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貴方しか見えない8

 待ち合わせの場所は有名な大きなツリーの前。
 そこまで野々村君がついてきてくれた。
「これ、弟の携帯。俺の番号は短縮に入ってるから、何かあったら連絡してくれればいいから。 家族との連絡用だから他人からかかってくることはないよ。心配しなくていい」
「うん、わかった……」
 何から何までなんて気のつく人なんだろう。オレは自分のことで精一杯だっていうのに。
 今朝、家を出る時にも言ってくれた。
 こっちにいるのは俺の方が長いから出来る限りのフォローはしてあげる、と。 だから彼に逢える事だけを考えればいい、と。
 申し訳ないぐらい、恵まれてる。 それに対して、お礼の言葉を口にすることしか出来ない自分。
 …ってなんでいつもいつも、こうなんだ、オレは!
 声に出さないよりはいいと思いなおす。顔を上げ、笑顔を向けた。気持ちを伝える為に。
「有難う」
 そんなオレの心を読んだかのように明るい声で。
「もうすぐ約束の時間? 邪魔しちゃ悪いから、行くわ。じゃ!」
 マフラーをぐるぐると首に巻き直し野々村君が踵を返す。その後ろ姿に向かいできる限りの大きな声で、
「有難う!」
 と投げかけた。

「寒い……」
 この時期のニューヨークは本当に寒い。梨佳さんが言った通りだ。 厚手のコートという忠告通り、ダウンジャケットを着て来たんだけど、それでもこのしんしんと身体の芯まで凍えるような冷気は経験がなかった。 オレもマフラーをぐるぐる巻きにして野々村君に借りた毛糸の帽子を目深にかぶり直して。
「綺麗だな」
 ツリーを見上げた。いろとりどりの華やさというより、大人の雰囲気のイルミネーションだ。
 街全体も思ったより静かで厳かな感じ。会社もお店も休みのところが多いらしいし。
 日本みたいに二十五日でケーキ山積みっていうのじゃなくて、まさに本番!、っていう意気込みがあるっていうか。 これってやっぱり国民的行事だからなのかな。
 それでも人はわりと多い。つーか、ほとんど日本人、だろ。
「ホワイトクリスマスになるのかなあ……」
 今にもちらつきそうなグレーの空。はあ、と息を吐くと白く伸びていく。ただでさえ寒いのに、それを見て余計に寒さが増した。
「う、う、う」
 マフラーで口まで覆い、寒さを紛らわす為に、数歩、歩いて立ち止まる。
 歩いて、立ち止まって。ツリーの前を行ったりきたり。
 足元に落としていた視線を上げる。
 その先に、
「……!」
 大好きなあの人が、いた。
 観光客に混じり、ビジネスマンが背筋を伸ばして歩く街。 その中に埋もれるのではなく、抜きん出ているのがわかる。
「相川さん」
 その瞬間、回りの風景に靄がかかり、彼の回りの空気だけ、姿だけ、シャープになった。
 多くの人がごちゃごちゃといるはずなのに、全てが歪んだ世界の向こう。
 オレには彼しか見えなかった。
 逢えた……。
 黒のロングコートに身を包んだ彼が、この寒さなんてふっとばすように颯爽と歩いてくる。
 その視線はオレをしっかりと捉えていて。
 きっと、気づく前から彼の瞳には映っていたのだろう。
 ゆっくりと綻んでいく端整な顔立ち。
 少し足早になって前を邪魔する人波を分けながら、だけど視線は外さない。
 焦がれた笑顔に――……。
 オレは走りはじめていた。

「相川さんっ!」
 腕の中に受け止めてくれて。あったかくて。やっぱりオレの幸せはこの人の傍なんだって実感した。
「悟」
 確かめるようにゆっくりと名前が呼ばれ、顔を上げた。
「迎えに来たよ。貴方がなかなか帰ってこないから、オレが来たんだ」
「……嬉しいね」
 うん。そうでしょう?
 嬉しいでしょう?
 二ヶ月は長かった……。
 貴方のいない部屋は暗くて、冷たくて、寂しかった。
 一日のうちのたった数分でも、その人の生活の気配があるのと無いのとでは、全然違うなんて思いもよらなかったんだ。
 やっと……。
 逢えたね。

 ……嬉しい

「悟君」
 手袋をはずした彼が両手で頬を包んでくれて……。
 大好きな微笑みを浮かべてオレを見つめてくれて……。
 冷たいと笑った。
「凍えそうだった……。今は、あったかいよ」
 オレも小さく笑って。
 だけど、
 もう我慢しなくていいよね……?
 ずっと、ずっと。
 堪えていたもの。
 ギュッって強く抱きしめられて、頬にキスが落ちてくる。
「……泣きたいぐらい、あったかいんだ」
 涙が、溢れた。
 頬に、目尻に、鼻先に、彼の吐息を感じる。
「みんなが見るよ?」
「気にしないよ、誰も……」
 だからマフラーをずらして、唇を重ねた。

2003.12.20


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