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貴方しか見えない 3

「オレにも出来る? メールちゃんと打てるやつにしてよ?」
「大丈夫だって。メールくらいどれでも出来るから……。うーん、ノートかデスクトップか」
 休みを利用して一緒に買いに来たのはパソコン。 これがあれば彼がアメリカに行ってもメールでやり取りが出来る。ただ難点は、オレがパソコンというものに一度も触ったことがないということだった。 行くまでに、せめてメールが出来るくらいにはなってないと。
 はぁ。こんなことならもっと前からやっとくんだった……。

 相川さんが売り場を回る後をついていく。
「あ、オレ。持ち運びできるのがいいな。カッコイイから」
「格好いいの?」
「そう」
 だって相川さんがノートPCをかばんからサッと出してパカッて開くところが、なんともカッコイイんだ。
「そう? でも持ち運びなんてしないと思うよ」
 小さく笑って、それでもオレの希望をかなえるためにノートコーナーへ。
「たくさんあるねえ。どれがいいかな」
「どれがいいかなんてオレにはわからないし」
 整然と並ぶ機種の前で立ち尽くすばかり。画面の中では色とりどりの魚がゆらゆらと泳いでいる。すごいよなあ。なんとも立体的でテレビより綺麗かも。
「じゃあ、これとこれ。ちょっとキー、打ってみて。どっちが打ちやすい? 性能、機能はほとんど同じだから。あとは好みってところかな」
 ほとんど目が釘付け状態だったオレは、相川さんの声で彼が指差している機種の前に立った。
 手を乗せてみてカチャカチャと指を動かす。 その結果、感触の確かな方を選んだ。画面には意味を成さない英数字が次々と打ち出されていてなんか恥ずかしいぞ。
「これ……、にしようかな」
「うん。わかった。ついでにマウスも買っとこうね。あった方が使いやすいだろうから」
 相川さんがにこにこして今の画面を消してくれた。よかった。このままにされたら他の人に絶対に笑われてたよ。
 ホッと一息ついたらどっと疲れが。ただ選ぶだけなのにこの疲労感。 なんか一仕事終えたって感じ。でも、嬉しいな。これでちゃんと連絡手段は確保されたんだよな?
 彼が店員さんを呼ぶ。持ち帰りの準備をしている間に、思いついたように振り向き、オレの顔を覗き込んだ。
「ゲームも買う? 俺がいない暇な時間、それでつぶせるかもよ?」
 何気ない言葉なんだけど、鋭い棘で刺されたみたいに胸にチクッとした痛みが起こる。
 いない時間……。
 途端に、楽しいはずの買い物の時間に寂しさが紛れ込んだ。
 いなくなっちゃうんだ……。
 違う! 駄目だ。駄目だ。小学生のガキじゃあるまいし、寄りかかりっぱなしでみっともないよな。 こんなんじゃ、彼に心配かけるばかりだ。 彼の時間、自分の時間、共有する時間、いろんな時間があっていいはずだもんな。今はその中で自分の時間が少しばかり増えるだけだ。大したことじゃない。
 顔を上げて、友人が時々口にするゲームを選び、それを手に取った。
「帰ってくるまでに、完璧なゲーマーになってるから」
 笑う。大丈夫。
 毎日メールして…。そうしたら一ヶ月なんてすぐだよね。 気づいたらもうここにいる。そんな風に、あっと言う間に時が過ぎるんだ。
「今日から特訓だ」
 相川さんは困ったようななんとも微妙な微笑みを浮かべて、オレの頭をポンと叩いた。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 うちに帰り、梱包を解く。 セットアップは相川さんがサクサク進めてくれて、無事スタート画面が出た。 オレひとりだったら、きっとここまでくるのに三日は掛かってるだろう。 だってユーザー登録とかいろいろ面倒な過程があるんだから。 そんなもん突然出てこられたらどうしていいのかわかんないだろ?  そこをあわてず騒がずの相川さんはやっぱりカッコいいんだ。惚れ直してしまった……。
「とりあえずこれでOKかな」
 ただ単に彼がノートを持ってるからという理由で選んだけど、 相川さんに言わせると、拡張性はないけどケーブルが少ない分セッティングは楽だね、とのこと。 思うに、賢い選択だった、ということだろう。
 意味わかんないけど、褒められてるんだ。おそらく……。
 やるじゃん、オレ。賢い自分に乾杯!
 …って言ったら、呆れられた。
「それでは、メールの送り方を重点的に覚えましょう」
「はい、先生!」
 ノートを出し、相川さんが教えてくれた手順をいちからメモする。 手順自体は難しくなさそうなんだけど。
「はい、まず、これをクリック。そうそう、で、次はこれね」
「こいつか!」
 画面を睨みつけながら、言われた通りにマウスを動か…してるはずなんだよ、オレの中では!
 それなのに、うまく目標物が捕らえられない。
「呼吸が止まってるよ?」
 隣で彼が可笑しそうに笑う。
 え? あ、息するの忘れてた。どうりで苦しいはずだよな。こんなの操作できるのでしょうか。不安だー。
「くそっ! 逃げるな、こらあ」
「落ち着いて」
「この矢印。もっとでかければいいのに」
「そんな無茶な……」
 しかもダブルクリックとやらが、何度やってもうまくいかないんだよ。スピードに問題があるのか?  スルッて逃げてくぞー!
「うぁ、もう! てめぇ、なめんなよ」
 アイコンに向かって怒鳴る。
「力の入りすぎなんだよ。ホラ、軽くポンポンッって」
 あら不思議。相川さんがやるとちゃんと言うことを聞いてるんだ、これが。
 世のパソコン使いの方々もこんなに苦労して覚えたのでしょうか?
 器用、不器用が大きく関わってくるんじゃないのか、そしてオレってこんなに不器用だったのかと自覚させられるほどうまくいかない。落ち込みそう……。 見てると簡単そうなんだけどなあ。
「もう、やめる?」
「やめない」 
 やめたい……、だけど首を振り、出そうになる愚痴も飲み込んだ。ちゃんと明日までに覚えなきゃ。くじけてられっか!
「大学でも使うから……。頑張ろうね」
「ん」
 穏やかな表情でよしって頷いてくれる。それだけで頑張れるから。
 気を取り直して格闘すること一時間。 なんとか起動からメールソフトの立ち上げまで躓くことなく、スムーズに出来るようになった。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 続いて待ち構えている第二関門。実際に文字を打つということ。 携帯ならスラスラ、メール打てるのに。てゆーかさ、ひとつの文字の中にいろんな文字をいれてくれたほうが、場所も少なくてすむし、いちいち文字の場所も覚えなくていいから楽だと思うんだよね。 これってかなりバカな発想なのか? まあ、モニターとのバランスが悪いというのは認めるけど。今度、パソコンメーカーさんにメールしてみっか。
 と、そんなことは置いといて……。今問題なのはここにあるこの機種なわけで。溜息をつきつつ、にらめっこ。
「コーヒー入れてくるから。俺のメルアド、ここに入力してみて」
 紙に書いてもらったアルファベットを見ながら、キー上の該当文字を探す。
 これが困難を極め……。
「うぅぅ」
 もう言葉も出ない。探すのに時間がかかりすぎだ。 キー配列がどーなってんだ。っつーか、誰が考えたんだ、これは!
 まったく腹立たしいったらありゃしねえ!
「アイ、どこだ? どこだーー、アイ、返事しろ! エーはすでに捕獲ずみだ。無駄な抵抗はよしなさーい」
 メルアドの『aikawa』、これの『@』を探してんのに、見つからない。
「おおっ、あった。こんなところにいたのか、探したぞ」
 ……五分、かかった。
「どこまで……?」
 言ったきり固まる相川さん。そして苦笑い。
「見慣れない配列だもんね、仕方ないよ。ゆっくりでいいから。ちょっと休憩する?」
「……うん」
 なんか情けない。
 ソファに座りなおし、横から相川さんに凭れかかる。すかさず背中から手がまわってきて、彼の胸に埋めるように顔を伏せた。 そのまま何も言わずに、ただ温もりだけを追いかける。
 頑張りの素を補給して、夜までキーボードとの格闘は続いた。
 知恵熱、出そう……。

 夕飯を食べて実際に相川さんのアドレスにメールを打ってみる。
 オレが使うアドレスは彼の予備で、いくつかある中のひとつなんだ。とりあえずってやつだ。そのうちちゃんと自分専用のアドレスも持ちたいなあ。フリーのアドレスっていうのもあるらしいけど、それはまたの機会にしようってことになった。
 設定は全部やってくれたから、オレはまた手順どおりにやればいいらしい。 通信方法は、通信用のカードを差してくれた。PHS用なんだって。これでなれたら常時回線でも引こうか、なんて言ってるけど、どこがどう違うのか今のオレには理解不能なわけで……。 帰ってくるまでにその辺のところも勉強しておこうと思う。
 最初よりはスムーズに入力して、そして送信。
「ちゃんと行ったかなあ?」
「ちょっと待ってね。…………はい、来ました」
 彼のノートPCを覗き込むと、そこにはオレが送信したメールがちゃんと到着いていた。
「感動〜」
「じゃあ、今度はこっちから送るからね」
 長い指が滑らかにキーを叩く。スラスラと入力され、送信するよという声とともにマウスのカチッという音がした。
 ひとつしかないモデムカードを差し替え、送受信ボタンを押して。切断されてた回線が再度、接続される様子を息を詰めて見守る。 なんかドキドキするよな。
 メールを確認してますというメッセージの後、一通が無事配達されてきた。 おぉ、これだこれだ〜。そしてやっぱり感動。でも内容を見てちょっと脱力。だって『浮気しちゃ駄目だよ』 だって。
「しねえよ」 呟きに彼の笑い声が響いた。
 それから何度か送信受信を繰り返して。ほぼ完璧にマスターすることが出来た。

「目、疲れた……。肩、凝った……」
「うんうん」
 布団の中で抱きしめられて眠る夜。まだ本当は眠りたくないんだ。貴重な時間をもっともっと一緒に過ごしていたい。だけどもう瞼が開けられない。
『サトル』 オレを呼ぶ声、唇に温もりを感じて、そのまま記憶が途切れた。



 目覚めた時、相川さんの顔が目の前にあって少し焦った。
「君、夢みてたでしょう?」
「オレ、なんか言ってた?」
「んん、顔が動いてた」
「なんだよ、それ」
「だからね、寝ながら百面相って言うか……。しかめっ面だったり、嬉しそうにニヤッとしたり。見てて面白かったよ」
 思い出して、笑う。なんか失礼だな。
「パソコン……夢の中にも出てきた」
 あのキーボードがオレの夢まで侵略しやがったんだ。まず、文字を打つだろ?  そうすると打った文字じゃない文字が表示されてんだよ。 あれにはいらいらしたね。これ壊れてるよー、って相川さんに言おうと思っても彼の姿がなくて。 ひとりでなんとかしなくちゃって。 何度も消して、打ち直して、最後にやっと思い通りの文字が画面に表示されたんだ。その時はまあ、達成感と疲労感を同時に味わったね。
 枕に頭を乗せたまま、そんな夢の話を聞かせてあげた。
「大体、想像はついたけどね」
 オレの前髪をかきあげ、額に軽く口付けされて、そのまま身体ごと引き寄せられた。
「今日、どこか行きたいところある?」
 いつもなら嬉しいはずの日曜日。
 明日になれば、しばらくひとりの生活になる。 時間なんて止まってしまえばいいのに。それが出来ないなら、せめて今日ぐらいはずっと一緒に、片時も離れたくない。
「ない」 彼のパジャマのボタンをふたつ外し、素肌に唇を押し当てた。
「俺も、ないよ」 オレのパジャマの裾から入り込んだ手が背骨にそって緩やかに上下する。
 今日はきっと秋空が広がるいい天気で、爽やかっていう形容がよく似合うんだろうな。この空間を除いては――。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

 結局オレ達はどこにも行かず、軽い食事と風呂に入る以外は一日中ベッドの上にいた。 最後の方はもう体力の限界で、ただ抱きしめられるだけだったけど、それだけでもオレはとても満ち足りていた。
「愛してるよ」
 囁いて、甘く蕩けるような口付けをくれる愛しい人。
 溢れる涙は悲しいからじゃない。貴方を感じて嬉しいからだよ。
 この涙の意味を変えたくはない。だから、たった今オレは決心した。
 貴方がいない間は泣かないと。
 絶対に守ってみせるからね……。

2003.11.06


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