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幸せの行き先 5

 音楽も人の声も聞こえない。静かな闇の中に置き去りにされたような感覚。
 怖い。
 だから、ただひとりの人を探して手を伸ばした。
 もう一度あの温もりを感じたかったから。



 夢と現実の世界を行ったりきたりしていたオレの脳がゆっくりと動き始める。
 ここはどこだろう?
 確か、店で眠くなって。そのまま相川さんに寄りかかって……。
 その後はどうしたっけ、思い出せなかった。
 ぼぅっとしたまま、まだ重い瞼を強引にこじあけた。
「おはよう……、じゃないね。君はほんとに良く寝るね」
 苦笑まじりに声が耳元近くで聞こえて、びくっとした。
 真っ暗な部屋はオレの家じゃない。窓から漏れる月明かりに目が慣れてきて部屋の様子がわかってきた。 今居るソファとローテーブル。目の前には 巨大なテレビ。百万近い薄型のプラズマとかいうやつだ。その周りをオーディオ製品が取り囲んでいた。 『臨場感溢れるシアターをご家庭で』そんなコピーが浮かんでくるほど存在感がある。
 と、そんなことより今重要なのはこの体勢。
「なん……で、こんなこと、なってんの?」
 寝起き状態でふわふわした感じが続いている。考える力はあるのに。少なくとも今のこの状況に疑問を感じるだけの回路は動いてるってことだ。
「君がどんどん俺に凭れてきたんだよ。覚えてないの? ここに来るときも意識はあったと思うんだけど?」
「いや、無い」
 そんなこと覚えてないし、来るぐらいなら自分の家に帰ってる。
「それより、ゴメン。重いだろ?」
 そうだ、この体勢が問題だったんだ。
 重厚な革張りソファに乗り上げ、足を投げ出して座るのは決して行儀がいいとは言えないだろう。 それにもまして恥ずかしいのは、横から抱えられるように腕が回されていることだった。
 もぞもぞと身動ぎするオレをより強い力で抱え込む。お腹のあたりで手を組んで。 まるで恋人が後ろから抱きしめるみたいに。
「いいよ、あったかいし」
 喋る度に耳元に息かかかる。くすぐられてるようで落ち着かない。心臓が勝手に走り始めて、首元から背筋をぞわぞわと何かが駆けていく。
「心臓の音が聞こえてきそうだ」
 知られた――? まだ残ってる酔いも手伝って一気に顔が紅潮したのがわかった。きっと耳まで赤い。
 面白そうにオレの肩に顎を乗せてふふふと笑う。頬がくっつきそうなくらい顔を近づけて、反応を楽しんでいる。
「くっつくからだろ! 離せ」
 それでも腕は解けない。もう、頼むから……。
「からかうな……よ」
 我ながら情けない声が出たと思う。
「俺を呼んでた。泣きながら君が俺を呼んでたから」
 小さな呟き。
 声から笑いが無くなって。首を回すと視線がぶつかった。その瞳の中には見たこともないような色。
「俺のこと好き?」
 答えられるわけない。だけど視線を逸らせなかった。だから、
「嫌い。もっと嫌いになる為にアンタの嫌なところ探してる」
 半分嘘で半分本当の言葉をあげた。
「で、見つかった?」
 唇が項に触れて、舌先が首筋を這っていく。耳を甘噛みされて、背筋がぞくっとした。
「んっ……、ぁっ!」
 静かな部屋に響く自分じゃない声。ぼんやりとした薄明かりの中、視覚が利かない分、余計に聴覚、嗅覚が鋭敏になる。 彼の香りと自由にならない身体、唇の感触に眩暈を起こしそうだ。
 無意識に跳ねる身体に、撒かれた腕の力がこもる。
「君が言ってた。一緒にいたいけど、さよならだって。どうしてそんなこと言うの?」
「そ……な、こと――。言ってない!」
「お店で。涙、流れてた」
 ぼんやりと思い出した。ほんとに言ってたんだ。夢の中の言葉じゃなかったんだ。
「さよならなんだよ。だって」
 オレのものにならないから……。
 言葉はキスに消されていく。身体に腕を這わせたまま、彼がオレの前に移動してくる。 頬が両手で挟まれ、舌が入り込んできて。口の中をうごめいていた。
 絡めとられて、吸われて、お互いの唾液でキスの音が卑猥に響く。
 どうして……。
 どうして、こんなキスをするんだよ。恋人でもないのに!
「アンタにとって、……オレは何?」
 息も出来ないほど激しいキスの合間に問い掛けた。 もし好きだと言ってくれたら、それだけでよかったのかもしれない。 その言葉だけが欲しかったのかもしれない。だけど、彼は少し瞳を細めただけで、何も言ってはくれなかった。
 その表情が、オレを現実に引き戻す。あの女の顔を。見た目はお似合いの男と女。
 オレはナニ?
 急に頭が冴えた気がする。彼にとっては、きっと刺身のツマ程度のものなんだろう。
 美人の恋人に飽きて、ちょっと自分に気がある高校生に興味があったんだと思う。
 だから、これ以上進めない。心も身体も傷つくのは嫌だった。いつかいなくなるなら……
 力を込めて彼の胸を押す。
「男とのキスはどうだった? やっぱり女の方がいいよね? 気が済んだだろ?」
 言葉もなく眉間に皺が寄っていく。
「シャワー浴びて、ベッドで寝ろ。俺は他に行くから」
 言うなりジャケットを手にドアの向こうに歩いていく。その様子を呆然と見ていた。
 他って? あの女の人の家に行くの?
 どうしてこんなにこじれてしまうのだろう。 好きになったから? もしこんな感情がなかったらこんなことにはならなかったのかな。 彼だって面白半分に手を出そうなんて気にはならなかった、きっと、多分、絶対。

「うっ……、うぅ――っ……」
 広い部屋に取り残されて悲しくて、寂しくて、後から後から涙が出てくる。 もう完全に失ってしまった。せめて今夜くらい笑って過ごしたかったのに。
 置き去りにされた子供みたいにその場に蹲っていた。



 結局、ここがどこか判ったのは朝日が昇ってからだった。  窓から外を見ると見慣れた光景。相川さんの勤める宝石店の上階だとわかる。 この間通された応接室とは雰囲気も景色も違うから、最上階の部屋だろう。 従業員なら自由に使えるようになってるのかもしれない。
 そんなことより、早くここを出ることの方が先決だ。もう始発も出てる時間。誰かが出勤してくる前に出て行こう。 鍵はかけられないけど、オレがここにいることを知ってるんだから、開けたままにしても言い訳は考えてあるはずだ。
 薄曇の中、駅に向かって歩き出す。
 昨日家に帰らなかったこと心配してるかな。
 薄手のナイロンジャケットをはおりポケットに手をつっこんだ。 左には携帯、右には、四角い箱。実は昨日から持ち歩いている。 家に置いておいて見つかるとまずいだろ? 今日は誕生日だから、直接手渡しするんだ。
 プレゼント包装された小箱を目の前に掲げ、これを渡した時の嬉しそうな顔を思い浮かべた。 梨佳さんからのプレゼントには及ばないけど、その分、ちゃんと心を込めてあるから。 きっと喜んでくれるよな?
 早く帰ろう。オレを愛してくれる人達の元へ。疲れた心を休める為に。

 歩く足を速めた時、携帯が鳴り、表示された名前に不思議に思いながらも耳に当てた。
「はい。梨佳さん?」
 その後の会話はよく覚えていない。ただ相手の泣き声と一つの言葉だけが脳を埋め尽くしていった。

『母さんが死んだ』

2003.04.25


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