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幸せの行き先 6

 気づいたら家の玄関の前に立っていた。深呼吸して、ドアノブを回す。
「ただいま」
 鍵は開いていて、母さんが目の前にいた。なんだ……、ちゃんといるじゃないか。
 いつもの優しい微笑みに、ちょっとだけ『しょうがないわね』 の雰囲気を混ぜて。『心配かけんじゃないわよ』そんな様子で。
「おかえり、もう悟ったら、相川さんに迷惑かけて」
「ちゃんとお礼は言って帰ってきたの?」
「さあ、学校でしょう? 早く支度しないと遅れちゃうわよ」
 矢継ぎ早に話し、オレを追い立てるように笑う。
「梨佳さんから電話貰ったんだ。母さんが事故ったって」
「やあね。梨佳さんったら冗談ばっかり。悟を吃驚させてどうするつもりかしら。大丈夫よ、お母さんは。 みんなで幸せになるって決めたでしょう? 悟、愛してるわ」
 最後の言葉が小さくなって、母さんの顔が歪んでいく。柔らかく微笑んでいたはずなのに。まるで影みたいに薄くなって。
――透明になった。
 嘘だろ? 嘘嘘嘘嘘っ!!!
「母さん?! 母さんっっ!!」
 確かにそこにいた。その場所に手を伸ばした。だけど、何も掴めなくて。急いで部屋の中に入って、キッチン、洗面所、母さんの部屋、自分の部屋、ベランダ。 空間という空間を探し回る。それでもいない。 一度みたところも何度も見返した。
「いない……。かあさん? どこ?」
「悟くん」
 漏れた呟きに返される声があった。

 梨佳さんだった。

 少しだけ落ち着いたところで、梨佳さんが話してくれた。今朝の出来事を。
 事故が起きたのは未明のこと。婚約者が迎えに来て帰宅途中のことだった。 信号待ちしていた車に居眠り運転のトラックが猛スピードで突っ込んできたらしい。 一瞬の出来事だったのだろう。三ナンバーの車がまるで軽自動車なみにまで押し潰されていたという。 散乱する荷物。その中からかろうじて見つかったのが梨佳さんのお店の名刺。 連絡を受けた彼女がオレの家に電話をくれたけど、オレはいなくて。 彼女が家にまで来てくれて、常駐管理人から鍵を受け取り、手書きの電話帳から携帯の番号を探し当てた。

 それからオレは梨佳さんと一緒に、母さんと未来の父さんがいる病院にかけつけた。 だけど通されるのは病室じゃない。 音のない静かな部屋にオレと梨佳さんと案内人の足音が妙に大きく響く。
 狭いベッドの上に二人が眠っていた。車は大破したって聞いていたけど不思議と顔は無傷で、オレには寝てるようにしかみえなくて。 そこにいるのは確かに母さんで、確かに父さんだった。
「母さん?」
 小さく呼んで見るけど、動いてはくれない。隣に眠る人にも声をかける。
「父さん? 父さんって初めて呼ぶのに。ねえ、嬉しいでしょう?」
 静かな空間に心が締め付けられる。どれだけ話しかければ反応を返してくれるの?
「今日母さんの誕生日だから、オレ、プレゼント買ったんだよ。喜んでくれるよね。着けて笑ってよ。有難うって抱きしめてくれよっ」
 ポケットから取り出した小箱を母さんの顔の前に差し出す。嬉しいわ、と、目を開けて欲しかった。
「悟くん」
 代わりに抱きしめてくれたのは涙声の梨佳さんで。ぎゅって包んでくれた。プレゼントが床に落ちて、コンと音を立てる。サイコロみたいに跳ねて回転する様子をぼんやり見ていた。
「なんで何も答えてくれないんだよっ! みんなで幸せになろうって言ったじゃないか! オレの部屋も用意してあるから一緒に暮らそうって言ってくれたのに。嘘つきっ! オレを置いて、母さんだけ連れてどこいってんだよ! 戻ってきてくれよっっ!!!」
 こんなのって、ない……酷いよ。
「ひどいよ、ふたりとも――」
 後は言葉にならなかった。何を言っても微笑んでくれない人を前にただ泣くしかなかった。



 その日のうちに祖父の家に電話をかけた。
 駆け落ち同然で家を飛び出し、結婚した父と母。 オレが生まれた時に手紙と写真を送っただけで、家との繋がりを絶ってしまったと聞いたことがある。
 一度もかけたことのない電話番号。話したことさえない祖父と祖母。
 音信不通だった自分の娘が突然いなくなったと聞かされたらどう思うだろう。
 電話の向こうの声はしばらく絶句したあと、すぐに家に来ることになった。 住所を言うオレの声は祖母の号泣にかき消されていく。
「悟、お前は大丈夫か?」
 祖母に代わったのは祖父だろう。落ち着いた感じの声だった。
「大丈夫です」
「そうか。すぐに行くから」
 そしてやっぱり涙声にかわっていく。よかった……。 伝えてあげたかった、母さんに。愛されてた、と。忘れられてはいなかったよ、と。



「またすぐに来るから」
 ずっと付き添ってくれていた梨佳さんが帰ると、家の中が静まり返る。この静けさが嫌でテレビをつけた。 番組なんかどうでもいい。ただ音が欲しかった。
 もしかしたらこれは夢で、目が覚めたら暖かい空気が充満していて。いつもの生活が戻っていてるかもしれない。 そう願わずにはいられない。だから頬をつねってみたり、叩いてみたりした。 なのにしっかり痛さを感じる、テレビのニュースも今日の日付だし、時間もしかり。全てのものが、今、この状態が現実だと知らせていた。
「誰か助けて」
 弱い自分がひとりじゃ寂しいと叫んでいた。暗闇に突き落とされそうな恐怖に身体が震え始めて止められない。
(助けて。傍にいて)
 思い浮かぶのは一人。足が向かうのはあの人のところ。玄関を飛び出したオレは、霧雨の降り出した夕闇の町を走っていた。

 宝石店の駐車場の片隅に座り込む。ここなら逢えると思ったから。彼が使う車がないところを見ると、どこか営業に行っているのだろう。
 入り口がすっかり暗くなる頃、一台の車が滑り込んでくる。黒のセダン。相川さんの車だ。 ヘッドライトが眩しくて、目の前に手を掲げた。
「悟……君?」
 エンジンを切り、運転席から相川さんが降りてきた。怪訝そうな顔でオレを見ている。
 そうだよな。オレの方からもう逢わない、さよならって言ったのに。 そういえば帰ってから一日も経ってない。
 衝動的に来てしまったけど、冷静に考えるとかなり自分勝手な行動だ。
「えーと」
「あら、貴方この間の」
 口ごもるオレの前に誇らしげに姿を現したのは婚約者。顎をツンとあげオレを見下ろすように立つ仕草は、以前見たままの高飛車な姿だった。
「雨が降ってるのに傘も持っていないの? それよりここで何してるのかしら?」
 相川さんの顔に浮かんだ困惑の表情。それにスーツもネクタイも昨日と同じ。やっぱりこの人の所に泊まってたんだ。
やっぱり来るべきじゃなかったね。
「あ、えっと。お礼。お礼に来たんだ。今日母さんの誕生日で。この間のネックレス、すごく喜んでくれて。毎日するって言ってくれたから。オレ、嬉しくってさ。 それに迷惑かけっぱなしだったから、ちゃんと謝りたかった。いろいろとごめんなさい」
 声が震えないように勢いだけで全て話し終えた。でも限界。 もうオレには何も残っていない。みんないなくなってしまった。
 今にも涙が落ちそうだった。だから頭を下げて誤魔化す。そのまま素早く、出口めがけて駆け出した。 ぐしゃぐしゃになった顔を見られないように。後ろで彼と彼女の声がダブって聞こえてくる。オレを呼ぶ声。彼を呼ぶ声。だけど止まらずに走り続けた。



 もう祖父達は着いているだろうか? 早く帰らないといけないよね。でも着いたら携帯に電話くれることになってるから。
 今はあの部屋には帰りたくないんだ。暖かくて、笑顔が満ちていたはずの空間だから。 それなのに今はもうない。たった一日しかたってないのに! そこにいるのは辛いよ。どうせひとりなら、寒空の方がいい。
 ひとり公園のベンチで時間を潰す。

 空を見上げた。細かい雨が目の中に入ってくる。服も湿ってきていた。 このままここにいたら体温も奪ってくれるだろうか。
「かあさん……」
 連れて行って欲しい。それがオレの願いだった。
 だから……
 携帯の呼び出し音も無視して、瞳を閉じる。そのうち音も消えて。ベンチの上で膝を抱えて蹲った。

2003.05.06


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