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幸せの行き先 7

 小さな公園のベンチの上で体育座りをしていた。
 子供の頃の記憶をたどって行くと、必ず、オレの横にはいつも笑顔の母がいる。
 父を早くに失い、女手一つで育てられた。苦労もしただろうに、そんな素振りは見せずに、華やかで光を浴びたように輝いていた。 子供ながらにすごく自慢で、友達からも「お前のかあさん、綺麗でいいなー」っていつも羨ましがられてたっけ。
 オレは母が大好きだった。
 なんでオレを置いていっちゃったんだろう。母さんは好きな人と一緒に居られて幸せ? 
 頭に浮かぶのは、疑問ばかり。
 三人で暮らそうって言ったのに。幸せになろうねって言ったのに。一人残されて、二人だけで遠くに行ってしまった。
 どうして? どうしてオレを独りにするの?
 寂しくて、心が冷たく凍っていくのがわかる。もうどうでもいい、そう思う。自分の価値も、生きる意味も考えられなかった。



「貴方、こんなところで何してるの?」
 膝の上におでこをくっつけた姿勢で、回想に耽っていたオレを現実に引き戻したのは、甲高い女の声。 急に聞こえた声に吃驚して、ベンチから飛びあがり、声の主に目を向けた。 そこにいるのは、相川さんの婚約者。この児童公園にはそぐわないほどの、きらびやかな宝石を身に着け、ピンヒールが柔らかくなった地面に食い込んでいる。
「別に」
「わたくし、博行から婚約解消って言われたのよ」
「え?!」
 オレは心底驚いた。そうした相川さんにも、それをオレに言っているこの人にも。
「彼、他に好きな人がいるんだって。昨夜、突然来たと思ったら、そんな話をされたわ。 その人って貴方じゃないの? 信じられる? どんな女でも手に入れられる人が、よりにもよって貴方みたいな……」
 そこまで言うと、雨に濡れそぼったオレの姿に眉を顰めた。
「オレを? そんなバカなことあるわけないだろ?」
 そうだよ、そんなことあるわけない。好きの言葉さえないのに、信じられるわけが無い。
 キスだって雰囲気に飲まれてしただけだ。あの人にとって、オレは……。
 いつも優しかったけど、それだけのことだろ。
 必死に相手の言葉を否定した。とことんオレの脳はマイナス方向を向いているらしい。 でも、そう思う方が楽だから。期待してがっかりするなら、しない方がいい。
「どうやって取り入ったの? うまくやったわね。あの人に気に入られたら、末は安泰ですものね」
「どういう意味だよ」
「しらじらしい! 相川グループの御曹司だって、知らないとでも? あの宝石店だってグループ会社の一つなのよ?  彼と結婚すれば、父の経営する会社も、もっと楽になるの。 やっとの思いで手に入れたのに。あんたになんて邪魔させないんだから。身の程知らずもいい加減にしてよっ!!」
 始めは丁寧に話していた言葉も乱れ、上品さを装った綺麗な顔が歪んでいる。
「相川グループ?」
 相川グループといえば、先日も繊維会社を吸収したと報じられていた商社だ。オレでさえ知っている有名企業。 そこの御曹司があの人なのか。逆玉かと思ってた。
「あんたにとって玉の輿っていうわけだ」 とんだ思い違いに、小さな笑いが零れた。
「そうよ! 皆狙ってたわよ。それがあんたみたいな小汚い、しかも男に取られるなんて…………」
 優雅にさしていた花柄の傘を放り出す。空中に散らばる水滴がほの暗い灯りで煌き、 傘はオレの身体に当たって地面に落ちた。
「許さない――……。ねぇ、消えて……」
 彼女が、愛を囁くように妖艶な笑みを見せ、手にしたのは護身用のナイフ。
 ゆっくり近づき、身体が重なった。
 グッと突き立てられた切先が、腹に食い込んで行くのが分かる。
「痛っっ! でもこんなんじゃ、死なない……よ。……もっと深く刺さなくちゃ……」
 彼女が離したナイフに手を掛け、自分で根元まで突き刺した。
 そのオレの言葉に反射的に飛びのき、大きな瞳が見開かれ、呆然とオレの様子を見ている。
「早く……行ったほ……うが…………いいんじゃ……ないの?」
「イ……ヤ……嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!! どうしよう……わたくし、ど……うしよう……あ……あぁ」
 髪を振り乱しながら、走って行く後ろ姿に苦笑が漏れた。
 だって、悪いのは貴方じゃないんだから。
 利用したのはオレ。
 自分じゃ、行きたい所に行けないから。

 足に力が入らなくて、その場に座りこんだ。自分の腹をみると、変な具合にナイフが刺さっている。これって随分、無様な格好だよな。
『悟、お腹から何か出てるわよ』
 いつもみたいに笑われるかもしれないね。早く、探して、迎えに来て。
 オレには母さん達がどこにいるのかわからないんだから。

 こうなったこと、後悔してないよ。卑怯だってこともわかってるんだ。
 でも、これでもう悩まなくていい。あの人を想って辛い日々を送らなくて済む。
 いつも優しくしてくれたあの人の嫌なところを探そうと、自分と合わないところを探そうとやっきになってた日々が思い出された。
 好きになってはいけない理由を。溢れる想いを止める術を。
 でも、やっと探し出したよ、相川さん。貴方とオレとじゃ、やっぱり住む世界が違うんだよね。 それは高校生と社会人の違いじゃなかったけど、もっと大きな違いを見つけた。
 金持ちの坊ちゃんとじゃ、一から十まで違うんだ。これって決定的な壁だと思う。
 よかった。
 貴方を嫌いになる理由が見つかって。
「ははは……」
 なんか心がすっきりしたよ。だってそれだけで立派な理由だろ?
 最後の最後で見つかるなんて皮肉なもんだけどね。

 オレが居なくなったら、悲しんでくれるだろうか。
 それとも、今、この時点でもオレのことなんて忘れてるんだろうか。
 ほんのちょっとでいいんだ。
 一瞬でも、思い出して、涙の一粒でも流してくれたら嬉しいんだけどな。
 あの女の人、なんであんなこと言ったんだろうね。婚約解消するくらい好きな人がオレなわけないのに。でも、今だけ勘違いしてもいい?
 そう思ったら少しだけ心が温かくなった。

 力が抜けていく。
 仰向けに倒れて頭が地面にぶつかった。それでも痛さを感じないのは、もう感覚がなくなってきているからかもしれない。 こうしていると、雨粒が落ちてくる様子がよくわかった。霧雨が小雨に変わり、風が出てきて、小さな粒が斜めに降ってくる。
 水浸しで発見されるのはちょっとカッコ悪いかも……。せめて綺麗な星空の下で眠りたかったな。
 目の中に落ちる冷たい粒。瞬きすると目じりから零れていく。
 泣いてる自覚は無かった。でも冷たい頬に流れるのが暖かくて。それが涙だと気づいた。
「逢いたいなあ」
 あ、そうだ。名刺。あの人の名前の入った名刺があったんだ。
 ジーパンのポケットに手を入れようとしたけど、濡れた生地の中に入れる力は残ってなくて。そのまま湿った地面へと腕が落ちた。

 その時、ざわざわと人の気配がする。言葉の断片が飛びこんできた。
(いいんだ、呼ばないで。このまま一人にしておいてくれよ)
 言わなくちゃ。ちゃんと言葉にしなくちゃ。でも口を動かすことも出来ずに、そのままオレの意識は遠のいていく。

――さよなら、相川さん。どうか貴方が幸せでありますように……

2003.05.19


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