噛んだり、擦り合わせたり。
 くちづけをすることの喜びに、春久の心は満ちていく。
 もっと。
「……ふ、ぁっ」
 もっとして欲しくて、唇が離れても名残惜しげに追いかけてしまう。

 整わない息で見上げてくる春久を浅岡は見つめた。
 濡れた唇は誘うように僅かに開かれ、目元を赤く染めている。
 ユラユラと揺れる視点は、明らかに自分ではない人間をそこに見ているのだろう。
「……アキ」
 小さく紡がれた名前は、助けを求めるようなものではなかった。ただ、恋しいと、愛しいと知らしめる切ない響きを持っていた。
 わかっていたことだ。
 春久が章正を愛していることなど。こんなにも明白に。
 なのに、悲しいような切ないような、なんとも表現し難いホロ苦い感情が湧いてくる。
 この胸を突く想いはなんなのか。
 愛?
 やはり嫉妬だろう、浅岡は思う。
 心の奥底にある空虚を埋めたくて、暗い感情から逃れたくて、再び激しく唇を奪った。
「愛してるよ」
 その言葉に春久の頬を涙が伝う。
 涙を拭ってくれる手も、小さく笑う声も、全て愛する人のものならば春久は嬉しいのだろう。
 だから、「舐めて」 こう言った時も素直に頷いて。悦びすら覚えていたかもしれない。

〜 〜 〜 〜 

「んっ、んんっ」
 以前、拙い口淫だと罵られた。
 だけど一生懸命するから……。
 春久は口内で相手を感じながら、行為を続ける。
 そうするうちに、力の無かったものが次第に主張し始め、頭をもたげてきた。
 少しはうまくなったのだろうか。そう思うと、嬉しくなってしまう。

 浅岡は、春久が頬張る様子を目を細めて眺めている。ソファに座る自分の足の間に彼を蹲らせ、己のモノを咥えさせていた。
 手は既に解いてある。微かに赤くなってはいたが、痣になるほどでもなく痛みもなさそうだ。
 目の前のことに夢中な春久に、浅岡が「あぁ……」と感じ入るような、溜息にも似た吐息をついた。そんな声を耳にしてしまえば、青年の行為にもより熱が篭るのは仕方のないこと。
「く……、ふっ……」
 苦しそうに眉を潜めてまでも、続けようとする。
「もう少し口を窄めて…。ああ、そう。いいよ……うん、上手だ……」
 身体が熱くなっていく。
 口でされるのは気持ちがいい。
 本能はもちろんのこと、征服感もあるだろうし、加えて大人しい春久が見せる淫らな一面もまた彼を昂らせる一因となっていた。 しかし心は行為に没頭できずにいる。高揚している反面、冷め切っている部分があるからだ。
「舌を使って……」
 言いながら、おもむろに携帯を取り出した。液晶に表示された名前を確認して押される通話ボタン。その行動に躊躇は無い。
 相手は……。

 数回のコールの後、望みどおりの声がした。
『ああ、何? どうした? ていうか、どこ?』
 相手の携帯には自分の名前が表示されているだろう。 誰と問うわけでもなく話し始める友人の声を、春久の髪を梳き、己のもので膨らむ頬を撫でながら聞く。
 楽しみの時間は長いほどいい……。
 悟られないように。
 しかしその一方で悟らせたくてたまらない。普段どおりの、なんの疑念も持たない声がどんな風に変わるのか、想像するだけで心が浮き立ってくる。
 春久が自分の言いなりになっていることを、教えてやろうか……。

「DVD返してもらおうと思ってお前の部屋まで来たんだけど」
『え? 悪ぃ。今から帰るわ。ちょっと用事があって大学まで来てたんだけど終わったから』
 ということはあと三十分、か。
 車でも電車でも、どちらにしてもそのくらいは掛かるだろう。
 浅岡の声に笑みが含まれたのは、そんな計算をしたからだ。
「いいよ。急がなくても」
『じゃあどこか店にでも入っててくれるか? 帰ったら連絡いれる』
「お前の部屋にいるから……。ちょうど、来たら先客がいてさ。入れてくれたんだよね。……水嶋春久君が」
 浅岡の口から出た人物の名前に電話の向こうが黙り込む。
『何、してる……』
 警戒心丸出しの固い声に思わず笑ってしまう。
「仲良くやってるよ……」
 くちゅりくちゅりと、水の音が届いたのだろうか。
「楽しい時間だ。お前といるよりも、ずっと……。一生懸命さがいいね」
 その音がより聞こえるように、今の行為を知らしめるように春久の口元に携帯を近づけて、喘ぎまでも拾わせる。
 どんな状況であるか、章正にもすぐにわかったのだろう。
 息を飲む気配がした。
『電話を、変わってくれないか』
「無理だね。忙しいから」
 飄々とした浅岡に章正が声を荒げた。
『っ……、なんで、なんでそんなことしてる、春久に……、どうして、理由を言えっ!』
「理由?」
 もはや理由など意味がない。
 始まりは章正への憎しみだったかもしれない。そこに嫉妬も入っているだろう。羨みや妬み。しかし結局はと言えば、成り行きに過ぎないのだ。
 ここに春久がいたから。
 それだけ――……。
「簡単だ。……ただの成り行き」
 章正にそう告げると、隣に放った。
「もっと濡らして。唇を使って扱いてみて」
 今まで章正に向けていたものとは正反対の優しい声音で告げる。
 唾液をたっぷりと含ませて上下するようにと言えば、その通りにしてくれる。
 受話音量が最大にしてあるのは、当然意図してのこと。
『っ、馬鹿なことするなっ! やめろっ!!』
 怒鳴る章正の声が聞こえてくる。
 ビクッと春久の肩が動いた。
「ア、キ……、アキマサの声? 怒ってる……、僕……のこと」
 従順な人形は現実に戻ろうとしているのか。
 悲しげに呟いた後、想い人を探すように瞳を揺らす春久。今にも瞼が下りてきそうなのはかなり薬が効いてきた証かもしれない。
 浅岡が所持していた薬は、体質にもよるだろうが早いものなら三十分もあれば熟睡してしまう代物で、 飲ませてからかなりの時間が経過していることからも、そろそろ意識が朦朧としてもおかしくはない時間帯にはいっていた。
 しかしまだ休ませるには早すぎる。
 すかさず浅岡が春久の耳を塞ぐように両手で挟み、髪にキスを落とした。そして、呪文のように囁きかける。
「そこ、敏感なところがどこかわかるだろう? 舌で……。そう……。ああ、気持ちいい。……いきそうだ」
『ハルっ!』
 ハル、ハル!、と壊れたおもちゃのように繰り返し呼び続ける青年に、
「煩いね、お前……。この人は今忙しいって言ってるだろう?」
 面倒くさそうに電話を取りあげ、冷たい言葉を浴びせた。

『春久に手を出すな……ッ』
 そんな苦しげな相手にも、くくっと笑うと、続けた。
「合意の上なのがわからないのか? 第一、大の大人なら嫌なら逃げればいいだけのことだろう? 自分からしてくれてるんだよ。よほど愛情に飢えてるとみえる」
『お前、何かしただろっ! 春久はな、そんなに簡単にやられるヤツじゃねえんだよ。しかも俺の部屋だぞ! 馬鹿みたいに潔癖なところがあるアイツがそんなことするわけがねえだろっ!』
 悲鳴じみた声がこんなにも可笑しいものだとは。
 そんな風に感じる自分はいかれてる、浅岡は思った。まともな神経など一本も残っていないのではないだろうか、と。
 高揚感に包まれているのも事実で、それが心地いいのも事実で。
 こんな自分はやはりどこか狂っているのだろう。どんなに春久が可哀相だと思っても、こんなことはまともじゃないとわかっていても、やめられないのだから。
 浅岡が口の端を上げる。
「さすがよくわかってる。彼も言ってたよ。この部屋じゃない方がいいって。だから僕の部屋に行こうって……。泣きそうだったよ」
『頼む……。春久に手をださないでくれ……。頼む、浅岡!』
「彼はとてもいい表情をする。俺も欲しくなった。だけどお前の名前しか呼ばない。悔しいね……。ま、そんなことどうでもいいか……」
『っ! アサオカッ! テメエ、許さねえっ!!』
 ギリッと奥歯を噛む音が聞こえてきそうだ。
 章正の言葉に楽しそうに笑うと、切断ボタンを押した。
 今頃、通じない電話に向かってがなりたてていることだろう。
 さて、帰ってくるまでの時間、楽しむとしようか。

「……いかせて。そうしたら、今度は君をいかせてあげるから」
 そろそろ限界が近い。
 はちきれそうなほどに育った自身が、ビクビクと震えている。

〜 〜 〜 〜 

 口の中に広がる鉄の味。
 噛み締めた唇の端から、ぐっ、と低い唸り声が漏れる。
 握りこんだ拳は震え、バックミラーに映る青年の瞳は凶悪なほどに血走っていた。

 土曜日だというのに今日が期限のレポートを提出する為に大学まで来ていた。
 そこから春久に電話をしたのだ。いつものように軽い気持ちで用事を頼んでしまったことが悔やまれてならない。もしも自分の部屋に行かなければ、こんなことにはならなかったはすだ。 そして教授の戯言に長々とつき合わされていたとはいえ、用が済んですぐに帰っていればおそらく止められていた現実。
 こんなこと……。
 握り締めた掌にある携帯は今、切られたばかり。楽しそうな浅岡と、微かに聞こえた春久の声。淫らな音は、何をしていたかなど見なくてもわかるほどで。
 電話の向こうで繰り広げられている光景を想像しては、大声で叫びそうになる。
 ハル!
 ハル!
 狂いそうになる。
 春久が浅岡とともにいるというだけで感じる苛立ちは、もちろんお気に入りの人形を取られたからではない。
 誤魔化しようのないほどに育った想いの正体を無視することは章正には出来なかった。 無視することは、春久と離れるということになるのだから。
「春久に手は出させない。あいつは俺のだから。もう……、二度と離れない」
 離したくない……。
 素直になればそれが一番上にある想い。

 失うぐらいなら噂に晒されてる方を選ぶ。
 そんな風に吹っ切れたのは、彼と距離を置いてからだった。章正にとって一ヶ月は長かった。何度も何度も春久の夢を見たほどに。
 腕に抱きたくて、しかし離れていた方がいいのではないかと繰り返し自問自答した。
 けれど。
 独りよがりだと思われるかもしれない。自分勝手だと罵られるかもしれない。それでも、もう一度と思ったのだ。
 ハルしかいない……。
 他の誰かでは代えられないと気づいても、もう遅いのだろうか。
 愛されないかもしれない。
 たとえそうだとしても、自分の気持ちに嘘はつきたくないと思う。詰られても、責められても、傍にいたい。どんなことでも受け入れたい。
 だからすぐにでも飛んで行きたい。
 春久の気持ちが今も己にあると自信があるわけじゃない。友達になろうと言ったのは自分なのだから。 しかし、少なくとも今の状況は、春久の本意で浅岡に身を委ねてるわけではないだろうことは電話の内容からわかった。しかも名前を呼んでいる、と。
「どうすればっ!」
 携帯を助手席に投げ、アクセルを踏み込んだ。時間を無駄にはできない。
 進みつつ、脳をフル回転させる。そんな章正を応援するように、途中途中にある信号が青に変わっていく。
 しかしまだこの場所からでは、どんなに飛ばしたとしても三十分は掛かってしまう。
 その時間を短縮できたとしても、これだけ頭に血が上っていては、たどり着く前に警察のお世話になるのがオチ。それは避けたい。

 考えろっ!
 どうすれば止められる?!

2005/05/12

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