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幸せの行き先 4

 夜八時きっかりにマンションを出ると、昨日相川さんが停めていた位置に黒塗りのハイヤー。 オレの姿を見ると年配の運転手がすかさず降りてくる。
「どうぞ」
 人当たりの良い笑顔を浮かべ、慣れた手つきで後部座席のドアを開けた。
「どうも」
 こんな扱いは初めてだからどう対応していいのかわからない。とりあえず愛想笑いで誤魔化してしまうのは日本人の悪い癖だと思う。それにしても、随分、金かかってるよな。超高級車に分類される車でのお出迎えなんて一生に一度あるかないかだろう。 普通の生活だったらまずありえないね。よほど運がよくなければ。

 中を覗き込むと、あの人が手招きしていた。
 まあ、そこらのタクシーだったら窮屈に違いない後部座席も、長い足も余裕で組めるほどのゆとりある車内。
 夜の街に映えそうな光沢感のあるスーツに身を包んだ相川さんがにこやかに迎えてくれて、本当のところ、少しホッとした。帰り際の射る様な視線が気になっていたから。
「昨日、君が最後だっていうから奮発したんだよ」 相川さんはそう言って笑う。 昨日の別れの時の無愛想な顔つきとは段違いの柔らかな微笑みに、性懲りも無くオレの胸はキュッと小さな悲鳴をあげていた。

 オレが乗り込むと静かに車が動き出す。
 目的地は銀座。
 その後は特に話すこともなく、控えめに音楽が響くだけ。相川さんの趣味なんだろう。英語のラブソング集。
 眠くなる……。
 適温に保たれた車内。緩やかな振動、穏やかな空気。静かな音楽。おまけに英語ときたもんだ。眠気を誘うには充分な要素が揃っていた。 どんな睡眠薬より効果的だと思う。どんどん意識が遠くなっていくのがわかる。そのうち音が遠くに聞こえて……。



「悟君……」
 柔らかな声が耳に心地いい。目を瞑っていてもわかるんだ。きっとこの人の表情も柔らかいんだろうって。
「悟君…… ついたよ」
 耳元で喋っているのか、ラブソングより大きく聞こえてくる。まだ眠いのに。起きたくないのに、時間は待ってはくれないらしい。
 薄らと目をあけると、視界が斜めで。
「あ……れ? ごめん」
 いつのまにか肩にもたれて寝ていたらしい。気持ち良さそうに寝てたね、と苦笑された。
「ここでいいんだよね?」
 指差す方向には黒を基調としたシンプルな外観のクラブ。確かに母さんが言ってた名前が店名として掲げられている。
「そう……だと思う」
 政財界御用達っていうから、もっと城みたいなものかと思ってたけど、こういう方がお忍びっぽくていいのかもしれない。
 実はオレも初めての母さんの仕事場。オーナーは何度か家に来たことがあるから顔見知りなんだけどね。 この人がまた女優真っ青の美女。でも顔に似合わずさっぱりしたところがあって、オレの好きな人なんだ。
「では、参りましょう」
 ハイヤーは帰るときにまた迎えにきてくれるらしい。時間いくらなのかなあ、とことん貧乏性のオレはそこのところが気になってしまうのだった。



 前もって母さんに言っておいたおかげで、オレが来ることも伝わっていたらしく、オーナーににこやかに迎えられた。
「いらっしゃいませ」
 オーナーの梨佳さんが相川さんに華やかな笑顔を向ける。その後、「いらっしゃい、悟くん」 とオレに向けて。 にこっと子供が笑うみたい無邪気な顔を見せてくれるんだ。この人、いろんな笑顔を持ってるんだと思う。
 オレ達は特別にお姉さん達の控え室に通された。 お姉さん達も、皆、楽しみにしていてくれたようで、時間の空いている女性達が覗きに来ては宝石を物色している。
 吃驚したのはその値段。全てが数百万クラスだった。それも見た目が派手なやつを選んできたらしい。 値段負けしないようにだろう。
 それにしても、かなり盛況だった。  彼の営業スマイルが功を奏したのか、もともと宝石には目が無い女性の本能のせいか、はっきりとはわからないけど。
 用意された数々の宝石があっと言う間に彼女達の手に渡っていく。

 金額を聞きながら気がついたことがある。それは数千万のアタッシュケースを持ち歩いていたということ。
 これじゃ、電車移動はできないはずだ。別に浪費癖があるってわけじゃなかったんだな。 交通費も会社持ちかもしれないし。折角、『嫌な奴ポイント』がアップのところだったのに。
「なんだ……」 独り言のような呟きに不思議そうな表情をして、「何?」 と微笑みながら首をかしげて。 その優しげな仕草にオレはただ首を横に振った。 いろんな表情に一喜一憂している自分。いちいち心が跳ね上がる。 馬鹿みたいに惑わされてる。まったく……溜息が出ちまう。
 一番最後に来た母さんとオーナーがいくつか残ってる中から何点か取り出した。若い女性達が残していったものだ。それなりの金額だろう。
「まあ、これ素敵ね」
「ほんと! ねえ、結婚祝いにプレゼントするわ」
 母さんが手にしたのはバラをモチーフにしたブローチだった。七宝焼きとダイヤが組み合わされたもので一つ一つ職人が手作りしているそうだ。
「そんな高いもの貰ったら駄目だよ」
 オレの言葉に梨佳さんが、
「お祝いなんだから、いいのよ。長年勤めてくれてるし、私の気持ちも入ってるのよ。幸せになりますように、って。だから別れるなんてことになったら返してもらいますからね」
 ふふふと顔を綻ばせて、母さんの手にあるブローチをとり胸元に飾った。ピンクのバラととダイヤの煌きが白のスーツに良く映えて、一瞬で華やかさが増す。
「有難うございます。梨佳さん」
 梨佳さんとはオープン当初からの付き合いで。母より年下なのに、 面倒見がよくて姉御肌の彼女は、オレたち親子をいつも気にかけてくれていた。 だから母さんの結婚も自分のことのように喜んでくれて。『幸せに』、この言葉は彼女の本心。 それがわかるから。伝わってるから。素直に受け取れるんだと思う。 胸元のバラを見詰める母さんの頬はそれと同じくらい紅潮していた。



 ほとんど中身が空になったアタッシュケースを閉めると、立ち上がる。
「じゃあ、これで仕事はおしまい。後は楽しみますか?」
 きっとこれが目的なんだな、そう思わせるようなうきうきした様子にオレも一緒に立ち上がった。
「今日は飲むぞ」 未成年だけど……。
「駄目だよ、君は。子供はジュースで我慢しなさい」
「なんだよ自分だけ」
 まあ、いいや。今日はしらふでいるべきだよな。
 この人の酒の飲み方をじっくり観察してやろう。ものすごく酒癖悪かったりして。数時間後の格好悪い姿を想像してオレはほくそえんだ。

 フロアーに行くと席が用意されている。オレの隣に母さん。相川さんの隣に梨佳さん。その隣に新人と思しき若いお姉さん。
「結婚されるのですね。それにお誕生日も近いとか。おめでとうございます」
 いつもの胡散臭い笑顔を貼り付け、グラスを掲げている。
 それに応える母さんも、隣で微笑んでいる梨佳さんも、オレの知ってる人じゃないみたいだった。大人の世界なんだなあ、と思う。
 オレもそのうち表面だけで笑うようになるんだろうか?



 すでに飲み始めて二時間。それなのに、オレの目論見は外れつつある。この人、酒を飲んでも全然かわらない。ウイスキーをロックで一本あけてるにもかかわらず、だ。 これには梨佳さんも母さんも目を丸くしてた。
 だからしらふでいるのがなんかつまんなくなって、大人達の目を盗んでウーロン茶にさりげなくウイスキーを足して飲んでみたり。 オレが飲み始めたのも気づいてたのかも知れないけど見逃してくれてたようだ。
 最後の方はもう人の声が遠くに聞こえて、笑い声とか店の音楽とかごっちゃになって。

 そうだ、言っとくことがあったんだ。
――オレ約束果たしたよね? これで一番になれるだろ?
 ちゃんと伝わったかな。確認しようにも、もう瞼が重くて目があけられない。
 ここ数日近くにある相川さんの柔らかい匂い。同じ香水を使ってる人とすれ違ったら、きっと確認してしまう。
――アナタがスキ

 やっぱり駄目だよ。
 好きな気持ちがどんどん膨らんでいく。嫌なところが見つからない。貴方を消せない。まだ間に合うかと思ったけど、そうでもないみたいだ。 思った以上に心に入り込んでるから。
 なんだろ、酷く切ない……。
――本当はもっと一緒にいたいんだけど……。人のものは欲しがっちゃいけないんだ
――だからサヨナラ
 現実から逃げる為に夢の世界に逃げ込む。もう二度と与えられない温もりを今だけは感じていたい。 だからオレは必要以上に隣に寄り掛かった。
 目が覚めたら笑って「重かった? ごめん」って言う為に。

2003.04.19


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