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幸せの行き先 3
車が静かに停まる。つれてこられたビルは隣駅にある五階建ての建物で、ここだよと言われた時にはさすがにたじろいだ。 「えっ?! ここ?」 「そう」 人の良さそうな笑顔を浮かべた相川さんがくすくす声に出して笑い始めた。 「何、笑ってんだよ」 むっつりと言い返す。 「いや、なんか呆然としてたから」 見抜かれてた。移動中の不貞腐れた態度からは想像できなかったのだろう。思わず『ここ?』と指差した時のオレの顔が 相当、間抜け面だったに違いない。 「高そうだな……」 「いろいろだよ」 そうは言っても……。 オレのイメージしてた店は、もっと、こう……こじんまりとした、だな。 こんなどーーーんとした重厚店じゃないんだよ! そう、目の前のビルは、いかにも超高級宝飾店。貧乏人なんか相手にしませーんって看板に掲げてそうな風格だった。 臆するな、オレ。 自分を奮い立たせて、車を降りた。 車を地下駐車場に入れてくると言うあの人の言葉を背中に聞きながら、改めて店の前に立つ。 拒んでる。 うわあ、拒んでるよ、オレの事。絶対、高校生の入れる店じゃねえもん。 中世の建物を想像させるような頑丈そうな石造りの外観に、巨大な外開きの二枚ドア。 開け放たれたドアの両サイドには、衛兵のようにガードマンが無表情で立っている。 ところどころガラスをはめ込んだ壁面は、それ自体がショーウインドウの役目も果たしてるようで、 中の様子が良く見えた。 店員さんは皆、白い手袋をはめてるし、お客さんだっていかにもセレブ〜な感じ。 ちょっと歩けば古ぼけた商店街があるのに、ここだけ別世界で。 「すげぇ」 オレは迷っていた。入るべきかこのまま帰るべきか。その時ウインドウに映った格好に苦笑がもれた。 長袖Tシャツに半袖Tシャツの重ね着と洗いざらしのGパン。ここには不似合い。ガラスに映る自分がそう言っている。 「不信人物で追い返されるかもな。ま、なるようになるか。どうせ、相手にされないだろうし。……そうだ、帰るにしても立派な理由じゃん」 ドアに近づくオレにガードマンが一瞥を投げたが、呼び止めもしない。そのまま店内に入ると、若い女性店員さんから声を掛けられた、見惚れるような綺麗な笑顔とともに、いらっしゃいませ、と。 それからも次々と笑顔で挨拶される。 なんか違くない? もしかして相手にされちゃってる? 単純にも、相手にされるとわかると、一流顧客の仲間入りみたいな気分になる。 綺麗なおねえさんを前に、意気揚々とショーケースの中を見ていた時、あの人の声が届いた。 「悟くん、遅くなってごめん。車、入れるのに手こずって」 「なかなかいい店だな」 ハイテンションモードのオレの言葉に、相川さんも有難うと嬉しそうな笑顔を返してくれて。 「さ、行こうか」 そういうとオレの手をとり、奥にひっぱっていく。どこ行くんだよ。店内、まだ見てないだろ? オレの心配をよそに、相川さんは奥にあるエレベーターのボタンを押す。 ちょっとここで待っててと通されたのは、四階フロアーにある一角、ふかふかの絨毯が敷き詰められ、革張りソファが存在感を放っている広めの部屋だった。 ここって普通の人が入っていいものなのかな。多分お得意様専用サロンみたいなとこだと思うんだけど。 笑顔で戻ってきたのは十分ぐらいした後だった。左手にアタッシュケース、右手に飲み物を持って。 「アイスコーヒーでいい?」 「嫌だ」 別になんでもよかったけど、なんかこの人には反論したくなるんだよ。困らせてみたくなる。オレの言葉にどう反応するのか見てみたくなるんだ。 「じゃあ、変えてくるから。何がいい?」苦笑しながらも、その声は優しい。 「チョコレートパフェ」 「さすがにそれはないなあ。……あ、近くにカフェがあるから、取り寄せられるか……。よし、電話しよう」 言うや否や、名案! とばかりに勢いよく立ち上がり、近くにある受話器をとった。 マジかよ。 「ちょっ! オレ、これでいいからっ。アイスコーヒー飲みたかったんだよー」 慌てふためく自分の声が静かな室内に響いている。 ふかふか絨毯に足元をとられ、こけそうになりながらもその手から受話器をひったくった。 「いいんだよ、遠慮しなくても」 疑わしそうに顔を覗き込まれ、あまりにも至近距離な切れ長の瞳に、オレは頬が赤くなるのを感じていた。 心臓も口から飛び出そうなくらい、どくんどくんいってる。相手に聞こえるんじゃないか? そう思うほどに。 その音を気づかれないように押さえ込み、蓋をする。防音はばっちりのはず。 知られるわけにはいかないから。 だから何もないふうを装う。心の中で十数え、気持ちを落ち着かせた。 「いい……。それより、商談といこうじゃねえか」 早く、この場を打ち切ろう。そうじゃないと……。また引き込まれてしまう。吸い寄せられる。この人に。 この場をやり過ごして、帰って……忘れるんだ。いろんなことが思い出として積み上げられる前に。 「これなんかどう?」 アタッシュケースを開け、ひとつの商品を取り出す。 相川さんの長い指にからまるネックレス。それは小さな十字架にダイヤがちりばめられたもの。 シンプルなつくりだ。 「誕生日が近いって言ってたね。すると四月だろ? 四月の誕生日はダイヤモンドだから」 「うーん、悪くないけど…」 ただ、ピンとこないだけ。目の前のバッグの中を覗き込む。集められたものはどれも可愛らしいものばかりで。 全部、母さんに似合いそうだ。どうして雰囲気がわかったのかな。全部、高そうだけど。そういえば、オレ、予算言ったっけ? 「これなんかいいな。でも、今日の予算、五万なんだけど」 ちょっともごもごしてしまった。買えるのかな。コレ。手にしているのは四葉のクローバーをイメージしたネックレス。 葉っぱのところはしっかりとしたダイヤが四つ、はめ込まれている。 「これでいい? じゃあ、包んでくるよ。値段は予算内で大丈夫」 そして、俺もこれがいいと思ったんだと笑顔をみせる。その優しそうな笑顔に釘付けになってしまう。 ずっと見ていたい。それでも留まる視線を無理やり引き剥がした。 いつ営業用に変わるのか冷や冷やして、落胆するのはもう嫌だったから。 ついぶっきらぼうな口調になる。 「クロスを勧めたくせに」 「一番君が選びそうもなかったから」 「意味わかんねえ。本当にアンタって何考えてるんだか」 それにも曖昧な表情を返されただけだった。 プレゼント用にラッピングされた贈り物をバッグに入れ、エレベーターを降りた時、 甘い女性の声に引き止められた。 「博行さん」 そんな格好で寒いだろ? とつっこみを入れたくなるような薄手のドレス。 派手な顔立ちに、栗色の見事な縦ロールのロングヘア。 身体の線がくっきりで、彼女の自信を窺わせるような薄手のスリップドレスと上着は光沢のある春色のシルクシャツ。 女優か少女漫画の主人公だ……。 周りの店員さんが、「エリコお嬢様、いらっしゃいませ」と言っているところをみるとどこかのご令嬢なのだろう。 「江里子さん、いらっしゃいませ。本日はどのようなものを?」 例の微笑みを浮かべて相川さんが応対している。 「あら、いやだわ。博行さん。わたくし達の婚約指輪じゃなくて?」 婚約? 今、婚約って言ったよな? 結婚するのか……。 「そういう話しはここでは控えていただけませんか? 私は、これからお客様をお送りするところですので。 行こうか、悟君」 そこで初めてオレとそう存在に気づいたのか、彼女がオレを見た。 眉をしかめ、上から下から視線が動いている。まるで品定めするように。 いらいらが爆発しそうだった。 「何見てんだよ」 普段の自分の声より、かなり低い声だと思う。 それでも少しも動じず、顎を上げて薄く笑い、店内を凍りつかせる一言を放った。 「あなたみたいな汚い子が、よくこのお店に入れたわね」と。 思わず拳に力が入る。だが振り上げることはなかった。 オレの前に立ちはだかるように相川さんが前を塞いだのだ。今、彼の背中だけが視界いっぱいに広がっていた。 「お客様を侮辱するのは私が許しませんよ、江里子さん。この店は誰でも気兼ねなく入れるところです。お客様を選ぶようなことはしません」 大人の男の怒りを含んだ厳しい声に、さすがの彼女も俯いている。 「ごめんなさい。博行さん。わたくし、言いすぎましたわ」 上目遣いで彼を見上げる、しゅんとしたしおらしい態度。普通の男ならここで一発だな。オレは騙されないけど。 「オレ、ひとりで帰るから。遠慮すんな」 こんな女に関わるのもごめんだし、もう用はすんだ筈。それなのに送っていくと強引に背中を押され、車に乗せられた。 おかげで店を出た後も、ずっとあの女の嫌な視線に付き纏われてる気がして落ち着かない。 シートでもぞもぞと動いてるオレに、相川さんの穏やかな声が降り注ぐ。 「明日、お店に行こうよ」 「店?」 ちょっと考えて思い出した。まだ終わりじゃなかったんだ。もう一仕事残ってた。 「ああ、母さんの仕事先か」 「そう。車だと飲めないから、タクシーで行く?」 「タクシー? こっから? いくらかかるんだよ。何万もするんじゃねえの?」 「構わないよ」 「電車でいい。アンタ、浪費癖あんの?」 そこでハタと気づく。あのお嬢さまと結婚するとなると、玉の輿の反対、『逆玉』になるのか。 あの人、ベタ惚れって感じだったもんな。金くらいいくらでも出しそうだ。 なんか腹が立ってきた。そんな金なら使わせちまおうか。 「やっぱりタクシーで行く。オレんちに八時に迎えに来い。そうすりゃ十時前にはつくだろう。金曜だから道も混んでるかもしれないな」 お前何様だよ、いうような偉そうな言葉にも、「はいはい」と笑顔で応じている。 「『はい』は一回って教わっただろ」 「はーい」バカにしたような間延びした声に、不覚にも笑ってしまった。 「子供みてえ」 ほんとに子供みたい。オレの一言一言に反応して、飽きさせないようにしてるのがわかる。 さっき嫌な思いをさせた償いなのかな。婚約者の不手際を尻拭い……。 「君が……」 プラスに転換できないこの脳が恨めしい。だから相川さんの言葉が耳に入ってこなかったんだ。 「何? なんか言ったか?」 いや、とちょっと残念そうな表情でオレを見た。 何を言ったのかな。繰り返さないところをみると、大したことじゃないんだろう。 だからそれで話題は打ち切りになった。 明日終わればきっともう会うこともない。 「明日はとびっきりの商品を用意してこいよ。なんてったって、みんな目が肥えてるはずだし、安物なんか身につけないんだから」 「わかりました」 相変わらず楽しそうな声で、ハンドルを握っている。 「オレが営業成績トップにしてやる」 「はいはい、頼りにしてますよ。トップになったら何かお礼しないといけないね」 デートの行き場所を決めるような軽やかな口調。 だから―― 「いや、それはいい」即答した。 「何故?」 「それでオレの役目は終わりだから。もう逢わないし、逢う必要もない。オレは高校生でアンタは社会人。ほらな、なんの繋がりもないだろ?」 突然、キーーッと車が停まった。おかげでシートベルトが身体に食い込んで痛えよ。 「っ! 急に止めんな!」 「繋がりがない?」 静かな声音に、冷ややかな瞳。他の人がこんな視線をまともに受けたら、背筋に冷や汗が流れるだろう。 だけど、不思議とオレは嬉しかった。営業用の笑顔よりずっといい。 あまりにも鮮烈で、ぞくぞくした。 「ああ!」 瞳を逸らさずに返す。 先に逸らしたのは相川さんだった。溜息をつきアクセルを踏む。 もうすぐオレのマンション。 昼間と同じ場所に静かに停まる。相川さんは無言のままだ。まっすぐ前を見据えている。 礼は言うべきだろうか……。送ってもらったし、いいプレゼントも見つかった。 「今日は有難う」 少し間があったのに、返事もない。 オレの言葉はそんなに彼を怒らせたのだろうか。 だって真実だろ? これからも、なんて都合のいい夢。 この人は、軽い気持ちで誘ってるのかもしれない。弟が出来たってはしゃいでるのと一緒だ。 オレの好きは、貴方とは違う。 逢うってことは、もっともっと好きになるってことなんだよ。 独り占めしたいんだ。 それが出来ないなら、許されないなら、いらない。 だから、もう逢わない。 明日が最後だ。 車を降りたオレは静かに車のドアを閉めた。 2003.04.02 |
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