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貴方しか見えない 2

 相変わらず忙しい日々が続いていた。世間が連休でも一向に暇な時間など出来ない恋人。 おかげでだいぶ勉強がはかどった。一応受験生だから、毎日毎日追い込みで忙しかったんだ。
 オレが三年で感謝しろよーなんてたまに口にすると、そうだねって笑う。
 本当は、それに感謝したいのは自分だったのだけど。 だってその忙しさに没頭させてないと女々しい事を口走ってしまいそうだったから。
 仕事、そんなに大事なの? 
 オレとどっちが……?
 そもそも同列に置ける問題じゃない。それでもあまりに顔をあわせる時間が少ないと、そんなことを疑ってみたくなる女共の気持ちが少しわかる気がした。
 そしてその度に自己嫌悪に陥るんだ。
 情けねぇな。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

「今日も遅いのかな」
 参考書にラインを引きながら溜息が漏れた。
『ただいま』
 え? 
 幻聴? 考えすぎて耳がおかしくなったのか?
 机の上にある時計に目をやると、まだ六時ちょっとすぎ。こんなことはありえない時間だった。
 そんなに飢えてるのか……
「あー、もうっ!!」
 ブルブルと頭を振って邪念を払い、問題集に集中することにした。 そのときノックの音とともに部屋のドアが開かれ、
「あれ? いるんじゃない。ただいま」
 にっこりとした笑顔に魅了される。
 つかつかと入ってきて黙ったままのオレの横に立ち、順調に進んでる? と普通の会話が進む。本物??
「悟君? どうしたの、ぼぅ〜っとして」
 どうしたの?
 どうしたの??
 ……あ、そうだ。それはオレの台詞だっつーの!
「どうしたの?」
 だけどオウム返しになってしまった言葉に、彼が困ったように笑った。
「あ、いや、そうじゃなくて。なんでこんな時間に帰ってきてんの?」
「たまには家族サービス」
 普段と変わらない笑顔を向け、すぐにオレを腕の中に抱え込みながら、おかえりの挨拶は? と耳元で囁かれた。
「あ、おかえり」
 見上げると満足そうな表情を浮かべている。
 でもなんかいつもと違うっていうか。
 もしかして……。
 一瞬にして浮かんだ失業の文字。
 あぁ、この人が公園のベンチで日がな一日ぼんやりしてるとこなんて想像できねぇよ!
 うぅ、どうしよう。
 今まで支えてもらった分、今度はオレが支えなくちゃ、だな!
 進学やめて働くか?!
 そうだ、そうしよう!
 よしっ、働くぞ!!
 自分に気合をいれ、でも相川さんには負担にならないように言葉を選んで。
「……気にすんな。オレもがんばるから。働きづめだったしね。少し休めばいいんだ。落ち着いたら、これからの人生を……」
「はい? 何か勘違いしてるよ、君」
「リストラ、じゃ?」
 恐る恐る訊いてみる。
「そんなわけないでしょう。今日はね、ちょっと用があって本社に寄って……。その後予定されてた、お得意様との商談も都合でなくなったわけ。だから帰ってきました。早く帰ってきたら困るの?」
「困るわけねぇだろ」
 嬉しいに決まってるじゃん……。
「嬉しい?」
 どうしてもそう言わせたいらしい。ぎゅうぎゅうと身体の締め付けが強くなる。
「う、嬉しいけど……」
「けど、って」
「ご飯どうする?」
 色気がないね、と拘束を解かれた。
 悩みがなくなると、また新しい悩みが出てくるもんだ。人間って複雑。
「食事に行こうよ。久しぶりだし。もう予約してるんだけど、ね。じゃあ、行こうか」
 すぐにまた出て行こうとする。
 うわー、なんて慌しい。
 時間を無駄にしたくないのはわかるけどね。もうちょっとのんびり過ごしてもいいと思う。
「ちょっとは休むとかさぁ。それにオレ、こんな格好だけど、いいの?」
 ん? と仰け反るようにして、オレの全身を見るように視線が流れる。 今のオレの格好は、洗いざらしのTシャツにゆったりしたカーゴパンツ。 この人が予約したところがどういうところか分からないけど、こんなんでいいのか?
「別に構わないよ。でも気になるなら、Tシャツは襟付きのシャツに替える? それだけでも雰囲気が違うと思うけど」
「わーった。着替えるから。その間に、コーヒーでも飲んでなよ」
 急いで椅子から立ち上がり、相川さんを部屋から追い出し、あれこれシャツを選ぶ。
 久々の外食。というより、久々の彼との時間。それがオレのテンションをあげている。 こういう時は鏡には絶対、目を向けない。だって口元が緩みっぱなしだって自分でもわかるからね。さすがに恥ずかしいもんな。
 カーキのパンツに合わせて、薄いオレンジのストライプのシャツを出した。素早く着替えてリビングに戻る。
 相川さんはネクタイだけ変えて、コーヒーを飲んでいた。 それは八月の誕生日にオレが買ったもの。奮発してブランドものに手を出してみた。 ピンクっぽいオレンジの地色に小さな月と星と太陽が散らばってるやつ。 買う時は『うわっ、ハデ!』 なんて思ったんだけど、不思議と似合うんだよな。こういうの。
 でもねぇ……。
「ますますホストっぽい」
「え、気に入ってるのに」
 カップを顔の横に掲げ、首を少し傾げて。柔らかな微笑みでオレを見ている。
 立ち居振る舞いっていうか、それがさりげなくて優雅だから余計そう感じるんだと思う。
 女が寄ってきそう……。
「君とコーディネートされてる」
 ? オレ、スーツでもないし……。自分の格好はそこらへんの奴等と似たようなもんなのに、一緒って?
 いや、待てよ……
 色、か。
 オレンジっぽい色が一緒ってこと?
 たったそれだけなのに嬉しそうなこの顔は。
「マヌケヅラ」
 どんどん近づく顔にそんな酷い言葉を投げてみても、ますます綻ぶ瞳。 しっとりと柔らかく当てられた唇。その口付けは酔う暇もなく一瞬で離される。それが不満で視線が彼の唇を追ってしまう。 今のオレの方が間抜け面かもしれない。 もっとしてほしくて、首に手を回して引き寄せる。
「もう一回……」
 この人とするキスが好き。抱しめられる温もりが好き。
 願いを叶えて――……。
「んっ……」
 今度は少し長い時間をかけて、与えられるそれに夢中で応えようとした。
 鼻にかかる甘ったるい声。 これ以上こんなことしてたら出かける時間がなくなるのは身をもって体験してる。それがわかるのか、相川さんの顔もゆっくりと離れていく。
「あとは帰ってから、ね。恋人君」
 にっこりと微笑まれ、毒気づく言葉なんて出てこない。ただ頷くだけ。何時ぐらいに帰ってこれるかな、とぼんやりと考えながら。



 相川さんが予約した場所はヨットハーバーに隣接するシーサイドレストラン。渋滞にはまり二時間ぐらいかかったけど、夜中だったらもっと近いだろう。
 予約名を告げると、蝶ネクタイを締めたボーイさんがにこやかに対応しはじめる。
「お待ちしておりました。こちらです」
 ゆとりを持ってセッティングされてるテーブルのおかげで歩くのにも支障がない。どうぞ、といわれたのは窓際の席だった。
 枠のない大きな窓から見えるのは広めのテラスと、南国を思わせる木々。その向こうに見える夕日に照らされてキラキラしている海と、大型のクルーザーが異国の雰囲気を醸していた。
 ピアノの生演奏が耳にやわらかく届いてくる。
「すげ……」
 なんか呆然って感じ。席に座ってる他の人達全てが身を飾り立てているわけではない。 いや、ネクタイしてる人の方が少ないだろう。 ポロシャツにチノパンって格好の人もいる。 だけど、なんとなーく、みんな金持ちに見えるのはここの雰囲気のせいなのかな。
 そんな中、相川さんは一際目立っていた。颯爽としてるし座るときなんかもスマートだし。 それに引き換え、オレはロボットみたいにぎこちなかったに違いない。
「もうお腹一杯」
 はぁ……。緊張で腹が膨れた。
「何言ってるの? これから食べるのに。コースで頼んだから、全部食べるんだよ、いいね」
 柔らかな微笑み。
 オレはさりげなく周りのテーブルを観察してみる。カップルが多いけど、どの男もむさくるしい。
 あそこの男なんて、くちゃくちゃ音が出そうな食べ方してるし、その向こうのおじさんはもろビールっ腹っていうか……、だらけた体つきだし。 貧乏ゆすりを繰り返してる人もいる。
 でも男って普通はこんなもんなんだよなあ。
 その視線に気づいたのか、相川さんがテーブルをトントンと指で叩いた。
「どこ見てるのかな?」
 オレは目の前の人に視線を戻した。
 口元を緩めて傍目には笑顔なんだけど、その目は笑っていない。明らかにちょっとムッとしてる。
「んー、いろいろと」
 やっぱり完璧だ、この人。
「俺がいるのに……」
 ボソボソと不平を言う彼が子供みたいで可笑しくなった。
 もしかして女の人に興味を持ってたとでも思ったのだろうか? 男を見てたなんていったらそれこそ吃驚だろうな。
 でもさ、ちょっと思ったんだ。
 他の男にも興奮するのか? って。
 だけどそれはすぐに結論が出た。 オレが興奮するのは相川さんだけで、他のヤツに興奮するなんてありえないってこと。
 少し離れたテーブルの女の人がチラチラと相川さんを見てる。当の本人はオレを見てるんだけどね。
「ごめんって……。ああ、お腹すいてきた。まだかなあ」
 なんか気分いいぞ。ちょっと優越感。いやちょっとじゃないな、すごーーーくだ。
 誰よりも格好いいんだもの。
 相川さんに笑いかける。すると彼の笑顔が一段と深くなった。それだけでオレの心臓は跳ね上がる。どっしり構えてようと思ったけどやっぱりドキドキする。 だって何ヶ月も一緒にいたって信じられないんだ。この人がオレの恋人だってこと。
 誰にも渡したくない――……。
「どうしたの?」
 心配そうな声が聞こえた時、視界に綺麗に並べられたフォークやスプーンが映った。
「急に俯いて」
「ん、どれから使うのか、考えてたんだ。外側からだよね?」
 本当は、周りから見たらどう見えるのだろうとか、釣り合ってないよなとか。 そんなつまらないことが頭をかすめていたんだけど、そういうことは口にしないことにした。 この人が悲しむから。卑下するようなことを言うと、自信を持てって悲しい顔して怒るから。 それに彼を馬鹿にしてることにもなるんだよな。 なによりも彼のオレに対する全ての言葉を否定することになるんだ。
 前を向こうと決めた。それを忘れてはいけない。
「使いやすいの使えばいいよ」
   適当なことを言って、目元を和らげる。マナーよりも美味しく食べることの方が大事だ、と。
「うん……。あ、オレ、ワイン飲みたい!」
「駄目。俺だって我慢するんだから、それぐらい我慢しなさい。帰ったら飲ませてあげるから」
 ちっ! オシャレなレストランで、オシャレなグラスを傾ける。そういうの、やってみたかったのに。
 でも、珍しい言葉を聞いたぞ。
「帰ったらいいんだ? いつもは未成年は駄目! って言うのに」
「明日休みだし、特別に許可してあげよう」
「なんか変なの。随分と甘いじゃん。オレとしては嬉しいけど」
「俺はいつでも君に甘いと思うけどね」
「理由は?」
 聞かせてよ。
「もちろん君が可愛いからだよ」
 そんなんじゃ嫌だ。
「他の理由」
 にっこりと笑って、愛してるからだよ、とピアノの音色に甘い言葉が乗る。
「よし、満足」
「聞きたいならいくらでも言ってあげるけどね。なんなら、横に座ってもっと囁いてあげようか?」
 テーブルを乗り出すように、顔を寄せて、そんなことを言う。
 慌てて首をぶんぶんと振った。もちろん左右にだ。隣になんか座られたら、その先どういうことになるか考えるだけで恐ろしい。 昼間とは違う夜の声で耳元に囁かれると全身が熱くなるんだ。そうなると困ったことに身体の暴走を止める自信なんてない。
「それは、残念」
 にやりと悪戯っぽく笑ったところで、コースの最初のスープが目の前に。
 うわー、美味そうー!
「いただきます」
 ふたりで声を合わせて小さく言ってから、スプーンを手にした。これからはしばらく食事に専念するとするか。



 すべての料理を平らげ、デザートが運ばれてきた時だった。
「ねぇ、悟君。来週から俺、出張だから……。ひとりで大丈夫?」
「なんだよ、それ。大丈夫に決まってんだろ。子供じゃないんだから」
「そうだよね」
 ホッとしたように微笑んで、オレがケーキを頬張るのを見ている。自分の分を食べ終わり、彼の分に手をつけているのだ。
 これまでも出張はあった。地方のデパートで行う宝石展示会とか。オレはその度に買ってきてくれるお土産の方が楽しみだったりする。 これって子供っぽいっていうんだろうか。
「で、どこまでいくの? 食べ物が美味しいところ?」
 北海道とかいいな。食べ物はやっぱり格別だろうな。ってオレが行くんじゃないけど宅配で送ってもらおう。海産物詰め合わせ。
「アメリカ」
 ケーキを乗せたフォークが口の手前で止まった。
「期間はわからないんだけど。長くても一ヶ月ぐらいだと思う」
「展示会じゃないの?」
「今回は宝石関係じゃないんだ」
 アメリカじゃ、二泊三日じゃ帰ってこれないよ。
 どうして、とか、他の人でも、とか、口から出そうになる。だけど、それを言ったら自分が単なるお荷物になる気がした。
 オレは恋人だから。
「向こうの支社がトラブってて裁判沙汰になってるんだ。父の弟が仕切ってるんだけど俺にも来てほしいって。建て直しするから、ね」
 仕事、だもん、な。
 より、経営に近い場所。それは、相川さんの望んでいる場所だ。その為に努力をしていることを知っている。それなら、オレは……。
「大丈夫だよ。ちゃんと生活出来るから。心配すんな。それに、たった一ヶ月だろ?」
 安心させるように、言葉を並べて。
「いない間に酒とか飲んじゃおうかな。夜遊びとか……。なーんて、ね。どうせ勉強しなきゃいけないんだから、そんな暇ないだろうし……、あってもそんなことはしない」
 最後の大きめの欠片を口に入れ、ごちそうさま、と空になったケーキの皿の上にフォークを置く。
 大丈夫だ。
 今までだって顔をあわせる時間なんて少なかったんだし。
 一ヶ月の出張ぐらいなんてことない。
 そう自分に言い聞かせる。
 当たり前の日常は、当たり前に戻ってくる。だから大丈夫。
 オレがいることで心配させちゃいけないんだ。重荷にはなりたくないんだから。
「帰ろう」
 にっこりと笑って立ち上がった。

2003.09.12


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